第34話「快楽は求めない」
媚薬を飲み下してから、どれだけの時間をキスに費やしたのだろう。
腰砕けになり時間感覚も狂うほど、キスの味に酔っていると、しばらく唾液の共有を許していた僕の口を、蘭子は最後のついでという体で上唇を吸い出し、やっとの事で開放してくれる。
「んぐっ……ぷはぁっ!」
「ふぅ……。抵抗される様なら脅すしかないと思ったが、そんな必要も無くて安心したよ。ようやく私を受け入れる様になってくれたかな?」
「の、飲み込んじゃっただけだよ……」
言い訳としては酷くお粗末な否定をする。
口移しという行為自体は心ときめかされ、本来ならば百合百合度花丸満点を差し上げたい所存――ではあるのだけれど、性欲という穢れを纏っているだけに、折角のロマンチックもぶち壊しである。そんな夢の欠片も感じられない長い口付けを終えても、相変わらず淡白な口振りで蘭子は続ける。
「ふっ、天邪鬼と言うか頑固と言うか……。後は気持ちの問題だ。考えてもみろ。お互いの、異性を一切排する恋愛観が非常に似ていると思わないか? 他人に惚れたのは君が初めてだが、同じ様な主張を持っている娘に出会えて、私は深く感動したよ。星の巡り合わせだろうか。いや、違うな。魂が惹かれ合ったのさ。私は君で、君は私……。『頬は面』、『水波の隔て』……。心は等しくとも別々な肉体を宿した二人が、ようやく一つに成れる……」
「そ、そんなの……違うっ! 僕は快楽なんか求めない!」
「それは、まだ君が純粋な愛に触れていないだけさ。生温い擬似恋愛に浸っている様じゃあ、性のありがたみを知る由も無いのは当然だろうが……」
「あり……がたみ……?」
僕の夢である百合ハーレムを、僕が求めたピュアな恋愛を否定された気がした――が、今はそんな事を気にしている場合では無い。彼女と相違ある性の恋愛観を受け入れる訳には…………。
「じゃあ性欲が無いと愛が無いって言うの? 少なくとも欲望に頼るような爛れた愛に、純愛なんてありはしないよ!」
「随分と意固地だな。少なくとも、君は性欲に触れもしないで毛嫌いしていると言いたいのさ。そんな食わず嫌いな君も、媚薬によって本能を剥き出しに、私を求めるようになる。なに、直ぐに天国まで連れて行ってあげようじゃないか」
「媚薬で天国だなんて……。こんなの、本物の愛じゃない! こんな事で、僕の心は支配されないッ!」
僕が拒絶を言い切ると、蘭子は僕の目を見据え、ふぅと溜息を吐く。
「そのホンモノとは、君が普段からなぞり真似ている、ほのぼの純愛ラブストーリーの様なモノか? それだけが至高だとはよもや言うまいな……」
「そうだとは言わないけど……」
「まあいい、その心配は不要だ。君は必ず私の虜になる。だって私の事が好きで好きで堪らないんだろう?」
「っ……」
なんの迷いも無く言い切られたその確信に、言い紛らす言葉が一切出せなかった。だって僕は、彼女に好意をぶつけ続け、すんでのところで留めておいたのだ。はぐらかしの理由にさえ気付けば、そりゃあ相思相愛もバレる事だろう。こんな状況に陥ってもなお、月映えで眉目秀麗な顔を、より際立たせた彼女にうっとりと……見惚れている程なのだから。
「否定出来やしないだろう。私は知っているぞ? 君は白を切ったり茶化したりする事が大得意でも、真っ赤な嘘は吐けないんだ。そんな君の可愛らしくも意地悪な性格が尚の事、私の心を掻き乱したのだが……」
まさか僕の本性がそこまで見破られているとは思わなかった。しかしよく考えてみないと……。見透かすのも当然な出来事があったじゃないか……。
「昨日……。僕が蘭子の気持ちに対して無理に誤魔化したから…………決心が付いたの?」
「そうだな。元々、ある程度の確信はあったが、昨晩は散々に誑かしてくれたからな……。君のお陰で踏ん切りが付いた。今をもって、最後の一歩を踏み出せたんだ。ようやく本当の君と触れ合える……」
やはり、昨日が『運命の分かれ道』となってしまったみたいだ……。僕自身もやり過ぎた――とは思っていたけれど、こんな事になろうとは…………。
「確かに、僕は今まで本心をくらまし続けたよ。それは悪いと思ってもいた。でも、これからする事は結局のところ無理矢理でしょ……。蘭子の事を嫌いになっても良いの……?」
「嫌われる事を恐れていて、恋の駆け引きが出来るとでも思っているのか? そりゃあ、君に避けられるのは辛いが、その都度何度だって、惚れ治させれば良いだけだ。この先、幾らでも心を疼かせてあげるさ……」
絶対の確信を持って、蘭子は断言する。しかし、幸か不幸か、僕もまた彼女にベタ惚れなのである。『無理矢理』だろうとも、彼女を嫌えそうにない自分が情けなく思う。
「嗚呼、いままで随分と、緻密で大胆な罠を仕掛けてくれた。随分と、私をもどかしい恋心で埋め尽くしてくれた。君という愛の媚薬で狂わせてくれた……。しかしもっと早く、君の気持ちに気付いてあげるべきだった。そうすれば、君も変な智謀を巡らさずに済んだのに。君が良心の呵責に苛まれずに済んだのに……。だがそのお陰で、この気持ちに確信が得られたんだ。もはや、君しか見えない盲目さ。だから絶対……君一筋で迷わない」
蘭子は自分の頬を包みつつ、酔い痴れる様に口説きかける。それはその姿は、僕の求めた究極の純愛である気がした。彼女の台詞に疼いた身体が愛を求めている様にも感じる。僕もまた、彼女の愛で酔っているのだろうか。
「そもそも君の方から私を惚れさせたのだったが、面白い事に立場が逆転したものだな……。君の目論見通り、周りも同性愛者へと変貌を遂げた様だが問題無い。私の方が彼女達よりも知識はある。君を一番、可憐に咲かせられるのは私だ」
そんな僕に蘭子は追い打ちを掛ける。誰よりも凛々しく、そして力強く断言された台詞に心が撃ち抜かれる想いにさせられ――。
「はぅっ……。あ、れっ…………?」




