第57話「枕投げ」
眠くなってきたなぁと思いつつ、譲羽を膝の間に抱えたままゲームを続けていた。とは言っても、僕は横から覗き見てあれやこれやと口出す存在になっているけれど。向き合いながらゲームする必要性もないと気付いたのか、咲姫と仄香は僕の両隣に移動してゲームに白熱している最中。
「ただいま……」
「おかえり、蘭子。大丈夫だった?」
「ああ……。ほんの少しだが、介護の人の苦労が分かった気がするな……」
そこにぐったりとした様子で帰ってきた蘭子。彼女は、僕らの監督役である先生のわがままによって、二回目の温泉に行っていたのだ。酔った叔母に突然「温泉に入らせろっ」だなんて。酔いながらの入浴なんて命の危機もあるはずだから、蘭子も疲れただろうなぁ。
「やはりアルコールに強い人だからか、そんなに危険な状態にまではならなかったが、側を離れられなかったよ。結局また温泉に入る羽目に……」
手早く化粧水で顔を保湿した彼女はすぐに乳液を塗り終わってにタオルで巻いていた髪を乾かし始めた。シャンプーはしてないみたいだけど、毛先が濡れてしまっている。長い髪なのに二度手間とは大変だ。
「なにか話したの? 酔っ払いでも何かあるでしょ」
「まあ、大したことは無いさ。ちょっと酔いで上機嫌というだけで、普段の学校生活のこととかな……」
そこでドライヤーを止めた彼女は、思い巡らせるように言葉を切った彼女は僕へ真摯な瞳を向ける。
「とりあえず、以前より楽しそうで良かった……と言われてしまった。確かにそうなんだ。百合葉のお陰で、みんなのお陰で毎日が楽しいんだ」
「ふふっ。そりゃあどうも」
まさか、散々セクハラされたさっきの今で、こんな真面目に感謝されるとは思わなかった。飲んだくれで好感度だだ下がりだった先生には感謝しないと。
そんなふとした真面目トークに、咲姫は耳をそば立てていそうだが仄香は相変わらず、どりゃーだの、うわぁーだの叫んでた。譲羽もプロフェッショナルな指さばきで、ゲームに夢中なまま。いつの間にか三台目が参戦するという大変な荒れ模様だ。
「さてっ。ちょっとトイレ」
そんな、画面に注視したままの譲羽をゆっくり解放して、僕は立ち上がりつつ言った。
「そうか。なら私も行こう」
「すぐそこの個室だよ馬鹿っ!」
「ふっ。冗談さ」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめる蘭子。しかし、クソレズ覚醒してしまった彼女では冗談が冗談に聞こえないから、とても怖いんだよなぁ。
用を足して、僕はいつものように考える。
咲姫と蘭子との関係は、こちらから出向かずとも向こうからぐいぐいと押しに掛かってくる、飽和状態だ。個人攻略として、あの二人にはむしろ距離を取ってもらう方がいいかもしれない。
それよりも、やはり問題は仄香と譲羽だ。好意こそ僕に向いているようだけど、咲姫と蘭子の陰に隠れてしまうし、何より、同棲しているだけあって二人の結束が強い。それはそれでいいのだけれど、やはりみんなの一番が僕にならないと百合ハーレムは意味がない。
隙あらば、個人攻略を狙って行かないと。このイベントも気を抜けばみんなでわいわいと終わってしまう。
そう思い、手を洗った僕は、うるさい部屋へと舞い戻る。ゲームの割にはやたらとドタバタうるさくて……。
「みんなそろそろ寝ないと……うぶっ!」
僕の顔面に枕が投げつけられる。突然の強い衝撃に、暗転した視界をさまよい果てに倒れてしまう。
「ヤッタ……。百合葉ちゃん、陥落……」
「うふふ〜。百合ちゃん大丈夫〜? ばたんきゅ~かしらぁ?」
上から聞こえる咲姫の声。『ばたんきゅ~』ハマっちゃったの? 死語らしいけど可愛いのでオーケー。
僕は眼球の上からクリーンヒットしてしまったみたいで、視界がぼやけてよく見えない。そんな横にドスンと誰かが座り込んだ感触が。やがて倒れた僕の心臓に手を当て……いや揉みしだき、鷲掴んだかと思ったら……。
「……"脂肪"を確認しました」
開けていく視界の中、仄香が真顔でそう言っているのだった……。即興でそんな言葉遊びが思い付くあたり……この娘は本当にアホなのだろうか?
「うふふっ、ほのちゃんったら上手い事言ってぇ〜。胸の脂肪と掛けないで……かけないで……。はぁ……」
「さ、咲姫……。落ち込まないで。無駄な脂肪なんて要らないでしょ?」
「あら、わたしは何も言ってないけどぉ……? イヤミかしら」
なんて、まだ寝転がっていた僕に咲姫がにじりよる。危ない。スパッと立ち上がり僕は身構える。
「仄香、よく言った。面白かったで賞として、百合葉の胸をもっと揉んで良い権利を認めよう」
「な、なんだってぇー! いやっふぃいいいいいっ!」
「どんな権利ですか何様なんですかアナタ……」
それにいつも揉んでるじゃんと何度言えばいいのだろう。僕は手を伸ばしてきた仄香の腕を取って、払う……ところを、バランスが崩れて、壁に彼女を追いやってしまう。そして、僕の両手の平は肉の壁に……。やばい、揉んじゃった。
「やぁーん。ゆーちゃんのえっちー。サノバビッチー」
「ボサノバビッチ……」
「それだっ! ゆーちゃんはボサノバ系だったのだ!」
「意味分からないよ……。ってか仄香……ブラは?」
僕は布越しながらも、あのゴワゴワな生地感が無かったことを疑問に思って訊ねる。
「んー? あー、普段からお風呂上がりとか付けてないから、違和感無かったわー」
「だらしないなぁ……」
実に仄香らしい発言だった。とは言っても僕も家なら付けてなかったりするし、気持ちは分かる。苦しいんだよね? 痴女とかじゃないよね?
「まあ寝る前だから良いかもだけどぉ~。今まで結構時間があったわよねぇ……」
「ちゃんと付けておかないと胸の形が悪くなるぞ……と言いたいが、肝心の"山"が無いなら関係ないな」
「んんんーっ? 誰の胸が関東平野だってーッ!?」
「それを言ったら、刑事ドラマで犯人が自供する場所でもあるわよねぇ~」
「断崖絶壁じゃなぁーっい!」
「じゃあ洗い物するときには仄香を呼ぶね?」
「まな板でもなぁーっい!!!」
ずいぶん、貧乳ネタの豊富な自虐であった。イジりネタを次々出す僕らも大概だけど。
「あんたたち、ちょっと贅肉がついてるからってこんなにもあたしをヘコませて、ただで済むと思わないでね……っ」
「ヘコむ……か」
「だから胸はヘコんで無いって!」
「私は何も言ってないが?」
またも貧乳ネタで煽った蘭子に仄香の投げた枕が炸裂。しかし、当然ながら彼女はキャッチして仄香の胸に大打撃を与える。
「ぎゃーっ! ヘコんじゃうーッ!」
「自分で言ってるじゃん……」
やっぱり彼女は貧乳ネタでイジられてしかるべきキャラなようだ。
「ブラはともかく、そろそろ寝る準備もするか」
なんて蘭子は手際よく布団を引いていく。こういうとき、大柄で力があると、布団をまとめて持てるから良いよなぁと感心してしまう。
そうして蘭子が五人分、大ざっぱにひいてくれたあたりで……。
「ちょっと待ってもらおうか!」
「オウカ……」
「な、なんだ?」
「何かあった……?」
ポカンとする蘭子と僕に対し、平手を出してストップを掛ける仄香と譲羽。そのポーズのまま彼女らは鞄に向かって何かを取り出す……。
「じゃじゃーん!!!」
「……じゃーん」
と、二人が掲げたのは赤だの白だのピンクだのの生地で……?
「パジャマ?」
「なんだか色々あるわねぇ」
咲姫と二人で受け取って並べていく。全身を覆えるスタイルのようだ。
「たぬき、ひつじ、うさぎ、ニワトリ……と、トマト……?」
「のんのん。トゥメェイトゥ」
「と、とぅめぇいとぅ……これだけ動物じゃないのね……」
「それはあたしのだかんなー。一目惚れしたぜっ!」
「な、なるほど……」
可愛いパジャマを持ってきたものである。
「百合神様が今世に残した聖典によれば、このような物をパジャマパーティーに着るべき――と記されて……イタっ」
「ゆずりん曰く! らしい! から! 二人で買ったのだ!」
「か、買ったの……っ!? 高くなかった!?」
僕が問うと、「おおうっ……」と仄香が、「やっちまったぜ」と続ける。
「買ったのはウソ。ゲーセンで百円で取ったんダヨ」
「あからさまな嘘じゃない!? そんなホイホイ取れませんっ!」
ゲーセンのプロだとしてもそんなことを連続ですれば出入り禁止になるのではないだろうか。とにかく、ちょっと誤魔化し方が下手だ。
「どうか……気にしないで欲しい……。みんなを楽しませたいから、プレゼントなの……」
「そうよっ! うちらお金は余ってるもんねー」
お嬢様ではないと否定している割りには、羽振りが良すぎる二人だった。
「たぬきがユズで、羊が僕で……」
「うさぎが咲姫ちゃそちゃりんっ! 蘭たんたんはニワトリっ!」
「そして仄香がトマトなのね……」
「のんのん。トゥメェイトゥ」
「と、トゥメェイトゥ……?」
なんのこだわりがあるのだろう。可愛いんだけど、ちょっと気が抜けてしまう。
「私にニワトリは似合わないのではないか?」
「そんなこたぁいいんだよっ! 似合えば!」
「いや……だから、似合わな――」
「蘭たん、朝強そうだし!」
「まあ、そこまで悪くはないが……。理由は後付けということか?」
「それだっ! だから、蘭たんは似合うようにコケコッコーとか言うんだよ!」
「そんなもの、やる必要はないな」
「はっ? やらないの? ニワトリなのに? 悲しいなぁ。ニワトリさんが可哀想だなぁ……シクシク」
「蘭子ちゃん……ニワトリが泣いて、イルワ……ウゥゥ……」
演技だと分かるのに。そんな悲しそうに迫る仄香と譲羽なものだから、蘭子は根負けしたのか、恥ずかしそうに俯いてから……。
「……コケコッコ……」
だなんて。
「うっは、もうさいこー!」
「やぁ~ん。蘭ちゃんかっわいぃ~」
「これは珍しいね、蘭子がノってくれるなんて。かわいい」
「かわいい……ので、満点っ……アゲマス」
「く、屈辱だ……」
歯ぎしりする蘭子ちゃん。悔しいんだろうなぁ。せっかく可愛いのにもったいない。
「さあさあ、もう暗くするぞ。早く寝ないと」
そんな彼女が、恥ずかしさを紛らわすように言う。でも、確かにもう寝る時間だ。
「えぇー! まだ枕投げしたりなぁ~い!」
「もうちょっと……」
冷静にスケジュール管理をしようとする蘭子に非難轟々である。
そこに、咲姫が枕を自分の目の前に掲げ出す。
「蘭ちゃん、大丈夫よぉ~! この枕で真っ暗ぁ~。な~んてっ!」
「もう寝ないとまずいな。咲姫のギャグがつまらん」
「いや、それは元々だよ」
「ひどぉ~いっ!」
いや、ヒドいのは姫様のギャグセンスとタイミングなんだよなぁ。でも、その絶妙なヒドさがまた、可愛いもの。ニヤけてしまいそうだ。




