第69話「デッデレデッ」
真ん中に広く空間が出来た六畳間の部室。椅子が四つ並べられる。
窓側から、仄香、譲羽、僕、蘭子、咲姫の順に椅子で囲った円の中に収まる。その人数と椅子の数は合っておらず、みんな立ったままである。
「折角だから、三回座れなかった人には罰ゲームを与えよう」
「イイねー! なんにする?」
蘭子が提案し、仄香が賛同。こういう場合は嫌な予感しかしない。
「今日一日、一番少なかった人の膝に座る――だな」
「なんで僕を見ながら言うの……」
「決まっているではないか。私が君を負かすからさ」
「やれるもんならやってみなってーの」
そうは言いつつも、負ける未来が目に見えているのはなぜだろう――蘭子ならやりかねないからだろう。そんな自信満々な彼女に対し、仄香が異を唱える。
「でもそれじゃあ体格差が辛いぞぉー」
「じゃあ跪いてその上に勝った人が座るのはぁ〜?」
「咲姫はドMなの? ドSなの?」
「う〜ん。咲姫ちゃん、ディープな話はよく分からないかなぁ〜」
「自分で言っちゃってるし……。なんか酷い罰だけど、二択で異論は無い?」
「イイ……」
「オッケーイ!」
「うむ」
譲羽、仄香、蘭子が賛成を示す。
「百合ちゃんの背中は、私が独占するからねっ?」
「なんで咲姫も自信があるの……」
「だって私はお姫様でしょ〜? クイーンよ? クイーン」
咲姫が「強そうじゃない?」と言いながらウィンクを飛ばしてくる。
……意味が分からないので、とりあえず可愛いという事で済ませておきましょう。写真に収めたいよねっ。
「さて、始めるとするか」
「押すよ?」
イヤホンジャックが繋がれたスピーカーから、厳かなヴァイオリン調べが鳴り始め、僕は円の中に入る。五人が椅子に囲まれた中をグルグルと回っている。
「ヴィヴァルディの四季、冬の第一楽章か。曲の途中から流れ出す設定なのだな」
「せいかぁ〜い」
歩きつつ言う蘭子にほっぺたの前で丸を作りだす咲姫。そんなところまで可愛いのでやめて欲しい。前方不注意になってしまう。
「蘭子、よく分かったね」
流石は蘭子だなぁ――と僕は感心する。クラシックの教養でも身に着けているのだろうか。
「この曲ならテレビで聴いたことあるわー」
「結構有名……」
「知らなかったのは百合葉だけか。バーカバーカ」
「なんなの今日のアンタ……」
感心取り消し。この娘は僕をイジる為なら、子供っぽい煽りまでしてしまうのである。
その様に呆れていると、いつの間にか音楽が止まっており……。
「よしっ。まずは百合葉が一回目だな」
「あっ……! 会話に気を取られてッ!」
「言いワケは駄目ですー。まじ許すまじですー」
「マジマージユルスマジ……」
「マジ許すマジ!」
「それはどちらとも捉えられるよ?」
特に言い訳するつもりは無いけれどね……。そんな中、咲姫が星でも出すかの様に人差し指をクルンクルンッと回すと……?
「言い訳って良いわけぇ〜? ってねぇッ!」
その言葉に、シンと空気が凍る音がした。
「咲姫ちゃん、ソレハ……」
「ツマラナイ……な」
「言い訳って良いわけ……。イイワケ……。プークスクス……」
「蘭ちゃんひどぉい! 仄ちゃんも笑わないでぇ〜!」
「大丈夫、大丈夫だよ。可愛い、可愛い」
「なんだか慰められてる気がしないんだけどぉ……」
そうは言いつつも、「可愛い」を連呼しながら撫でてあげれば「はにゃ〜ん」と言い、蕩けた表情を見せる咲姫。
この娘はどんだけチョロいんだ……。彼女の将来が不安でしかない。ならば、僕が守るしか無い――と決断したのでした。
一通り撫で終え……というのも変だけれども、咲姫が元通りになるのを見るや、僕は再生ボタンを押す。クラシックの割りに軽快なリズムでつい、歩みの調子を合わせてしまう。
「デッテレデッ。デッテレデッ。デッテレデッ! デッテレデッ!」
仄香が「デーレデレデレ」口ずさみながら、歩調を合わせる。とても阿呆っぽい。アホの娘仄香ちゃんアホ可愛い。つい僕も『デレデレ』しちゃう――違う気がする。
「ベートーヴェンの……第七辺りだったか?」
「そうそう。この曲もテレビとかで有名なのよねぇ〜」
「えっ……? 知らないんだけど……」
「テレビ……見なくても、知ッテル……」
「デーテテレテレテレテテテレレレ」
自分の無知に焦りを覚える僕なんか余所に、相変わらずピョンピョンとスキップする仄香。可愛いけれど、そんなノリノリでは油断するのも当然であり……。
「デッテレデッテレデホゲェッ! しまったぁーッ!」
お決まりの様に、仄香が座れないのであった。
「ぐぬぬ……。てゆーか有名な曲ばっかで、さっきーは本当にたしなむ程度なんだね。というよりは、にわか?」
悔しさを紛らわす為か、咲姫に羞恥の矛先を向ける。
「うぅっ……! それは再生回数が多い順でぇ……」
「言わないでアゲテ……。咲姫ちゃんも背伸びしたいお年頃ナノ……」
「あ、ありがとねぇ〜。ユズちゃん……」
苦笑いしつつも、ゆずりんフォローに感謝する咲姫。まさか譲羽に慰められる日が来ようとは、思っていなかったのだろうなぁ。
「大丈夫、大丈夫。可愛い、可愛い」
とりあえずで、僕も先程と同じ様に慰めてみる。
「百合ちゃん、馬鹿にしてなぁい〜?」
「バレたかぁ」
「バレるわよぉ! もうっ!」
両手で軽くグーを作り、僕をポカポカ叩き怒り出す。バカップルみたいにデレデレ萌えてしまった事は、口に出してはいけない。
静かな曲に騙され僕がフライングしたり、トロトロとしていた譲羽が椅子に座らず僕の上に座ったり。その様な調子で、僕と仄香と譲羽が二回ずつ、咲姫が一回のアウトになってしまった椅子取りゲームも、終盤戦特有の緊張感が走りだす。
そんな中、余裕な蘭子が、という僕に怪しげな視線を送ってくる。
「そろそろ……最期にしようか。なあ、百合葉」
「本当に有言実行しそうだねアンタは……」
「蘭ちゃんを一回でもぉ……」
一度も負けになっていない椅子取り帝王に対し、「うぬぬ」と悔しそうに咲姫が言う。
「おっ……? 咲姫、やる気か?」
「あうっ……。お手柔らかにお願いしまぁす……」
だが、蘭子の鋭い眼光に咲姫は怯み竦んでしまった。
「ハァッ、ハァッ……。あんた達、ナカナカやるね……」
そして、他の皆がちょっとテンションが盛り下がっている中で、息を切らしている娘が一人。仄香ちゃんである。
「アンタは無駄に動いただけでしょ……」
そう。彼女は飛びつく様に椅子に向かうものだから、せっかく座れても、椅子ごと倒れたりしていたのだ。毎度毎度、怪我が無いか冷や冷やモノだ。
「じゃあ……始め……ルッ」
二度目の敗北を味わった譲羽が勢いよくボタンを押す。曲が開始され、ゆったりとしたオーケストレーションが流れる。
「『亡き王女のためのパヴァーヌ』か……。落ち着けて良い曲だよな」
「そうなのぉ〜! イライラしてる時に聴いてみたりするとリラックス出来て、私のお気に入りッ!」
なんと、思わぬ咲姫ちゃん情報だ。脳内にメモしておこう。『パヴァーヌ』と。あ、これ。後で絶対なんのメモか分からなくなるパターンだ……。
「蘭たんなんでそんなに詳しいの……」
「有名な曲ばかりだったぞ?」
「さようでっか……」
返す仄香に加え、黙々と歩く僕と譲羽は首を傾げるばかりである。良い曲なのは分かるけど、話については行けず。
まあ、それはさて置かなければならない。ここで負ければ、蘭子の膝の上でセクハラ三昧だ。曲に集中して……。
今だッ!
「今しかない」
何故か僕の脳内台詞に被せて蘭子の声が……。目の前の椅子に腰掛けようとした所に凄まじい勢いで蘭子が座り……?
「勝った……。私は勝ったぞ、百合葉」
「えっ、あ……。そんな馬鹿なぁ!」
お尻の下には、プラスチックとは明らかに違う、柔らかな感触。僕は蘭子の上に座っていたのである。
「ついでに勢い良く私の上に座ってくれた。これはこのまま離す訳にはいかないな」
言いながら蘭子は、僕のお腹に手を回し、しっかりとホールドする。
「蘭子ちゃん、優勝……」
「あーあー、おめでとう。机どーする?」
譲羽が指をくわえながら……そして、仄香はあからさまに嬉しく無さそうな面持ちで讃え、すぐに後処理へと会話を進める。やはり悔しいのだろうか。
「私はこのままで居たいし、みんなに重い物を持たせる訳にはいかないからな。来週まで立て掛けたままにしよう」
「まあ、それでも良いかもねぇ……」
咲姫もまた、不機嫌そうに言う。椅子に座り両手の平にあごを乗せ、明らかに退屈感をその身で表している。
そんな皆の姿を見渡し、立ち上がった譲羽が……。
「記念写真……」
なんの記念なのか。譲羽が僕達全員をカメラに収める。撮られる瞬間、落ち込んでいた咲姫が瞬時に写真映えを狙った決め顔を作り出したので、この子は本当にプロ意識の高い美少女だと思いました。
そんなカメラを一切気にせず、蘭子はふにふにと僕の感触を楽しんでいた。
「イイぞ、この抱き枕。凄く好い……。咲姫。パヴァーヌかけてくれ、パヴァーヌ」
「はぁ〜い」
咲姫は言われて『亡き王女のためのパヴァーヌ』を再生し始める。よしっ、タイトル覚えたぞ――今、気にする事では無かった。
「ヤバい、これはヤバい。安らげる、天国に昇れる。百合葉、今日から君は抱き枕だ」
そんな喜び浮かれた蘭子の口からは、意味不明なる謎迷言。しかし、抱き着くという定番の百合百合ではある。もちろん、大歓迎なのだけれど……。
「なんで物扱いなのかな?」
「ああ、でも。百合葉を包む布団にもなりたいな。疲れた百合葉を日々、癒やしてあげたい」
「癒やすってなんなのさ……」
思考回路が超次元過ぎて呆れそうだ。
「寝る時にもなればな? 一日中疎遠で二人の関係も冷めきってる訳さ。しかし、そこで私が優しく覆い被さり『今晩も離さないから』と囁くんだ。そうすれば、ほらっ。イチャイチャしているうちに関係もホットになって夢のような世界が……。素敵だろう?」
「アンタ頭大丈夫?」
抱き締められる心地良さに身を委ねつつも、続けざまに妄想全開、アホレズ丸出しな蘭子に対し、平常心を保ってツッコミをする。曖昧にでも断ってはおかないと、他の娘達への体裁が……ねっ? 当然、嬉しいのだけれど。
「大丈夫だ。無理なのは分かっている。だから、私の嫁に来ないか?」
「えっ……?」
全く脈絡の無いプロポーズに呆気を取られる。
「私の嫁に来い」
「いや、聞こえてるよっ! しかも命令になってるよ!? どうしてそうなんの!?」
「毎晩百合葉を抱く……抱き締める事が出来るし、温め慰める事が出来る。ほら、お布団じゃないか」
「意味分からん……」
意味は分からんが、ウェルカムではある。むしろ意味など不要さっ! しかし、ツッコまないと……ね? 他の娘達への体裁が……ね? ヤバい、三人の視線が痛い。
それにしても、クソレズ蘭子ちゃんの発言のぶっ飛びようは、ちょいちょい僕を笑わせに来るから困るもの。
その様なザクザクと刺さる猜疑の目に困惑していると、蘭子は僕の頭に鼻を押し当て、深く深呼吸しだす。
「嗚呼、素晴らしい。朝露に輝く可憐な花々の香り……」
「――ッ!? 臭いを嗅ぐなばかぁっ!」
恥ずかしさでつい蘭子を叩きそうになるも、両手ごと体を固定されているので叶わなかった。力も敵わないし。
「蘭子ちゃんばかりズルい。アタシも……」
「えぶっ……!」
譲羽が言いながら向かい合う形で抱き着いて来る――というか完全に頭突きであった。耐えろ僕のミゾオチ……。
「スバラシイ。ココロ安らぐフレッシュジャスミンノのカホリ……」
そして僕の体臭を嗅ぎながら譲羽が言う。
「蘭子の真似しなくていいから。つーか、なんなのアンタたちの表現力は……」
面白くて嫉妬。ついつい中二病回路が疼いてしまうなぁ……。この娘達と中二病トリオでも作れそうだ。




