第58話「夜這い」
枕の投げ合いを、酔いの冷めた渋谷先生が注意にくるまで続けた僕らだったけれど、橙色の電球が照らす薄闇の中、ようやく就寝に。
咲姫と蘭子は、普段から早寝のスタイルだと言っていた通りすぐに寝息が聞こえてきて。だが、僕は中途半端に目が冴えて、うとうとしかけたりまた目が覚めたりと繰り返していた。こういうのが続くと、次の日すごくダルくなって嫌なんだよなぁと、焦る気持ちを押し静め頭の中に無音で壮大な宇宙を思い描いてみたり。隣の咲姫が腕に抱きついてくるから、動けやしないのだ。妙にドキドキして落ち着かないのもある。
そんな、やっと眠れるかなぁと思い始めたころ。
「さむ……」
急に布団の温かさが遠ざかったような気がして、ゆっくり薄目を開けてみれば、僕を包んでいた布団は無惨にもはぎ取られている。咲姫の腕もいつの間にか解かれていて……? かわりに僕の上に四つん這いになっている影が。
「仄香? 今何時……」
「うーん。二時くらいかなー」
「なんだ、まだ真夜中かぁ……」
寝始めたのが十時なのだから、意外と時間が経っていたものだ。多少の疲れは取れた感じはあるけれど、まだまだ熟睡したい気分。
しかし、目の前で馬乗りになる美少女に、そんな文句も言えまい。
「何か……あったの? もしかして……お化けが出た……?」
自分で言いながら少し怖くなってしまって、目をこするのを止め、息を潜めるように周りを見渡す。
「そんなの……出てないよ」
「そ、そっかぁ。なら何? おねしょ? ……いたっ」
彼女はかなりしそジュースを飲んでいたからなぁと思い出しながら言うと、頭をペシッと叩かれる。
「分かってるくせに……」
「な、なに……」
僕は寝ぼけ頭をフル回転させて、彼女に責められるようなことがあっただろうかと思考を巡らす。……う~ん、あれれっ? ありすぎるぞ?
「今日だってさ、蘭たんにあんな痕まで付けられてて、さっきーとも何かあり気な感じだし、もうやだよ。我慢できないよ」
そうだ、それが一番だ。気付かれない訳がなかったのだ。
「我慢? 仄香トイレ我慢出来なかったの?」
「ばかっ」
ふざけてみれば、またも叩かれてしまう。僕はマゾじゃないけど心地良い痛みだ。愛を感じる。
「これでもね? 今までだいぶセーブしてたんだよ? でもあんなに二人が積極的に出るだなんて、思ってなかったもん」
「ま、待った……っ」
言って僕の浴衣を剥がそうとする。まずいまずい。急いで咲姫の腕を離し抵抗を。彼女が仕掛けてくるとは油断していた。こっちから攻略しようと思っていたけれど、僕に惚れている彼女は、常日頃お馬鹿キャラを演じて周りを和ませているだけではないのだ。その兆候は前から見せていたというのに。
「こんなことしたら、誰か起きちゃうよ……」
「さっきーも蘭たんもぐっすりだよ。ゆずりんは散歩に行っちゃったし」
「散歩……?」
「そう。寝れないときには外の風に当たるのが好きなんだってさー。いつものことだから、大丈夫……じゃなくて。うちらも静かにしてれば二人だって起きないからさ。ねっ? ちょっとくらいイチャイチャしたいなぁー」
こんな夜更けに一人で出歩くなんて心配だけれど……。今は譲羽を心配する余裕なんて持たされないようだ。
と、それよりも……。
優しく鎖骨をなぞり上げる指先。それは、僕の欲望を誘い出すかのような、優美で軽やかな蝶の仕草。
これって完全に夜這いってやつ? 流石に、すやすやと眠る美少女二人を横にして、そんなことが許されるはずがない。どう回避すれば……。
やがて、彼女の指が僕の首筋を這う。くっ……。ライトなキスくらいであれば受け入れるのに、なんでこんな本気なタイミングなんだ。咲姫蘭子と比べて彼女が一歩出遅れているのも気になるところ。ここで彼女は大きく踏み出す決心なのかもしれない。
でも……あーもうっ! こりゃあヤケだ! 彼女の好意を無碍にするのは心苦しいけど……っ。
「こんな夜中にユズが一人で散歩なんて、ほっとけないよっ。観光地だから、夜中にどんな怪しい人が居るか分からないんだよ……?」
うん、我ながらごもっともだ。というか、冷静になればそれ以外に無いじゃないか。もし彼女に何かあったらと思うと、身震いする。
「……そっか、それもそうだよね……。ごめん、あたし……どうかしてた」
僕の言葉で顔の血の気が引いた彼女はそう言って、馬乗りをやめて窓のそばへ。
「仄香も寝れなかったんでしょ? 甘えたかったのかもだけど、ごめんね」
なんて、天然ぶったフォローもかかさない。それは、甘えたいから一緒に"寝る"のか、性的に"寝る"のか気付いてないように、はっきりさせないよう誤魔化したつもり。こんなその場しのぎがいつまで続くか怖いものだけど。
「ううん、いーよ。ゆずりん心配だもんね」
彼女が素直に諦めてくれたと安堵した僕は、立ち上がり茶羽織を肩に掛ける。靴を履くときに振り向き、口にはせず、目で仄香はどうするのかと、投げかけると、
「ゆーちゃんだけで行って? 今ひとりになりたいんだぁ」
なんて、寂しそうに窓からの夜風を浴びていた。




