第15話「仕組まれた恋」
譲羽のリストカット事件を終えて、僕はやっと家に着いた。仄香の事件から連続したものだから、今になって熱暴走するみたいに、どっと疲れが出てきた。ふらふらとしながら、僕はリビングのドアを開けると、土曜日であっても帰りが遅いはずの母が居た。なるほど、もうそんな時間だったのだ。
「あんた、遅かったわねぇ。どこをほっつき歩いてたのよぉ」
なんて、イヤミみたいに母親の小言を言われてしまう。
「そんなに楽しいもんじゃないよ。ちょっと色々あってさ……」
「ふーん……」
そう鼻を鳴らして、彼女は頷くように僕を見つめる。
「最近は、心ここにあらずって感じだったしねぇ。疲れてるみたいだけど、今は落ち着いたの?」
「なんとかね……」
ふぅ~っと大きくため息をついて、僕はダイニングテーブルの椅子にどっかりと座る。
「でもあんた。中学の頃よりも元気そうで良かったわ」
「そ、そうかな」
その言葉を聞いて、譲羽のお母さんの話を思い出す……いやまあ、美少女たちに囲まれてるからね。そりゃあ元気にはなるよね。僕は単純だからね。
「やっぱり、あそこの理事長に話を通しといて正解だったねぇ」
しみじみという彼女。
「えっ? 話……?」
「百合葉にあの学校を勧めて正解だったっていう話よ。あんた、顔は良いくせに、中学のときは根暗で怖かったから」
「あ、あぁ。そんな時代もあった、かなぁ……」
ちょっぴり赤面して、僕は唇の端を尖らせる。本当に、中二病真っ盛りの黒歴史というやつなのだ。
「確か根暗になったキッカケは……あれよね。憧れてた男の子にショックを受けたのよねぇ」
「そ、そうだね。あれは辛かったからさ」
恥ずかしかった気持ちが、ずんと沈んだ気分に早変わり。かなり前のこととはいえ、まだあの時の恨みを引きずっているだなんて、母は知らないのだ。仕方がないことである。
「その憧れを壊されたあんたに、あたしはなんて言ったか憶えてる?」
「あ、あんたがその憧れになりなさい……」
「そうよ」
そうだ、覚えているに決まっている。そのとき、僕は一つ"目覚めた"のだ。一人称も"僕"に変えて。
確かに僕は、小学生の頃こそ男子が好きではあったけど、それも、美少年だったからだ。歳を重ねて、"男"という存在への興味がストンと抜け落ちたのは、その昔、母が何事においても美しいものへと触れさせてくれたから。美しいものは良いというのが、彼女の口癖だったように思える。
その教育の成果あって、今の僕があると思えば、それは感謝なのだ。少々、世間とはかけ離れていても、僕はそれで良いのだと胸を張れる。
「ただ、あの直後はヒドかったわねぇ。世界を嫌うように悲観的になっちゃって。何も信じてなかった感じ?」
「う……まさにそんな感じかなぁ」
「だから今の方が……まだ子どもだけど、あんたらしいってかねぇ。生き生きしてて、見てても嬉しいものよ。良い学校を勧められたなぁって」
「そっかぁ。それならお互い良かったけど 」
言うほど急変化だったろうかと思って、またも恥ずかしくなってくる僕。確かに、世界観が百八十度変わったようなものだった。
そんなに長く人生を生きてもいないし辛いことも特別多くは無かったのに、人間の心は腐っているんだ――と、社会や集団を悪として敵視するタイプの中二病だった。とにかく、他人となれ合うのが嫌で、僕はただ、一人進んで孤立していたのだった。今思えば、馬鹿でしかない。
中学の頃。かつては一緒に遊び過ごしやすかったはずの"男子"という存在が抱える欲望に辟易し、だからといって、上辺ばかりを取り繕う"女子"という存在にも嫌悪感を持っていたから。誰とも相容れない。つまりは一人ぼっちだったのだ。話し掛けられればそれなりに返せるんだけど、どこか壁を作ってしまって。人間関係なんてくだらない。と、斜に構えたり。つまらない生活だった。
「今思えば、お母さんのお陰だったんだね」
だって、大金持ちとまではいかないにしろ、地元では有名なお嬢様校なのだ。みんなどこかまったりとしていて、イジメなんて聞いたこともない。それでいて顔も性格も偏差値も高い。学校の入をもらって、行ってみれば天国のようだった。よくもまあ勧めてくれたものだ。
「あそこの理事長の教育方針なら、あんたを任せられるかなって。正解だったみたいね。最近こそはなんだかゴタゴタあったみたいだけど、大して気にするほどではないみたいだし」
「そんなに特別な教育方針だっけ?」
まあ、自由な校風ではあるけれど。
「あら気付いてなかったの? 保健の授業とかで、差別はダメとか、同性愛や性同一性障害とかの、セクシャルマイノリティについてとかも学ばされるじゃない」
「確かにそれは……」
「普通、そんなに踏み込んで教育はしないものよ? 差別はもちろんどこでもいけないと学ぶだろうけど、他の学校の実体は見て見ぬ振りばかり。オカマだのオナベだの、ホモだのレズだの、教育しないから変な目で見られる。イジメが起きやすくなる。分かるでしょ?」
「そう……かもしれない……」
それは偏差値の低い公立中学から良い高校へと変化したから、やはり良い学校は価値観が進んでいるんだなと思うだけだった……。
「あんたの性格もなんとなく知ってたから、このまま普通の学校に入れてその個性が捻れちゃったら嫌かなって。百合葉がまだ中学生の頃に、あそこの理事長と話したことがあって、それで、教育方針が個性の尊重、自由な生き方だって聞いて、素敵な学校だと思ったわけなのよ。まあ、もう一つ、あそこを選んだ理由もあるけれど」
「もう、一つ……?」
「聞きたい?」
僕は静かに頷く。僕の人生が親にコントロールされていただなんて、ショックがあるけれど、それ以上に感謝と、知りたいという知的好奇心があって……何より変な予感があった。
「花園さんちの……咲姫ちゃん居るじゃない? 多分、すぐ仲良くなったのよね?」
また僕は首をこくりと。ざわざわと胸騒ぎがして、何も言葉が出てこない。
「あの子は中性的な子が好みらしくてね、それであんたは美人とか美形とか? そういうのが好みみたいだし……」
「まさか……」
「そう。あの子とあなたを一緒にさせたくて、あの学校を選んだのよ」
「そんなことが……」
そこまで、親の目論見通りだったなんて……。僕は力が抜けたように、座っていた椅子に、だらけるように深くヘタレ込む。
「親のわがままで悪いけど……。お母さんの由姫ちゃんとは同級生でね……。付き合ったこともあるのよ。今も仲良くて、最近は会えてないけど、二人で結婚出来たらなって話もしたわ」
「お母さん……レズビアンだったの……?」
「あら? 気付いて無かった?」
「だって、お父さんが居たじゃん……離婚したけど」
「まあねー。あたしはその時はまだビアンだって隠してたし、財産目当ての玉の輿婚だったし」
「うぇ……」
「あったり前じゃないの。お互いに一致したのは、世間体とか? あたしが散々そっけなく接して浮気とかするようにし向けたら? やーもうこれが上手くいっちゃって。養育費がわりにこの家貰っちゃったわ」
「ひどい……」
このレズやることが汚い……。計算高くてたくましい母だとは思っていたけれど……。
ただ、それは強がりな気もした。父は大概遊び人で、僕が物心ついた頃には、父の事を信用出来なかったのを覚えている。女に優しいように見えて、心の底では不誠実なのだ。でも、母は父の自由奔放な所もなんだかんだ気に入ってたはずである。父の事を語る母の横顔は、どこか懐かしんでいたように見えたから。
それに、最後に会った父も、その時の母も、笑顔だったし。
「あんたもせっかく綺麗な女に生んであげたんだから。このくらいまでとは言わないけど、したたかに生きなさいよ?」
「僕はそんなに綺麗じゃないよ」
「綺麗じゃないの。あたしに似てるし、捨てちゃったけど、あの人にも似てる。中性顔だから、バンドとか役者とかやったら面白そうね。モテるわよぉ? 女に」
「べ、別に女にモテたって……」
「あらやだ。まーだ隠してるつもりなの? それだけいっつも女の匂いをプンプンさせといて」
「うぐ……」
そんなに匂うかなぁ……。やっぱりレズも経験重ねたら、見分けつくようになるのだろうか。
「あんた思ってたけど……ずいぶん女の子に狙われてるわよ? 分かってるのよねぇ?」
「と、友だちかな……。ベタベタする子多いし……」
なんて誤魔化すが、やはり母には通用しないようで、訝しげに、ふ~ん……と鼻をならされる。
そうしていると彼女は思い出したように、「なんの話だっけ」とこめかみを指でつついて、記憶を掘り起こし出す。
「咲姫ちゃんの話よ。話を脱線させないでちょうだい」
「お母さんが勝手に語り出したんじゃん……」
「あら、そうだったかしらねぇ」
調子の良い母である。
「まあ、由姫ちゃんとはそういう関係だったりして、あたしたちは結婚できないなら、それならせめて子どもたちをって思ったのに、生まれたのは女女女。上手くいかないもんよねぇ」
「そんな漫画みたいに上手くいかないよ……」
「でも、せっかくだから仲良くさせたいじゃない? それで、あの人が地元のこっちに住まいを戻したとき、一緒の高校に通わせてみようかって話になったのよ。お互い無理なさそうだし、何より本人たちがお嬢さま学校に乗り気だったからねぇ」
「そ……っかぁ……」
じゃあ、咲姫との出会いは仕組まれたものだったのだ。そう思うと、運命では無いという点でちょっぴり寂しいような気持ちになる。
「そういえば、ずっと昔、あんた、咲姫ちゃんがお気に入りだったの覚えてる?」
「えっ……?」
それは完全に初耳だった。記憶にもない。僕はてっきり、入学してクラスに入ったときに初めて咲姫に会ったのだと思っていた。
「うんと小さい頃で、会ったのは一度きりなんだけどねぇ。別れてからもうしばらくは、咲姫ちゃん咲姫ちゃんって、泣いてあたしを困らせたものよ。そのときは花園さんちが遠かったから、二度目に会う話は高校に入るまでお預けだったんだけど……。中学の頃は向こうもバタバタで忙しかったし」
「全く覚えてない……」
「まあ三歳だかそのくらいかしら。でも、今思えばあの頃からあんたはレズだったのね。あれは完全にホの字だったわ」
「そうだったんだ……」
もはや運命なのか必然なのか分からなくなってきた。
「でも、なんでそんな話をこのタイミングで?」
「入学してちょっとしたら話そうと思ってねぇ。まあ、深い意味はないけど、黙ってるだけってのは性に合わないのよ。だから今、ネタばらし」
にししっと笑う彼女。
それっきり、その話題は終わってしまって僕らはいつもの他愛も無い会話をするたけだった。
しかし、頭の中を巡るのは咲姫のことばかり。
咲姫との関係は、親に仕組まれた恋だったんだなぁ……。
まあでも、そんなのは関係ない……と思いたい。
譲羽の一件で、かなり精神に堪える物があったけれど、それでも僕は、咲姫も、みんなも大好きなのだ。




