第53話「落ち込む百合葉」
そそくさと皆より先に着替えていた僕は鏡の向こうを見つめながらボンヤリとドライヤーをかけていた。
「はぁ……」
自然と出る溜め息。重たい胃。先ほどの恥ずかしさの余韻で、力の入らない手足。
思いっきり……見られちゃったな……。
まあ、僕だってみんなの素っ裸は、チラッとでも見てるわけだけれども。それでも、自分が見られるというのはどうにも嫌で。
そんな中、ササッと着替え終えた仄香が僕に近寄って何か話し掛けてくるので、ドライヤーを切る。
「なぁーにさぁ~、突然元気無くなっちゃってさぁー。どったの?」
「もうお嫁に行けない……」
顔を塞ぎながら……どの口が言うのか。とは思ったけれど、まさにそんな気分だった。
僕が目指しているのは、どちらかというと男役みたいな中性タチ希望だというのに。やはり僕の中の乙女が恥ずかしがっているのだろうか。それとも、レズビアンだと、同性も異性のように見えてしまうから、恥ずかしく感じてしまうのだろうか。
「なんだ、そんな事を気にしているのか。綺麗で可愛かったぞ?」
蘭子が着替えながらそう言う。
「感想なんていいよ……」
「女に見られたくらい、気にする必要無いだろう」
「そうかもしれないけどさ……」
それが普通だと分かっているはずなのに、どうにも僕の中で違う気持ちがわだかまる。
「元気……出シテ……」
そこに、近付いて僕の肩を撫でる譲羽。ちょっとふらついているけど、大丈夫だろうか。
「ありがとう、譲羽。僕、先に戻るね」
しかし、こんな弱々しい僕を見られたくないので、逃れようと思った。そんな譲羽の顔はやたらと紅潮していたのなんて気にもせずに。
「あっ、髪はちゃんと乾かさないとぉ~っ!」
……その引き止め方はおかしくない? と思いながら後ろから聞こえた咲姫の声までも無視してしまう。ああもう……駄目だな、今の僕は。
先に戻った誰もいない部屋で、生乾きの頭にタオルだけ乗っけて、窓を開け惚ける僕。乾燥肌が水分を欲しがって悲鳴を上げているけれど、今の僕にはそんな声は届かない。
「髪の毛、まだ湿ってるでしょ。わたし、ドライヤー持ってきてるから乾かしてあげるねぇ」
そんな風にボーッとしていれば、いつの間に入ってきたのか。振り向くと咲姫が居て。いつもの笑顔で僕に声掛ける。
「あ、うん……」
否定する理由もないけれど、否定する気力もなかった。こんがらがったコードを伸ばしてからカチリと付くスイッチ。けたたましく回るファンの音。優しく掬い上げるように、咲姫は僕の髪をゆっくり乾かしてゆく。
「百合ちゃんは、裸を見られるのが嫌なの?」
ドライヤーの音で掻き消えてしまわないように、耳に近づいて問いかける声。僕は考える。
「嫌というか……恥ずかしいかな」
「なんでぇ?」
「なんだろ……。スレンダーを目指してるのに女っぽい身体付きの自分を見られるのが怖いというか……」
レズということがバレないように話を逸らしはするけれど、これは本当のこと。素直に答える。
「へぇ~。素敵な身体なのにもったいなぁ~い。まさか百合ちゃんって性同一性障害なの?」
次の質問はもっと僕の本心に迫るような内容だった。落ち込んだ心で、正直に、かつレズバレを避けるように意識して言葉を組み立てる。
「前はそうなのかなーって少し思っていたんだけど、今はそうでも無いかなぁ。男では居たくないもん」
「『今は』? 考えが変わるキッカケがあったの?」
「うーん。男って思春期から身体がゴツゴツしてくるでしょ? 毛深くもなるし、声も低く汚くなる。そうなるのはゴメンだって中学の頃に気付いたんだ」
「そうよねぇ。処理されてない毛とか見るだけで、ぞわぁ〜ってしちゃうわよぉ~」
「そうそう。その点だけでも、男になりたいなんて思うわけ無いし、女で良かったとは思う。ムダ毛が生えるって言ったって、あんな剛毛にはならないし」
「わたしも百合ちゃんが女の子で良かったよぉ。こうしてベタベタ出来るもんねぇ」
咲姫は言いながら僕の顎から首筋をゆっくりと撫でる。咲姫の肌がしっとりしているお陰か、その肌触りは滑らかだ。
「さ、咲姫は……? ある程度は胸とか隠したりしてたでしょ。恥ずかしいとかなの?」
「うぅ~ん。恥ずかしいというか……ねぇ?」
そこで言葉を止める彼女。色っぽく吐き出す息はなんだか意味深だ。
「それなら他の子たちだって隠してたでしょ? 仄香ちゃんだって、みんなだって、"同じ"理由だと思うけど」
「そっか。そんなものなのかな」
「そうよぉ~? みんな女の子なんだから」
はぁーなるほど。やっぱり、僕の理由が特殊なだけで、思春期女子は同じような気持ちを抱くのか。いや、みんなレズだから? 僕の事が好きだから?
ともかく、意味合いは違えど、感じ方は一緒なのだと思うと少し安心する。
僕が口を閉ざして何も返さないでいると、やがてドライヤーの音が強くなり、風が緩い温風から冷風へと切り替わる。
ずいぶん僕の本心を吐き出してしまった。しかし、この様なシリアスがかった今でもレズだとバレないように……かつ、彼女に期待を持たせるように本音の言葉を選んでしまう僕は、自分で思っている以上にずるい人間なのではないか――と思う。
「百合ちゃんって、女の子の身体を見るのは恥ずかしいの?」
「恥ずかしい――よりは綺麗だなーって感じるかも。みんな僕と違って可愛いし、咲姫なんかスリムでスタイル抜群だから……。見られるのが嫌な理由も、ただ自分の無駄肉がある体型に自信がないだけかもしれないなぁ」
「ふふっ、百合ちゃんだって素敵なのにぃ~。ありがとっ」
咲姫は後半の僕の愚痴ではなく、前半のほめ言葉だけ都合よく受け取ってくれたようで、フォローしつつ横から僕に微笑みかける。そうだよなぁ、それほど努力してない人間の愚痴に対して述べる言葉なんて無いはずだ。グチグチ言うのはやめないと。
「ドライヤー終わったんでしょ? 今度は咲姫の髪乾かすよ」
「いいわよぉ、自分でやるし。とにかく今はこうさせて?」
そう言って、ドライヤーを置いた咲姫は、僕を背中から抱き締めてくれる。浴衣越しでは感じないはずのささやかな胸が、僕の肌に触れているように錯覚して、どうにもドキドキしてしまう。さっき、あんなに胸の話で盛り上がってしまったせいだ。
「ところで百合ちゃん、なんでまた"痕"を付けてるのぉ?」
だが、そんな僕を一瞬でひやっとさせる囁き。
……痕? また?
なんの事だったか。首をかしげていると、彼女が左から覗き込む僕の胸元。伸ばされる白妙の指。鎖骨と胸の間の一点。
「とぼけないでね?」
「うわ……っ」
僕の背中に全体重をかけ、下ろしていた両手首を片手で押さえながら、咲姫は僕の浴衣の胸元をはだけさせ、
「こ、れ、の、こ、と、よ?」
指で僕の胸の上をくるくるとなぞる。
「そ、それは……」
そこは先ほど蘭子に口付けられた場所だった。
なんで早速バレるんだ……っ。蘭子は予測不能な行動を取っているのに、咲姫は少し勘が良すぎる節がある……。で、でも……。痕が残っているだけだ。そん。そんなの、別にいかがわしいことなんて何もなかったんだから、正直に……。
言えるワケ無い! 蘭子に襲われてキスマークを残されたなんて!
「む、虫さされかも! いつの間にか刺されちゃったみたいでさぁ」
「ふ~ん。いやらしい悪い虫に好かれたのねぇ」
「ほんとだよー。えっちな虫だなぁー」
焦りに焦って誤魔化せてる気がしないけれど……。僕は手をわたわたさせながら咲姫の顔色を伺っていれば。
「噂をすればーー影がさす」
「うっわ蘭子! いつの間に!」
僕らの横に蘭子が立っていたのだった。大きな体で見下ろす彼女。その視線はとても冷ややかだ。
「何が……悪い虫だって? なあ、咲姫」
「だってそうじゃない? 現に今のアナタったら……」
しらーっと目を細め、咲姫もまた現れた彼女を冷たく見やる。笑っているはずなのに、いつも以上に怖い笑顔だ。
だが、それもそのはず。僕は蘭子の姿を認めるなり、無言のまま自分の着替え袋を漁る。……ああ、無い。
「蘭子、僕のパンツ見あたらないんだけど知らない?」
「ふむ……。心当たりがないな」
「そっかぁ。ところで蘭子さ……。頭のそれ、なに……?」
「これか? 丁度良いところに帽子が落ちていてだな? 試しに被ってみたらジャストフィットというワケだ」
その綺麗な黒髪の上に鎮座しているのは、ライトグリーンのボクサーパンツ。とても女物感が薄いので、変態的な印象は少し薄れるかもしれないが……。
「どっからどう見ても僕のパンツ被ってるでしょそれッ!」
だが逆に、五人の中でそんなスポーティーな下着を穿いてるのは僕だけなのだ。替えようと思っていたのを、脱衣所に忘れてしまったのだろう。彼女が被っているのが穿く前のもので良かった……。
「パンツを……被る? 高貴で優雅なこの私が、そのような変態行為に及ぶワケが無いだろう」
「馬鹿っ! 鏡見て同じこと言えるの……!?」
僕はベシッと彼女の手を叩いてから、部屋の壁にあった姿見を指差して言う。
「ふっ……。今日も私は美しいな」
「うわぁ……。駄目だこの人」
心の底から溜め息が出てしまった。
「まあ、冗談はさておき。百合葉が元気になったようで良かった」
「良くないよ……。ウケ狙ったとしてもドン引きだよ……」
彼女なら本気で僕のパンツを被りたがっていそうなものだけれど。だってクソレズだもん。直接的でなくともこういう間接的にだなんて、とんだクソレズ力だ。
「ところでユズと仄香は?」
パンツを返してもらい、早く話題を変えようと問う。確かに僕は、いつもの調子が戻っていて、居ない二人にまで気が回せるようになった。
「そうだそうだ。咲姫は酷いものでなぁ。倒れた譲羽をほったらかしにして、百合葉の元へ行ってしまったんだ。ずいぶん薄情だなぁ」
「あら。仄ちゃんが付いているなら大丈夫だと思ったのよぉ。わたしは百合ちゃんだって心配だったしぃ~? それに、アナタだってこうして戻ってきてるじゃない」
「旅館の救護室へ仄香が連れて行ったから、もう大丈夫だと踏んだんだ。そもそも……あれはただ、のぼせて鼻血が出ただけだから、休めば問題ないだろう」
「そうだったんだ……。それなら急ぐ必要はないかもけど、様子を見に行かないと。治まったかな」
軽度とはいえ、僕が居ない間に倒れたのなら、たとえ僕が調子悪かろうが、行かないわけにはいかないのだ。そもそも、僕は精神的なやつだ。
僕は意気込むように「よしっ」と言って立ち上がった。




