第09話「パンケーキと百合」
ジメジメした天気は嘘のように過ぎ去り、カラッとした爽やかな晴れ間が見えだした頃。
僕は咲姫と一緒にスイーツを食べに行くところだった。百合百合と一緒に甘いものも味わえるだなんて、ここは天国なのだろうか……。
咲姫と二人きりで、しかも甘いものとなれば、修羅場では無く、好感度あげあげなイベントになるだろうと……いや、しなくてはならないと、心からウキウキであった。
「もう雨続きは無くなったみたいだね。初夏って感じだ」
僕が世間話でもするようにそう言うと、隣を歩く咲姫はちょっと下を向いて考え込むような仕草をしたと思ったら……。
「初夏でしょ~かっ! ……なんちゃって!」
だなんて。
「ありがとう咲姫。気持ちいい風が吹いた気がするよ」
「やぁ~んっ! 寒いなら寒いって言ってくれれば良いのにぃ~!」
寒いと自覚したのならもう寒いギャグは言わなければいいのに……。咲姫のダジャレはいつも唐突なのだけど、彼女は心の中に芸人でも飼っているのだろうか。そういう美少女なのに残念なところは、むしろ高評価なので実にウェルカムである。個性派美少女はもう最高っ!
※ ※ ※
心をかき乱すアルトサックスと一定のリズムを奏でるベースラインが折り混ざるジャズが響く古風な喫茶店。
決して汚くは無いのに古書の深い味わいが漂ってきそうな木造空間で、僕と咲姫は隣同士席に着く。百合ップルは向かい合わせじゃなく隣同士が定番なのだ……だなんて、自慢げに心の中で呟く。
「さあて。小腹もすいたし、どうしよっかなぁ。デザートだけだと足りない感じ」
「あらっ? これ見て?」
僕がメニューを眺めてそう漏らすと、咲姫は他のメニューを手に取り、僕に向けて見えるように指差しアピールする。そんな咲姫ちゃんの日常の一コマがとても可愛い……。目の録画機能……開始!
「今日はパンケーキの日らしいわよぉ~。和風のと苺のがお得ですって。二人でこれにしない?」
「へーめっちゃいいね! それにしよっか」
他のメニューには目もくれず即決した。今日という日にパンケーキを食べるというのは、なんだか素敵な巡り合わせな気がしたのだ。
やがて机に運ばれてきたパンケーキ。咲姫のものは苺ソースとバターが溶けて絡みあって、食欲を煽るような魅惑の輝きを放っていた。
一方、僕のもまたほろ苦そうな抹茶ソースにホイップクリームと粒あんがこしらえられて、こちらもこちらで美味しそうだ。
咲姫と目配せして、いただきますと言うと、早速ナイフとフォークで切り分けて、口の中へ。
「あーすごい……っ。こんな甘くてふわふわなパンケーキ……! 絶対に太る……けどやめらんない……っ」
「うぅ~ん……たまにしか許されない贅沢よねぇ……でも、本当に美味しいっ」
闇雲に食べ進める僕に対し、咲姫はあくまでプリンセスのような風貌を崩さず、お上品に食べていた。咀嚼する様子を見せないように、細くてたおやかな指を口の前に当てている仕草はまさにお姫様。
僕の中では、口内の甘さと咲姫の見た目の可憐な甘さが入り交じって、ドーパミンがふわっと吹き出したように幸せだった。
そんな幸福のひと時に浸っていたとき、咲姫が僕の顔を見て微笑む。なんと可愛いのだろう……。
なんの疑問も感じずそう心からとろけていると、右に座る咲姫が僕の顔に迫ってきて……っ!?
「ちょっ……! 待った待った待った!」
目の前にに差し迫る咲姫の顔。店の隅とは言えこんなところでキスしちゃうの!? 流石に心の準備がヤバいヤバい!
咲姫に僕の制止は聞こえてないようで、僕は途端に跳ね上がった心臓の音に包まれ、ただ手にフォークとナイフを持ったまま何も出来ないでいると……。
ペロッと。
「鼻にクリーム付いてるわよぉ~。駄目よ? そんなに急いで食べちゃあ」
「えっ、クリーム?」
咲姫がウェットティッシュで僕の鼻を拭ってくれる。そこには、クリームと抹茶ソースが混じった薄緑色が。付いてたのは仕方ないんだけど……っ。
「い、言ってくれれば自分で取ったのに……っ!」
「百合ちゃんと一緒に食べたかったの……それに、ただ教えるだけじゃあ、つまらないじゃない?」
咲姫は両手の平を組んで顎を載せると、首を傾げてそう言うのだった。そんなズルい顔……いつ覚えたんだ……! 彼女に対しては僕がリードする立場で居たいのに!
僕が何も言えないで居ると、彼女は真っ赤になった僕の、瞳の奥を捕らえるようにジッと見つめて、そしてこう言うのだ。
「わたしはいつだって、百合ちゃんをドキドキさせようとしてるんだから」




