第79話「咲姫の家」
「あそこっ! わたしの家!」
「うわ、傘が壊れたっ! 急げ~っ!」
咲姫のお嬢さま風な折りたたみ傘を犠牲にするわけにいかず、僕の愛用カエル君傘で二人寄り添いながら、土砂降りをくぐり抜けていく。歴戦の勇者は遂に骨を二つ折って上手く畳む事すら出来なくなり、辛うじて雨を凌ぐだけの物と化していた。もう買い換えどきなのだろう。今までありがとう。カエル君。
ボロボロの傘はもう使わないだろうと乾かさず無理に縛り上げて、外玄関の隅に置いておく。僕らは体の雨水を払いながら咲姫の家に。
「あーあ。中まですごい濡れちゃったよ……」
「ゆ、百合ちゃん……っ」
「んっ? 」
「い、いやぁ……。なんでもなぁい」
なんだ? ああ、ブレザーを脱いだらめちゃめちゃ透けてるじゃん。僕の下着が透けるくらいで、興奮するような彼女でもないだろうに。
いや、透けるのは嫌だと咲姫に言われてたんだった。でも今は誰も見てないから大目に見て欲しい。だってジメジメしてるとホントに気持ち悪いんだもん、あれ。どうせ女子校だからと、つい油断してしまう。代謝が良いのも困ったものだ。
それとも、もしかしてお風呂に入ることを期待されているのだろうか。正直言って断れる自信がないよ? レズレズタイムになるの? セクハラは嫌だよ?
パタパタと走りタオルを取りに行った咲姫を待つ。着いた咲姫の家は本当に誰もいなくて、雨の音ばかりが響き寂し空間だった。確かにこれは、一人で居たくない。昔、嵐の夜に家でお留守番だった怖い記憶とか思い出してしまう。
「おまたせぇ~」
髪を拭きながら彼女が出てくる。いつもは軽やかなウェーブも、今ではしっとりと水気を含んで垂れ下がっていた。薄ピンク色のキャミソールの上に見える鎖骨に髪の毛先が掛かっていて、そんな普段と違う様子が余計に色っぽく見えてしまう。
「ありがと」
僕は受け取ったタオルで頭と体を拭く。ふっかふかな綿生地が柔軟剤でふんわり華やぐ。安心するこの匂いは当然、馴染みがあって……。
「あぁ~咲姫の良い香りだぁ~」
「ゆ、百合ちゃんっ! 恥ずかしいからそんなこと言わないで!」
「あっ……ごめんごめん」
完全に無意識だった。僕って匂いフェチなのかもしれない。
晩ご飯としてインスタントの卵スープで温まり、トーストとレタスとトマトのお手軽サラダを食べたあと、手際が良いことにお風呂の準備が出来上がっていた。なんと出来る嫁なんだ! 結婚したい! 結婚してくれ!
しかし、この後の展開にもちろん不安を感じるわけで……。
「咲姫、身体冷えたでしょ。お先に入りなよ」
「駄目よぉ百合ちゃん。待ってる間で風邪ひかれたら困るもの。一緒に入りましょ?」
案の定であった。百合神様の采配かもしれない。
「それとも、"わたしとは"一緒に入りたくないのぉ?」
さらに僕が四の五の言えないように間髪入れず追加の一言。この様子だと、仄香と譲羽とは入ったことを悟られているのだろうなぁ……。こんなにも勘が鋭い子を嫁にすると浮気できなくて困りそう いや、僕がするのは浮気じゃなく公認のハーレムなんだけど。
「そうだね。どっちが風邪ひいても嫌だし、大丈夫なら入ろっか」
「うんっ!」
ああ、良い笑顔だ。でも、その裏の顔を知っているだけに少し怖い。彼女は自分の恋のためなら、手段を選ばないのだ。大丈夫かな僕の純潔。
軽くシャワーで体をすすいでから二人、浴槽に浸かる。先に体を洗いたかったけど、体をあっためるのが先だという咲姫の提案であった。
この白い入浴剤は体を隠すことが出来てちょっと安心。温泉で見られているとはいえ、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。咲姫のスタイル抜群な細さを見ちゃうと余計に……。
「咲姫は体洗う前にお風呂に入るタイプ?」
「そうねぇ。温泉みたいな公共の場ならちゃんと洗ってから入るべきでしょうけど、後に入る人が居ない時は、こうやって、頭と体の皮脂を浮かしてから洗った方が良い感じがしてつい……。一緒に入るのに、悪い癖が出ちゃったぁ……」
「なるほどねぇ。ある意味、美容の秘訣なのかもね」
「えへへぇ~」
小さなリボン付きのお風呂キャップ越しに、頭を撫でながら褒めてみる。いや、心から彼女のことは尊敬しているのだ。細かい努力も怠らないことが、彼女が美少女たる所以であるのだろうから。
二人で上手いこと脚の位置を組み合わせて浴槽に入る。あれやこれやと美容について色々質問していると、だんだんポカポカしてくる体。春の日差しのなか長時間歩いたみたいに、じんわりと汗をかいてきた。彼女もまた、額に細かな汗を滲ませている。
「さぁて百合ちゃん。頭と体洗ってあげるわねぇ~」
「いや自分で洗えるよ?」
「それでも背中は洗いにくいでしょ~。遠慮しなくていいからぁ~」
他人に体をあれこれされたくない僕は当然断るも、食い下がる彼女。やっぱり押しが強い……。
「で、でも……自分で洗った方が効率とか……良くない? 各自で洗おうよ」
「他の子たちには洗わせたのにぃ?」
「そ、それは不可抗力で……だってさ」
「でももヘチマもありませんっ! 百合ちゃんせっかく色白なのにお肌のケアとかサボってるでしょ。正しい洗い方を教えてあげます!」
「は、はい……っ」
流石は美容に詳しい咲姫ちゃん。僕がスキンケアをよく考えてないことがバレてしまった……。しかもそんな前のめりで言われちゃあ……断りようがないじゃないか……っ! しかもしかも! 腕に咲姫ちゃんの小さいおっぱいが! わざとじゃないよね? わざとじゃないよねっ!?
仄香のようにおふざけクソレズ娘や、蘭子みたいなセクハラクソレズ娘と違って、彼女は強引ながらも逃げ道を隙なく埋めてくるから逃げようがない。くっ……、頭と勘が鋭いぶん彼女の相手が一番大変だ。
彼女がシャンプーの液を手に取り、少量のお湯と混ぜて泡立てる。ああ、やはり先に泡立てるのが正しいのか。僕なんか去年まで髪の毛にダイレクトだったから、ずいぶん泡立ちにくかったのだ。試行錯誤の末に手のひらで泡立てる事に行き着いたけど、正解だったみたいでホッとする。
ガシガシ――なんてガサツな洗い方ではなく、マッサージされているかのような、優しい感触だ。ふんわりとまろやかでフルーティーな桃の香りが辺りに広がる。
猫っ毛対策の洗い方伝授してもらっているうちに、僕の髪はトリートメントまで終えてしまった。交代だなと僕はシャンプーボトルに手を伸ばすが……。
「百合ちゃんは手伝ってもらわなくてもいいわよぉ? 自分で洗った方が確実だしぃ~」
「え……」
「わたしの髪って扱いが大変なのよ。だから百合ちゃんは待っててねっ?」
「う、うん……」
そんな可愛らしくウィンクを飛ばされたら従っちゃうに決まってるじゃないか。つまりは一方的に洗ってもらえるというのだけれども、なんだか納得がいかない。
お風呂キャップから舞い落ちる湿った髪の毛の束。光を反射して彼女の白肌に吸い付く。いやらしい気持ちはさっぱりなく、やっぱり美しい子だなと思う。
あまり音を立てずに洗う姿をじっと見つめる。そうしていると、彼女は体をよじり腕で体を隠す。
「あんまり見ないでよぉ~」
「別に良いじゃん。咲姫だって僕を散々見てるんだから」
「でもジロジロ見すぎぃ~っ!」
「いたぁいっ!」
目に泡がっ! 彼女が塊の泡を投げたせいで視界が失われてしまった! どうして僕は何度もお風呂場で視界を失うんだ! さっぱりともフェアじゃない!
仕方なしに僕は耳に集中する。とは言っても、聞こえるのは僕の鼓動ばかり。恥ずかしいのもあるし。
そんな僕はほったらかしに咲姫は、シャンプーし終えたのかシャワーのノズルを回す。
「さあ良いわよぉ。ごめんね、痛かったでしょ~」
「咲姫がやったくせに……」
「何か言ったかしら?」
「言ってない言ってない! だからシャワーを冷水にしないでぇーっ!」
どうやら僕はお風呂場で美少女にいじめられる運命みたいだ。嫌な運命だなぁ……。
そうして次にはとうとう来てしまった禁断の体洗いっこタイム。まん丸な泡立てネットにボディーソープをかけてシャコシャコ泡立てる。すると、またもや桃の甘い香りが漂ってきて僕はそれだけでくらくらしてしまいそうだ。こちらもまた咲姫の香りであることを鼻が覚えているぶん、どうしてもドキドキが止められない。でも……。
肉体的な展開には発展しませんようにっ!




