第82話「スウィートピーチの香り」
言葉は交わすことなく、時計の針が秒を刻む中でベッドに並ぶ二人。横たわる僕の隣には咲姫が居る。いつの間にか彼女は僕を避けるようにそっぽを向いていて、彼女自慢のロングウェーブが目の前に。漂う仄かなスウィートピーチの香り。そんな甘い匂いが僕を包み込むから、深呼吸が捗りすぎて過呼吸になってしまいそう。
「百合ちゃん……もう寝ちゃった?」
背中越しに彼女の声がする。僕の事を意識し過ぎて眠れないのかなぁ。だから僕に背を向けてたり? 無言でいると、どうしても人の心理を探ってしまう。僕の悪い癖。
しかし、相手の事を考えてしまうそのお陰で、何となく気持ちも察し取れる。彼女のもどかしく揺れる想いを肌で感じ取れるような気がする。だからこそ、ちょっかいを出してみたくなるもので……。
「うーん……」
「はひゃっ……」
咲姫の背中に顔をうずめる様に、僕は寝返りを打つ。あえて額と鼻の先を咲姫が感じ取れるように当てておく。決して匂いを嗅ぎたい訳ではない――ああ、白無垢のドレスをまとったお姫様が夢に出てきそうな、プリンセスパールアンドドリームの香り……待て、どんな香りだろうそれは……。
――すんっ。
あっ……。良い匂い過ぎて、ついうっかり鼻を鳴らしちゃった……。テヘッ!
「……百合ちゃん絶対起きてるでしょ……」
呆れるように問い掛けてくる。寝たフリを続けるべき? ……いや、この後の展開を考えるに、むしろ攻めることによってプラスへと働きかけられそうだ。
「バレたかー」
少し間を起き、おどけた返事をする。
「バレるわよ、もうっ……。人の匂い嗅がないでよねぇ」
「だって咲姫、良い香りなんだもん」
「そう……?」
「何だか安心するっていうか、リラックス出来るっていうか……ずっと嗅いでたいなぁ」
言うと共に、頭を彼女の背中に擦り付ける。
「そっかぁ。百合ちゃんは変態さんだったのねぇ〜」
「そういう訳じゃないんだけど、咲姫の匂いだから……」
おおっと、これは結構きわどいギリギリを攻めてしまったかな。イケないイケない。
僕の言葉を聞いて、「わたしの匂いだから……」と咲姫が呟く。僕の恋愛感情はバレちゃあ駄目なんだけれど……。まあこの位ならば恐らく吉と出る。そう願いつつまた彼女の匂いを嗅ぐ。
「やっぱり変態さんだぁ〜」
言いながら彼女は再び寝返りを打ち、僕の方へと向きだせ……ば……!?
「じゃあ、そんな変態王子様が安心して眠れるように、寝かしつけてあげるわねぇ?」
「わっ……!」
突如として目の前に現れた咲姫の顔が、今度は視界から消えてゆく……違う。僕の頭を包まれ、咲姫の胸元へグイッと落とし込まれたのだ……っ。
「王子様とは言え、変態さんに襲われたらやだなぁ〜。脇の臭いとか嗅がれたくないなぁ〜」
半分期待するように咲姫が言う。襲わせる気満々じゃないか。でも僕から手を出せばカウンターを仕掛けて襲い返してくるんでしょ知ってるよ?
お望みに沿えず残念だけれど、王子様は演じようともその様な変態にはならない。僕はただ純粋に、美少女と良い香りが好きなだけである。変態じゃない、変態じゃないさ。
「とにかく、早くおやすみなさいね?」
「あふ……」
リラックスどころが、張り裂けそうに高鳴る鼓動がもうバックバクだ。平静を保て僕……。ああ、桃とお姫様な香りが……というかそれ以前に、ちょっと息苦しい。胸の奥もハッピーで苦しい。
目の前には、小さいけれどノーブラなお胸が……。普段から肉欲に駆られない僕であっても、女の子の柔らかさというのにはどうも勝てそうにない。頬を擦り合わせ、布越しにほにょっと伝わる、微かな胸の膨らみを肌で堪能してしまう。弾力もサイズも僕に劣るのは今やどうでも良い。
「百合ちゃんくすぐったいよぉ〜」
「咲姫がやったんでしょ? というか、ちょっと苦しい」
「あ……っ。ごめんねぇ……」
僕の頭が開放されるも、その片手は僕の背中へ――僕を抱きし寄せる形を取る。すると、どうなるか……顔の距離はもう僅かしかないのだ。橙色の薄闇にあっても彼女の整った顔が伺え、鼻息が荒くなってしまいそう……ダメダメ、そんなの汚い。僕のイメージにもそぐわないし、出来るだけ冷静に……。
「咲姫……近い……」
「うふふっ……。こうしてるとカップルみたいよねぇ?」
咲姫の手が僕の背中を撫でる。
「カップル並みに仲が良いって事でしょ? まじサイキョーじゃん」
「何それぇ〜、ほのちゃんみた〜い」
当然の様に僕は茶化す。誤魔化したことにたいして追及はしてこない。うん。良かった良かった。
「そろそろ寝よっか」
僕は「フフッ」と静かに笑いつつも、デリケートなこの話題をしっかり遮断する。彼女は僕の背を撫でながら、コクリと頷く。
僕ばかりが背中を撫でられているのでは格好が付かないので、咲姫の頭に腕を伸ばす。触れた途端に彼女が「うゆぅ」と心地良さそうな息を漏らすので、思わずのぼせてしまいそうになったが、その熱くなる気持ちは抑えて、クールで紳士的におやすみの合図を送る。
「夢で会おうね? お姫様?」
「朝起きたらちゅーしてね? 王子様?」
王子王女ごっこのクサい茶番を繰り広げる。このやり取りをそれぞれが本気にしている事は、僕だけが知っている事実であって欲しい。
――お互いの寝息が聞こえるまで、額をコツンとぶつけ、鼻先をチョンと当て、そして、手でワサワサと擦り合っているうちに僕らは深く眠りに就いていた。




