第21話「百合葉の心配」
蘭子の気持ちを聞いて、僕は落ち込んでしまった。みんなは比較的元気だから、それなりの返事は出来るものの。
今こそ譲羽は元気にはなったけれど、僕が彼女の気持ちをないがしろにして、それを心配した蘭子が落ち込む。なんだろう、この連鎖は。やはり、乙女の気持ちをもてあそぶような悪いことをしているから、どうにも上手く回ってくれないのだろうか。
部室を先に開ける僕と咲姫。蘭子は図書委員で、仄香は譲羽に寄り添って病院だ。自殺未遂だった訳だし、色々と診察があるみたい。
椅子にどっかり座り、首が据わってないみたいにぐにゃりと頭を後ろに倒す。ついふぅっと溜め息をついてしまう僕。それを察してくれたのか、「気持ちが和らぐわよぉ」と、マグカップでミルクティーを作ってくれた。香りを嗅ぎつつ、新たに作ろうとしている咲姫の分を作る行程を眺める。いつもの茶葉から淹れるのとは違い、アールグレイのティーパックをマグカップに入れ、水を入れ、それをレンジにかけて。その後に牛乳と蜂蜜を入れて温め直す――という見慣れぬ作り方がけど、手軽なように見えてこれもまた美味しい。
「落ち着いたぁ?」
「うん、ありがと」
ミルクティーで身体も心も暖め表情が緩んだところで彼女が問いかける。うんと頷けば、「良かったぁ」だなんて微笑んで返してくれる。ああ、やっぱり、この子は妻にしたい。
そういえば、咲姫との関係は、親に作られたものだったのだと思い出して、また少し気が沈む。僕が作り出したわけではない関係。しかも、男女であれば上手くいって欲しかったようで。そんな中で彼女と恋人の関係になったら、まるで、親のレールに沿ってしまったようなものなのではないか。自分らしさを尊重する僕としては、それが正しいことなのか、よく分からなくなってしまう。
「何やら最近、色々とあったみたいねぇ。疲れが顔に出てるわよ?」
「そ、そうかな……」
ニキビケアついでに、顔の肌トラブルには気を付けていたつもりだけれど、やはり、鏡でしか自分の顔を見ない自分と、毎日見てくれる咲姫とでは、発見できる違いの大小に差が出るのだろうか。咲姫は横に座ったまま手を伸ばし、僕の頬をさすってくれる。
「何があったの? 言ってみて?」
ああ、彼女に甘えたい。この、百合ハーレムを実現させるために、美少女たちの気持ちを誤魔化さないといけないこと。そのせいで、譲羽が自殺未遂してしまったこと。中途半端に残った良心が、乙女達を騙すことに抵抗があること。咲姫に打ち明けてしまいたかった。僕はもう、胸がじわじわと締め付けられるようだった。
でも、もう走り出してしまった運命。僕が作ってしまった、掛け替えのない関係。みんな、友達としても大事で、みんなもそう思ってるみたいで、そこに恋愛感情や友情も複雑に絡み合ってて……。だから、簡単に、やめたなんて言えない。
「今は……こうさせて……」
僕は何も打ち明けることなく、ただそう言った。彼女の肩にポンと頭を乗せて、安心したかった。何も言わずに、僕の頭を撫でてくれる彼女。モテるっていうのは、こういうことなのだろうか。とても、安心する。
「早くわたしを選んでくれればいいのに……」
「んっ? 何か言った?」
「ん~ん、なんでもぉ~?」
感情が潰れた卵みたいにごちゃ混ぜの頭で、僕は考える。咲姫こそ、とくに大きな事件には至っていないけれど、彼女はずっと、待ってくれているのでは? 恋人ごっこなんかじゃなくて、正妻にするのは、彼女が一番ふさわしいのでは?
僕は、咲姫の良い香りに包まれながら、眠いなぁと思った。心から、彼女の匂いは落ち着いて……柔らかくて……。机に突っ伏す。
もう、夢のような、現実のような、ポワポワだ。
※ ※ ※
「咲姫、百合葉の携帯で何をしていた? 今、隠しただろう」
「やぁ~ねぇ~。百合ちゃんが疲れてるみたいだから、ちょっと難しい事は全部忘れて、休んでもらおうかなって。だっかっらっ。通知をオフにしていたところぉ~」
「ロックを解除してまでか? それは犯罪だろう。悪だ。君に罪の意識は無いのか」
「『良心の呵責』ってやつぅ? そんなの、どうでもいいじゃない。この子のためなら何だってするわ。それがわたしの中で正しいことなのよ」
「それで自己正当化するというのか? 恥ずべきやつだな」
「あら、散々セクハラで百合葉ちゃんを困らせておいて、誰が誰に恥ずかしいと言うの?」
「それは……」
僕に気を使ってか、静かな声だけれどそんな言い争いが聞こえた。何が起こっているのだろう。
「他人に対してぇ~? それとも『お天道様』とか言っちゃうのかしらぁ~?」
「……そうだ。善悪に照らしたとき、君の行動は悪だ。そういう強引な事をして、苦しむ者も居る」
「ふっ。人を愛するのに神も仏も無いのよぉ? 正しい愛が勝つとも限らない。負ける人が後を去るだけ……。そんな周りに気遣っているようじゃあ、あなたはわたしの敵にもならないわねぇ」
咲姫に言われ、うっと小さく呻く蘭子。彼女が押し負けているのだろうか。
「何がそこまで君を狂わせるんだ」
「わたしは百合ちゃんが死ぬほど大事だから。それで狂うなら本望よ」
「ふんっ。死ぬほどなんて大袈裟なこと……馬鹿馬鹿しい。そんなもの……まやかしだ。彼女が死んだら君も死ぬのか?」
「百合ちゃんが死ぬくらいだったらわたしが代わりに死ぬわよ? 命に代えてでも彼女を守るの」
そんな怖いけれど嬉しいセリフが脳内を反響して、僕は起きないといけないんじゃないかと、やっと思い始めた。隣の椅子に座る咲姫の片腕に頭を抱かれたまま、身じろぎする。
「ごめん咲姫……寝ちゃってたんだね」
「起こしちゃったかしら? ごめんねぇ~」
その手つきはまるで母のように、赤子をあやすようで、僕はまた眠りについてしまいそうなほど、安心感を得てしまった。
「私に足りないのはそれか……」
「百合ちゃんは今は休みたいんだから、うるさくしたいならどこかへ行きなさい? それが百合ちゃんのためになるの」
「くっ……」
そんな蘭子は諦めて部室を出て行った。鞄も持っていたから、多分そのまま帰るのだろう。なんだか展開が読めないけれど、冷戦が繰り広げられてしまったようだ。だけど、頭がボヤボヤ眠たくて、考えるのが億劫だ。
「咲姫……もうちょっと、このままでいいかな?」
「いいのよぉ。百合ちゃんはわたしの元でゆっくりしていれば」
「でも、もうすぐ暗くなっちゃうから、早く帰らないと……いけないよねぇ……。暗い中で、咲姫を帰らせるわけには……」
「そう? 心配してくれてありがとっ」
微笑んで返してくれる咲姫。やっぱり、僕のお姫様だよなぁ。脳がとろけてしまいそうだ。一人を選ぶなら、やはり彼女なのだろうか。
でもそうすると、他の子たちが報われないわけで……。もう、他の子たちの苦しむ姿は見たくない……。
「咲姫は……蘭子が……嫌いなの?」
「どうして?」
「だって、よく言い争ってるでしょ」
「あら……聞かれちゃってたの……。別に争うつもりは無いんだけどぉ……」
彼女は片腕で僕を抱いたまま、もう片方の細い指を唇に当てて、考えるように。
「価値観が……違うのかしらね……」




