第XX話「君がいない未来」
「さ、咲姫……助けに来てくれたの……!?」
僕が蘭子の愛を受け入れようとしたところで、部屋に入ってきた咲姫は、ニヤリと不敵な笑いを浮かべながら蘭子に対峙する。
「蘭ちゃん……百合ちゃんを返しなさぁい!」
「私たちの愛の巣へ邪魔に入るとは……。そんな物騒な物を持って何をするつもりだ? 百合葉を取り戻す為に私を殺すか?」
「……っ」
蘭子の言葉には息を吸っただけで何も返さず、睨みつけたまま大きなハサミを持ってにじり寄る咲姫。二人対峙した、と思った矢先、蘭子の顔に向かって横一線に凶器が横切る。
「ふん。武術も何もやっていないのだろう? そんなもので何が出来る」
「――――ッ」
焦ることなく避け、咲姫の手を強く払いのける蘭子。しかし、持っているのがハサミだからか、その手からすべり落ちることなどない。
咲姫は少々痛がるも一度距離を取って、ちらと、部屋の机周りを見やる。
「あなたも、そこのナイフを持ちなさぁい? そっちの木刀でもいいわよ? とにかく、フェアじゃない」
「不意を突こうとして何がフェアだ。ふっ。姫様相手なら、丸腰でどうとでもなりそうだが」
咲姫の様子を伺いつつ、蘭子は机の横に立ててあった木刀を手にする。武器を手に、再び対峙する両者。
「私は君を傷つけたくないんだ。殺傷力は落ちるが、リーチは長いからな?」
「構わないわ」
「駄目だ! 二人とも!」
僕の叫びもむなしく、咲姫はハサミを突き出す。ハサミとて、万が一にも急所に刺さればただじゃあ済まないだろう。それを当然のように避けて、蘭子は両手で強く握った木刀を、咲姫の肩めがけ縦に振りかざす。しかし、
「百合ちゃんは誰にも渡さないんだから」
それを読んでいたように、咲姫はハサミを開いて木刀を固定し挟む。
「な……っ、しまっ――」
咲姫の後ろ手から現れたのは鋭い包丁。突き立てるように蘭子のみぞおちに刺さろうとしていた。
「やめてぇええええーっ!!!!」
二人の間に立ち入る僕。反応が遅れた蘭子に体当たりし、僕は彼女の包丁を手に取って……。
――――――――
君がいない未来なんて、考えたくないよ?
だから、ずっとここに居ようね。
君は僕のモノだから。
――――――――
ピンポーンと鳴り響くインターホン。彼女一人暮らしの賃貸マンションだ。僕の身を心配した彼女が手紙で住所を教えてくれていたから、こうして、真っ先に会いに来たのである。アポイントメントは取っていないのだから、きっとビックリするだろうなぁ。
『どちら様ですか?』
機械から伝わる彼女の声。低く落ち着いた声色は相変わらずのようで安心する。
「やあっ、蘭子。会いに来ちゃった」
「三年だと聞いていたが……早かったんだな」
「そうだよ。君に早く会いたいから、模範生になって頑張ったんだ」
部屋のドアをくぐりつつ答えると、複雑な面もちの彼女。
「どうしたの? 蘭子。浮かない顔をして」
僕は彼女のあごに手をやりくいと持ち上げて、唇を近づけて――。
「やめろ」
手を払いのけられてしまった。突然のことで動揺してるのかな? 僕から攻めると不器用になるところも昔のままで、かわいい子だ。
「ふふっ。お久しぶりなスキンシップじゃないの。蘭子は恥ずかしがり屋さんだなぁ」
だが、蘭子は予想に反して冷めた目のまま。
「それとも、あの事件で僕のこと、嫌いになっちゃった?」
なお曇る彼女の表情。そりゃあそうだ。あの事件がきっかけで、楽しかった日々が瓦解してしまったのだから。きっかけは蘭子だとしても、僕の罪は、取り返しようもないほどに大きい。
「今さら許して欲しいとは言わないし、事件の引き金を引いた蘭子を許すとも言わない。でもさ。いつまでも過去を引きずってないで、僕らは前を見なくちゃいけないんだ」
「もう、その話はいい」
素っ気なく返される。やはり、あの事件は彼女にとってもトラウマのようなものなのだろうか。だけれども……。
「でもさ、僕、本当に頑張ったんだよ? あの日々を取り戻したくてさ。蘭子と一からでもやり直したくて」
「過去を引きずっているのは誰の話だ? 君がどんなに頑張っても、彼女は……戻って来ないんだ」
そのとき、記憶を何も掘り起こせなかった。戻って来ない?
「彼女? 僕はこうして戻ってきたでしょ? もしかして、僕と会えた嬉しさのあまり、まだ現実を直視できないの?」
混乱しつつも僕はキザなセリフを吐いてみせる。大丈夫、いつもの僕だ。
「いい加減、ごっこ遊びはやめろ」
しかし、返ってくるのは拒絶。
「えっ……? ごっこなんかじゃないよ? 僕は本当に蘭子と恋人になりたいくて……」
「現実と向き合うのは君の方じゃないか」
なんだそれ。僕は僕が見えている。現実の僕と向き合っている。なのに、なんでこんなにも頭が真っ白になるのか。
「だってこれは現実で、実際に僕はこうして蘭子と話していて……」
「自分でも、何をしているのか分かっているんだろう」
頭の中で警鐘が鳴り響く。
「違う。僕は君に会うために生きていて……っ」
「君が何者なのか」
高鳴る心臓。押しつぶされそうな予感。
「違う。僕は……!」
「なあ……」
「違うッ!」
言わないで言わないで言わないで!
「"咲姫"」
「さ、き……?」
その名前を聞いたとき、僕の世界がぐしゃりと酷く歪んだ。
「な、なに言ってるの? 僕は百合葉だよ」
震える声。そうだ、咲姫なんて知らない。僕は僕の大好きな百合葉だ。
「背丈もいっしょ。癖っ毛もいっしょ。中性的な口調も女の子好きな性格もいっしょ……。ほら、僕は百合葉だ」
懸命に僕の特徴を思い描き、口にする。どう見たって、今の僕そのものじゃないか。
「それは、君が描いている記憶の百合葉であって、ホンモノの百合葉じゃない」
「ほらほら、いつもみたいにさ。僕にセクハラしてごらんよ。嫌だけど楽しくてさ。何やってんの変態って言ってさ……」
「その"いつも"を共に過ごしたのは、今の君じゃない。君が、あの日……殺した百合葉だ」
「ウソよっ! 殺したなんてウソ。僕が百合葉じゃないなんてウソ。全部全部全部ウソなんだ! ウソに決まってるっ!」
「嘘じゃない。真実だ」
感情無く告げる蘭子。そうだ、こんな大事なことを無表情のまま言うわけがない。彼女は僕をまた監禁するために騙そうとしてるんだっ。
「僕の大好きな百合ちゃんは、帰ってきた……。ここでこうして……生きてるんだよ! 何よりの証明じゃない……っ!」
「百合葉はもう死んだ。生きてなんかいないんだ」
「違うよ? 死んじゃったのは咲姫の方さ。あははっ。わがままで、自分勝手で、ナルシストで……。自分がお姫様とか、ばっかみたい! そんな挙げ句、自分が持ってきた包丁で死んじゃったぁ。バカだから死んじゃったのよ!」
「目を覚ませっ!」
水気のある破裂音。そのとき、頬を叩かれたことと、そして、顔が濡れていることに気が付いた。
「いたぁい……あれぇ。なんで、こんなに涙が出てるのぉ? 痛いからだよね? なんにも悲しくない。僕は百合葉だ。僕はなんにも間違ってなんかいない。百合ちゃんは生きてる……」
「君がどんな姿を理想にしようと構わない……。百合葉が愛した君を、私は嫌ったりはしない……。だから、彼女の名前だけは名乗らないでくれ」
抱きしめられる感触。耳元でグスッと鼻をすする彼女。なんであなたも泣いているの? せっかくあなたの大好きな僕が帰ってきたのに。嬉し泣きだよね?
百合ちゃんはここにいるよ?
――――DEAD END――――
架空のデッドエンドルートでした。
物語終盤ですが、生存ルートで続きます。
百合葉ちゃんを失ってこそ映えるその愛……描きたかったんですよね……。
 




