第60話「旅館の朝」
「ほら仄香。早く起きなさいっ」
「やだぁーまだ眠いよー」
布団に潜り込む仄香をペシペシ叩きながら起こす。まさに叩き起こすという字面の割に威力が弱いのは、僕が美少女に弱いからだ。だって! 美少女に痛い思いをさせるなんて……! 僕には出来ない! ただ、やっていることはお母さんな気分だった。こういうお寝坊さんを起こす仕事は、是非とも咲姫ちゃんに「もうっ」とか言いながらやって欲しいものである。
「もう……」
なんて妄想していたら自分で言ってしまった。携帯片手にお茶を飲みながら様子を見ているだけの咲姫に目配せしても、僕の内心なんて悟られるわけもないので、彼女は微笑んで肩をすくめるばかり。ふふふ。まさか君が、僕の脳内でお母さんと化しているとも知らずにね……っ。いや、バレてるか。
「早く起きて朝バイキング行こうよ、ほらほら」
「へーん。学校が無いからまだゴロゴロ出来るもんねーっ」
そんな風に余計に身を丸め徹底抗戦の姿勢だ。どんなに叩けど揺らせど、仄香は起き上がらない。でも、昨日の遅くに起きていたとはいえ本当に眠いのだろうか。口振りからして、元気ハツラツにしか聞こえないんだけど。
どちらかというと、既に歯磨きも済ませている譲羽の方が眠そうだったり。ふらふらと立ったまま、目をこすっている。
昨晩は夜中に湖を見たあと、僕も譲羽も、そして夜這いをかけようとしていた仄香もすぐに寝たようだったけれど。僕はその前まで寝ていたから、そうでもないとして、あの二人はあんな時間まで寝付けなかったのだし、眠くて当然ではある。
「仄香、朝は明るいから朝だよな?」
僕が寝不足さんに苦戦していれば、ついに見かねたのか蘭子は、布団を頭から被り丸まっている仄香の横にしゃがみこみ、語りかける姿勢。なんと、心強い援軍だ。
「……そうだけどぉーお?」
「なら、カーテンを閉めれば暗くなる。つまり今は夜って訳だ」
「はっ? 天才かよぉー! まだ寝れるー!」
そうして、蘭子は立ち上がりながら言って、カーテンを閉め室内を薄闇に閉じ込めたのだ。なんでだ……手伝いどころか悪化しただなんて……。
「よしっ。今のうちに百合葉とイチャつこう」
「――ッとぉー! そうはさせまじ!」
「マジさせまじ……」
「そうだよっ! させまじのすけだよっ!」
手をイヤらしくわきわきさせる蘭子のセクハラ宣言に、ガバッと起き上がった仄香は、いつものように譲羽とよく分からないノリをしつつ、僕ににじり寄る蘭子に立ちはだかる。
「わたしも居るんですけどぉ~?」
当然、様子見だった咲姫ちゃんもその仲間に。蘭子がどうにかその三人の隙を突こうと左右にサッサッと揺れれば、それにつられて三人も揺れる。可愛いなぁ面白いなぁ。
そんな風に、四人が戯れるのを見ていれば、仄香のお腹がぐぅ~っと鳴ってしまい、笑いながら四人の攻防戦は終わりを告げた。
「うーん、おなかすいたなー。百合葉さんや~、ご飯はまだかのう」
「仄香お婆ちゃん何言ってるの? おととい食べたでしょ?」
「毎日食べさせてよぅーッ!」
珍しく僕がボケてみたり。仄香のツッコミも勢いがあって面白い。
「朝ご飯が無いとか、ねにみに水だわー。ビックリで顔洗わなくても起きちゃうわー」
「"寝耳に水"ね?」
「本当に水をかけても良かったな」
「顔にかければ洗顔できるし、一石二鳥よねぇ?」
「バケツ……汲んで……クルッ」
「うぇー、ちょち勘弁だぜー」
寝起きとは思えない饒舌仄香に皆がいじり倒す。こう、ボケとツッコミが入り混じってようやく、いつもの一日が始まったなぁと実感を持てる。
「冗談はさておきだ。早めに行った方がバイキングをゆっくり味わえるぞ?」
「仄香が楽しみにしてたもんね。旅館なのにパフェが出たり、和風スイーツで攻めてくるらしいよ」
「そうだった! シーツよりもスイーツ!」
抱きついていたシーツから飛び退き仄香の目が輝く。彼女もまた、甘いものが好きなのだから当然だろう。
「まーとりあえずぅ、目覚ましにプリンをいただこうかなー……おはおっぱい!」
「馬鹿っ! プリンじゃないわっ」
油断すればセクハラを受けるのだった。セクハラするためなら本当に強引な流れだ。
「フフフッ。こうする事によって、ゆーちゃんが万が一に男になっていないか、確認してるの……ですっ! 昨日、お嫁に行けないとか言ってたから、まさかと思ってー」
「なるわけないからねっ!? 早く準備しなさいっ!」
「へーへー」
こうして、騒がしい朝を迎えた僕らは、朝ご飯を食べに向かうのだった。そんなところで、
「……」
ああ、ダメだ。目を逸らされてしまった。
譲羽はどうにも不機嫌で、どうすれば良いものやら。




