第87話「百合葉のトラウマ」
授業の間の休みはトイレに籠もったり、昼休みは外をぶらぶらしたりして、僕はなんとか美少女たちから逃れることが出来た。早く、彼女らの煮えたぎる熱を冷ませるように、今日という一日を乗り越えたいところだったが……。
「やあ藤咲。ちょっとそこで話さないか?」
なんて焦る僕に、渋谷先生が人気の少ない廊下の隅を指さす。まさかレズレズ展開じゃないよね……? 美女も美熟女も好みの範囲内ではあるけど、今はちゃっと勘弁かなぁ……。
「休み明けの試験。仄香も譲羽も平均点を越えたみたいでね。週明けにはきっと良い結果が見られる筈だ。きっと君のお陰だろう?」
完全に杞憂だった。いくら、レズい展開が続いたとは言え、レズ妄想を暴走させていたのが恥ずかしい……。
「いやぁ、大したことはしてないですよ」
泊まりがけで二日間だから大したことなんだけどね。でも、日本人の性なのか、謙虚に出てしまう。
だが、そこで予想外にも、「大したこと……ね……」と、先生が言葉を反芻する。蘭子の伯母であることは旅館で発覚した事実だけれども、表情が消えて考えるような仕草になると、途端に蘭子に似だすのはちょっと困る。うっかり惚れてしまいそうだ。
「勉強が途端に出来るようになったのはいいが、ちょっと見てて君たち、やたらと仲が良くは無いか?」
「……? 良い事じゃないですか」
何を言うんだと疑問顔を向けると、先生が微妙な顔をする。
「仲が良い……それ自体は良いんだ。女子高生のイチャコラを見るのはわたしも好きだしな。ただ、その仲というのが、女子同士のイチャイチャを通り越して……やや過剰に見えるが……。全体的にな」
「え、う~ん……」
そういえば、授業の合間とか百合百合を通り越した感じはあったかもなぁ……。女の子を口説くのが当たり前な茜さんと葵訓を筆頭に、クラス全体が百合に違和感が無くて感覚が鈍ってしまったのは否めない。
「ともかく、女同士のいざこざというのは、めんどくさいものだからね。気をつけるんだぞ。一対一で済むならならいいんだが」
そう言って、彼女は僕にメモを渡す。なんだろうと思っているうちに、先生は立ち去ってしまった。なになに、『活動報告書』?
写真部の活動をまとめよとの令だ。なんとタイミングが良いのか悪いのか。ともかく、美少女たちからの猛攻を避ける為の言い訳にさせてもらおう。
※ ※ ※
みんなが待っている部室に着くなり、僕は放課後の部室の隅で作業をしていた。
僕がせっせとパソコンを叩く指を止めないものだから、みんな話しかけてはこないけれど、それぞれが時間を潰すこの沈黙がやけに耳を刺す。お互いがあまり話すことなく、ピリピリとした空気が漂っている。
ささっと終わらせて帰るしかないよなぁ。
僕は頭をポリポリ掻きながら、ディスプレイの文字と睨めっこ。
「さて……どうしようかな……」
「なんの書類だ?」
僕が一人呟くと蘭子が声を掛け、ようやくこの場の空気が壊される。他のみんなはこのあと蘭子がどう出るのかという様子見だ。
説明しようと画面を指差すと、彼女は僕の肩に腕を回してきたり。そんな至近距離で覗き込んでくる彼女にドキドキしてしまう。薔薇のシャンプーの香りに紛れて、彼女自身の匂いまでわかるほどに近い。この子はわざとらしいまでにパーソナルスペースを詰めてくるのだ。前からそんな子だったっけ? 僕に対してだけ? それはそれで嬉しいけどさ。
「校長とかに活動をアピールしたいから、合宿の写真をまとめて、説明を付けたファイルを提出なんだって。まあそんなに難しくはないけれど……」
「そうか。一般的には、そういう活動は写真の大会とかになるのだろうが、素人の集まりではそれも難しいからな。実績を少しでも積み上げる必要があるのだろう」
「そうだよねぇ。僕らじゃあこの先だって、展示くらいしか出来なさそうだし」
でも、この学校の他の部活は、もっと自由なイメージだったけれど。意外と細かいことはやってるのかなと思う。男装女子部の活動内容は、衣装文化の研究とお茶会でのもてなしだとか。
隣に蘭子が居てはあまり集中も出来ないだろうと。簡易的に写真の説明文を添えて、僕は部活の活動実績ファイルをこれで完成ということにした。まあそんなに深く掘り下げてもしょうがないだろうし。手直しが必要ならまた先生に言われるはずだ。
僕は蘭子の手をほどいて立ち上がり、先生から借りていたUSBをパソコンに刺す。データの移動を手慣れた操作で終わらせ、電源を切ろうとすれば、距離を置いていた蘭子が今度は僕の真後ろに。なんなんだこの子は……。
「背中に密着するの、やめてもらえる?」
「狭いのだから仕方無いだろう」
言いながら蘭子は、ワザワザ長机に追いやられた狭いスペースに居る僕に、より一層くっついてくる。セクハラ臭プンプンの嫌な気しかしないのだけれど、何だか可愛いので適当にあしらおう。
「ここ満員電車でもないんだからさ、向こう行っててよ。急いで作業終わらせるから」
「そう冷たいことを言うな。今はなんだか、少しでも甘えたいんだ」
支える様に僕の腰へ両手を添える蘭子。甘えたいだなんて珍しいが、彼女は何事もないかのように至って落ち着いて、部室奥でデジタルカメラを弄っていた譲羽に顔を向ける。
「譲羽。今の私達を写真を撮っておいてくれ」
「えっ……? あ、うん。イイケド……」
戸惑いつつも譲羽が、パシャリとシャッター音を鳴らす。
「ねぇ……。こんな姿撮ってどうしようっての?」
「良いから。一度、パソコンから離れて机に手を置くんだ」
「はぁ……」
何だろうな――と思いつつ、言われた通りにする。実害は無い……はず。でも、あれ? これってすごいセクハラ感が強いような? 少し腰を揺らしている彼女。
「おげっ……。蘭たん、それはちょっとなぁー。趣味疑うわー」
「わ、わたしは何も見てないわよぉ……」
声を上げた彼女らを見やれば、仄香が苦笑いをさらに曇らせつつあり、咲姫は手のひらで目を塞ぐ。当然、指の隙間から覗いているのは可愛らしいお決まりである。う~ん、純情ぶる咲姫ちゃん可愛い!
「この姿勢は予想以上に興奮するな」
「なん……なの?」
僕が訝しげに訊ねると、彼女はニッタリと笑いながら口を開く。
「たかだかこんな真似事の姿勢なのに、まさかこんなにもソソるモノだとはなぁ」
「はっ……!? アンタ馬鹿じゃないの!? ホント馬鹿じゃないの!?」
ボカした蘭子の言葉であっても、やっと意味が理解出来た。今まで蘭子に受けてきたセクハラシリーズの中でも一番不快感があるのでは無かろうか。いや、今までみたいに直接的では無いけれど、ドン引きだ……。
腰を揺らす蘭子。今まではまだ可愛いモノだったけれど、これはちょっと嫌……。
「何故、私には……付いていないのだろうね」
「知らないから離してっ!」
「決まっているではないか。私がレズとして人生を全うする為さ」
「自問自答してんじゃないよっ!」
「出たー。蘭たんのレズジョーク。でもほどほどにしときなよー」
ひきつりつつも、なんとか空気を整えようと仄香が一声。彼女は1対1でも無い限りは、シャレにならない下ネタは避けるみたいだ。
僕は不快感を露わにしつつ、彼女をポカリと叩こうとする。しかし、反射神経の良い彼女に届くはずもなく。あえなく捕まってしまった。
「おおっと。百合葉たんの両手を手に取れたぞ? 君が顔を真っ赤に歪ませて、さらにこの体勢。写真を見るのが楽しみだな」
いつもの悪ノリだと分かっているのに、流石の僕も冷や汗が止まらない。思考がグルグルと混乱してくる。
――『コイツ、女の癖に自分の事を『僕』って言うんだぜ!』――
??? 何だろうこれは……。
『顔も女っぽくないし、ガサツだし、本当は男なんじゃね?』
霞がかった僕の脳裏に映像が流れ出す。
『みんなで男かどうか確かめるか! 後ろは押さえとく!』
マズい……。こう無理やりな姿勢だからか、過去のトラウマが……。
「や、止めて……!」
『触っても何もねえ。付いてないみたいだぜー!』
『脱がさないとわかんねーだろ』
『裸にしちゃえ!』
身体を左右に揺らし、脱出を試みる――も、恐怖に怯えきった手には、振り払う力なんて残っていなかった。
「そう激しくするな。本当に興奮してしまうではないか」
……いや違う。今、僕を抑えているのはあくまで美少女だ。早く……彼女の下ネタにツッコミを――――。
くっ……。笑顔が取り繕えない。女の子達が見てる前で弱い所を見せてはいけないのに。彼女のドギツい冗談を笑い飛ばしてあげないといけないのに……。
「百合葉……ちゃん。辛ソウ……」
「ねえ蘭ちゃん? 流石にその位に……」
譲羽と咲姫が心配そうに顔を覗いてくる。駄目だ。今の顔は見せられない。顔を背ける。
「ああ、やり過ぎてしまったか? このくらいで勘弁しておこう」
手首に掛かる力が弱まり、少しダラリと下げられる。
「普段からセクハラするあたしが言うのもなんだけどさー。今のセクハラはキツかったんじゃない? ちゃんと謝ったほうが良いと思うような……」
僕の雰囲気を読んで、普段は脳天気な仄香も蘭子に謝罪を促す。雨の日に窓から覗く風景みたいに視界が滲んでいて、彼女らの表情は伺えないけど、今の僕は、きっと見せられないような顔をしているのだろう。
「ああ百合葉、ごめんよ。君とふざけるのが楽しくて、つい調子に乗ってしまった」
真摯な声で謝る蘭子。しかし、すでに回想の海へと舵を切ってしまったトラウマの情景が、流れるように僕の記憶の奥底から浮かび上がる。
『泣いてやんのコイツ』
『ほら、これでもしゃぶって元気出せよ』
『あ、俺も後で!』
水の中へと溺れるように現実が揺らいで、駄目だ……もう……。
「ああ、百合葉……。ごめん……。本当に……」
珍しくオロオロとし僕の手のひらをさする蘭子の手。引き留めつつも、宥めるように柔らかく握っていた彼女の手が一瞬、僕を解放したとき、
『いてっ! 頭突きしやがった!』
『コラッ! 待ちやがれ!』
その途端に僕は、廊下へと走り出していた。




