第39話「咲姫と待ち合わせ」
それは仄香&譲羽と別れた、三人での帰りの話だった。
咲姫と蘭子に挟まれて。冷戦状態ではあっても、いつものように何事も無く帰りたかった……のだけれど、その安穏の願いは無慈悲にも打ち破られた。
「百合ちゃん、明日、わたしとスウィーツ食べに行くの、大丈夫よねぇ?」
ええ……? なんで行ける前提で質問するんだ?
「あれ……それ初耳――」
「だって来週の休みに行きたいね~って話したじゃない? つい先週の話よぉ?」
「うぇっ、そうだっけ……」
「そうよ? もちろん百合ちゃん行けるわよねぇ?」
畳み掛けるように訊ねてくる咲姫。……なんてことだっ 。つまりもう約束済みであるのに、蘭子に嘘をついてしまったことになる……。僕はふと視線を反対側に……。うわぁ、めっちゃ不満そうな顔してる……。そりゃあ僕の予定を訊いたからには、何か誘いたがっていたのだろうしなぁと。だがそこで、考えに時間を置きすぎたのか、咲姫が僕のブラウスをちょいちょいと摘まむ。
「わたしと一緒に行きたくないのっ?」
寂しげな表情で、そして甘える様な上目遣いで訊ねる咲姫。もぉー! 可愛すぎ卑怯だよぉ~それはーッ!
確かに、先週は風邪と男装女子部でごたごたしていたからなぁ。体調悪い時にそんな話をしたかもしれない。『来週の休みの日』『デザート』……。ああ、そんな単語が蘇る。
約束していたとなれば……断りきれない……っ。
「ごめん、ちょっと抜けてたみたい。明日行こっか」
「うんっ! じゃあっ! 朝11時に駅前集合ねぇっ!」
「オーケー。分かったよ」
返す僕。キラキラとまぶしい笑顔の咲姫。その表情は純粋に可愛いと思うのだけれど……。
でも、よりによってなんで蘭子が居るときにそんな話をするんだ! 横を見れば……ほらっ! 蘭子がまさに柳眉を逆立てている!
「百合葉、明日は私と……」
「なぁにぃ~? 蘭ちゃん。百合ちゃんは先週から約束していたのよぉ~? あとから約束を割り込もうって言うのかしらぁ」
「……っ。ならせめて私も……」
「う~ん駄目ねぇ。チケット制の高級店だから、今からでも一緒には行けないと思うのよぉ~。ごめんなさいねぇ~」
うっわ、めちゃめちゃワザとらしい性悪女だ……美少女だから、もちろん許すけど。
「あとで誘おうと思ったのが運の尽きか……」
ふっと寂しそうに笑う蘭子。
「ごめんね、今度埋め合わせするよ……」
本当に……と心の中で誓うのだった。
※ ※ ※
そしてその当日。
「百合ちゃんなぁ~に考えてるのぉっ?」
駅前のドーナツ屋の看板の下。空を見上げて待っていれば、咲姫が物影からひょっこり顔を出した。かわいい。
「咲姫の事考えてただけだよ」
「へっ……? さ、先?」
「咲姫の事」
「わ、わたしのコト?」
「キミの事」
僕は言ってから右手を彼女の頭に添える。考えるように間を置くなり、とろけるような顔でにへらぁ~っとする咲姫。姫様、その顔やめてください。可愛すぎて脳みそまで溶けてしまいそうなのでやめてください。僕はもう、春の日差しを浴びたアイスになっちゃいそう。
「嘘だよ」
そして芽生えた悪戯心。
「うぇへへ~、えっ!? 嘘なのぉ~!?」
「やっぱ冗談かも」
「え、ええええっ? 何が嘘で冗談なのっ!? ねぇ、ねぇ~!」
「さあ、どうだろうねぇ」
「百合ちゃんってば、もう……もうっ!」
ああ、叩かれるのが幸せだ……。いや、Mじゃないですとも。
今日は咲姫とのデート。蘭子が誘いたがっていたなか悪いけれど、強引な咲姫を優先して、二人きりのデートなのだ。
「今日のわたしは何が違うでしょ~うかっ?」
「うーん。いつも以上にかわいいくらいしか、わっからないかなぁー」
「ほらっ、ほらぁ! いつもと全然ちがぁ~う!」
言いながら彼女は、くるくると回ってみせる……。駅前。人が行き交うドーナツ屋の前。恥ずかしくないのだろうか。もしかして、周囲が気にならないほど僕に夢中なの? すごい嬉しいんだけど? 可愛いんだけど?
最近ではころころ変わる髪型も、主軸定番となったポニーテール姿。濃いブラウンのシュシュはよく見るやつだから、どちらかというと髪そのものの変化だ。シルバーアッシュがいつもよりずいぶんと綺麗だから、根元は染め直し、毛先は数センチカットで……でも軽くなっているから全体をすいたのだろうか。だが、答えは分かっているものの、ちょっと悪戯心が働いてしまう。
「咲姫、動いてちゃあ分からないよ」
「ひゃっ」
僕は言うとともに動き回る彼女の腰に腕を回す。笑顔のまま硬直する彼女。よしっ、可愛い彼女を間近で眺め放題だぞ? 目がくりっくりに泳がせて口をパクパク。可愛いぞ、可愛いぞ?
学校では禁止されているためにしていない、ほんのりメイクの施された綺麗な顔。大きな瞳。マスカラや濃いチークなどといったあからさまなものは無いけれど、いつもより細かいところで魅力的なのだった。うっかり惚れ直してしまいそう。いや、それで良いのか。
「やっぱ分からないかな」
だけど、もてあそびたい心が勝ってしまった。
「もうっ! 百合ちゃんなんか知らないっ!」
なんて、細かい花模様が施された編み上げのショートブーツをカツカツ鳴らして、僕から遠ざかる彼女。ひらりと踊るフレアスカートの、その動きの激しさから彼女の怒りの激しさも伝わってくる。っと、いけないいけない。
「待って? 咲姫」
「……っ。離してよぉ……」
「全然離して欲しくなんか無い癖に」
「うえぇ……?」
その後ろ向きのまま、僕は彼女を抱き締める。駅入り口脇に身を寄せて。あっ、ヒールのせいで僕と身長が変わらないからサマにならなくて、目の前が咲姫のおでこだ……いやそれは元々か……。たった五センチの身長差じゃあ包容力が足りない。どう頑張ってもイケメンになりきれないか……。
「髪……切ったでしょ。色がいつもより綺麗だもん。軽くなっていいね」
僕は彼女の耳元に唇を近付けて言う。
「う、うん。そうよぉ」
「それに、少しだけどメイクしてるよね。カラコンまでして、いつもより可愛く見える。僕と会うためにしてくれたんだね、ありがとっ」
そうして、僕はグッと背伸びをして、彼女の額にキスをした。
「ゆゆゆ、百合ちゃん……」
また口をパクパクさせる咲姫ちゃん。金魚みたいとか笑ってはいけない。嬉しいからってニヤニヤしてもいけない。
だがその横、少し離れたところから、
「やだぁ~あの子たち、めっちゃイチャついて~」
「両方女の子でしょー? 女子高生ー? 余計にかわいー」
そんなお姉さん達の声が。
「は、恥ずかしかったよねっ。さっ、早く行こっか」
「わたしは百合ちゃん相手ならどんなに恥ずかしくても……」
「んっ?」
「ん~ん~。なんでもぉ~っ」
上機嫌になってくれたみたいで良かった。
※ ※ ※
「あら咲姫ちゃん。今日はデートじゃなかったのぉ?」
駅構内に入り、ニコニコと声を掛けてきた女性。高く作られた声は、出し慣れているのか違和感はなく。顔は歳をぐんと低く見せるマイナスメイク。どことなくふわふわとした美人具合がデジャブであって……。
「あっ……。ママ……」
と、それもそのはず。横にいる咲姫ちゃんにソックリなのだ。どうやらお母さんみたい。ただそれよりも……。
「……デートって?」
「ゆ、百合ちゃん! それはいいのぉ~っ!」
頭をぐわんぐわんと揺すられる。あぁ~、都合よく記憶が抜け落ちて~……なんてことはなく。その話には触れないであげよう。ともかく今は自己紹介だ。
「咲姫ちゃんのお母さんですか? 初めまして。藤崎百合葉といいます」
「えぇーっ! もしかして本物の百合葉ちゃんー!? かっわいぃ~!」
「うえっ!?」
なんて、咲姫ちゃんママは僕を抱き締めだしたのだ。うわぁ……。胸越しだけど、柔らかく豊かな胸……咲姫ちゃん、未来は明るいよ?
「駄目よっ、ママ! 離してぇ~!」
「あぁー、こんなかっこ可愛い子うちに欲しいわぁ~!」
「そ、それはそのうちにぃ……」
「んっ?」
「いいから百合ちゃん離れなさいっ!」
「は、はい……!」
と、咲姫の力もあって僕はようやく離れる……。なんなんだこのふわふわ強烈ママは……。
「コホン。こっちはわたしのママ。こんなのだけど、仲良くしてねぇ?」
「こんなのなんて咲姫ちゃんひどぉーいっ! アナタのカワイイお母さん、由姫ちゃんだぞッ!」
あっ、なんだか咲姫の未来が見えた気がする。まさに、この親あってこの子ありだ。
しかし、そんな仲むつまじい親子の間を引き裂くように、スピーカーから鳴る電車の予告。
「あららっ、もうそんな時間~? じゃあ私は仕事でちょっと遠くに行ってくるわぁー。百合葉ちゃん、うちの子をよろしくねぇー」
「それはもちろん。責任持って!」
「えっ、それはつまりぃ……?」
張り切りすぎちゃって拳を握った僕に咲姫が疑問の声を。社交辞令に対して気合い入れすぎだったかな。
「頼もしいわねぇー。それとそれとそっれっとっ? 小百合ちゃんとは、しばらくぅ"ご無沙汰"だからぁ? 彼女にもよろしくねぇー」
「はいっ。……ん?」
つい返してしまった返事。何故? どうして?
頭の中にクエスチョンマークが広がっているうちに、改札へ向かい遠ざかるユキさんの背中。だが、考えているその横から、ガシリと手首を掴まれる痛み。
「『サユリ』って誰ぇ~? どこの女なのかしらぁ~」
「ち、違うよ!? 小百合は僕のお母さん! 頭を冷やして!?」
そう言って僕は、血の気が引いて冷たくなった僕の両手を、彼女の熱い耳に当てる。すると瞬時に黙ってしまった咲姫ちゃん。
「ど、どう……? 落ち着いた?」
「冷静にはなったけど、余計に血がのぼっちゃったぁ……」
「ご、ごめん……っ」
手を離す僕。そんな頬を名残惜しそうに撫でる咲姫。急に激情し沈着したからか、潤んだ目で僕を見つめる。
「責任……取ってくれるの?」
「と、取ります……」
咲姫ちゃんママとのやりとりで、頭に血が上ってしまったのだろう。冷たいお茶でも買ってあげないとなぁ。




