第34話「扉の向こう」
存在はずっと知っていたのに、その扉の前に立ったとき、初めて緊張が走った。
ドアの上端を見やれば、管理者として『渋谷楓』という文字。つまり、彼女の管理下にあるこの場所。
でも、"コレ"を僕に預けて良かったのかな。
こう見えて僕は、いちおう学年主席であるから、先生が気にかけている譲羽と仄香の勉強を見るのが好都合で。そして写真部としてこの学校の風景を残して欲しい――そんな感じだろうか。
……まあ、難しいことは今は考えないほうがいいかっ。
後ろの美少女たちが、もうこの後に控えるものを察したようで、今か今かと待ち望んでいると見た。さあ、みんなで楽しい時間を過ごすために……。
僕は差し込んだ鍵をひねって扉を開いた。
「うぉっひゅーっ! すっごいねぇー!」
小中高大と、エスカレーター式の一貫校なのに、この学校だけ山の中に作られているという疑問が一気に吹き飛ぶ。確かに、土地の都合上もあったとは言う。しかし、譲羽の母――つまりは学院長が立地をここに選んだ理由。
「すっげぇなー! 毎日坂を登るだけの価値はあるなぁー!」
「街が一望出来るね……ってか、仄香は寮生だから坂関係ないでしょ」
「これは……イイ風景……」
「気持ちいいわねぇ~」
「絶景だな」
半分以上が空に埋め尽くされる風景。いやおうにでも目に飛び込む春の町並み。長い直線道路に沿って植えられたポプラ並木が、住宅地にも根付く町の自然豊かさを物語っている。
そう、ここは一般開放されていない筈の屋上であった。その風景の良さを開放しないのはもったいないと、部活設立時に渋谷先生がスペアキーを貸してくれたのが、今になってようやく出番となったのだ。今まで外に出るには寒かったし。
「ちょち快晴じゃないのが残念かもねー」
「しかし、こういうぼんやりした空気感も良いだろう。平安時代の頃からこういう景色は、春霞と詠われていて風流であるし」
「まじかよー風流かよー」
「……ワビサビ、ダッ!」
「そうそれそれっ! わびさびわさびよぉっ!」
「そ、そうだな」
風流を微かにも感じさせない二人にちょっと苦笑いの蘭子ちゃん。ノリについて行けず、ツッコむ気力も沸かないみたい。
「みんな並べてちょうど良い……かもね」
一通り見回った僕らは、貯水槽の影で良い具合にコの字に座れる場所を見つけたので、僕を中心として四人が座る。左手に咲姫と蘭子、右手には仄香と譲羽だ。寒くもないのにみんな身を寄せてくるので狭かったりする。
「みんな寄りすぎじゃない?」
「いいからいいからー」
「そうよぉっ。仲良く寄り添って食べましょ~」
なんて仄香が更に詰めて咲姫も反対側から挟むように肩を寄せてくる。「ねぇ~っ」と言う二人だが、その瞳にはどこか敵対心が……?
少し脇を広げればぶつかってしまう距離なんだけれども。まあ美少女たちのすることだ。我慢しよう。むしろウェルカムだし。
その彼女らの膝上に広げられるのはお弁当箱。咲姫は分かるが、他三人は学食組では……?
「お弁当みんなで食べたいねーって言ってたから、作ってきたのだった!」
「ダッタ!」
「だから朝からそわそわしてたんだ……」
僕の疑問に見事答えてくれる仄香と譲羽。旅行の準備かと思ってたよ……。たまに吹き込む風に注意しつつも、彼女らは急いで包みから取り出そうとする。
だが、その二人が弁当を開けるのにもたついているうちに、咲姫が我先にと箸でおかずを摘まむ。
「はいっ、百合ちゃん。あ〜んっ」
差し出されたのは鮮やかな薄黄色の玉子焼きだ。僕は片手に持ったおにぎりをそのままで、半分に切られた一口サイズをくわえにいく。
ゆっくりと味わう、口の中に広がる優しい甘さ。垣間見せるトロリとなめらかな食感。なんとも、完璧な調理具合であった。
「うん。すごくおいしいよ。さすが咲姫だね」
「え〜? 反応普通ぅ〜」
おっといけない。そりゃあわざわざ作ってきたのに、ありきたりな感想だけでは物足りないだろう。欲しがりな姫様だ。僕も、イケメン女子になりきるには未熟な身であるけれど……。
「今まで食べた中で一番おいしかったよ。この調子で味噌汁も作ってくれたら嬉しいのにな……。なんてっ」
ニンマリと怪しく微笑み耳元で囁く。告げる際に頭をコツンと当てていたので、ボンッと音を立てそうなくらいに熱くなったのがもろに伝わってくる。耳たぶまでみるみる紅潮する咲姫ちゃん。朝に耳責めしてきた仕返しだ。やっぱり彼女の中で余裕が出てきても、こういうクサいセリフはたまらないみたい。
そんなやりとりが聞こえていたのか、蘭子と仄香はちょっと唇を尖らせる。ゆずりん……は案の定小首を傾げる。味噌汁の意味が分かっていないね……?
「じゃ、じゃあ! こっちはチーズ入りで、こっちは健康を考えてネギ入りなのぉ~! 食べて食べてぇ~っ!」
「ちょ、ちょっと……もう少しゆっくりさせて?」
僕はおにぎりを一口食べていたので急いで飲みこむ。すると、察したのか水筒に麦茶を差し入れてくれる咲姫ちゃん。実に妻。ただ、そんなに手間をかけてくれていいのだろうか。
一方で、そんな僕らを見て、もちろんそれを快く思わない美少女も居るようで……。
「へい咲姫ちゃそぉーっ! そんなにゆーちゃん独り占めされたら、うちらが食べさせらんないじゃーん!」
「ジャーン……」
「ジャジャジャジャーン!」
「あら、でもアナタたちは冷凍物ばかりでしょう?」
ここぞとばかりにニッコリとプリンセススマイル。その表情は穏やかなのに、見下すような言葉裏が見え透いて怖い……というか、普通に黒い感情筒抜けである。
「そんなこと無いしっ! ウィンナー炒めたし!」
「イイ感じにパリッとなるまで、いっぱい焼イタ……乗り越えた屍の数は数知レズ……」
「そう! カズはカズシレズ……んんん? カズシがレズって話かな? 性転換してレズになったのかなぁーっ?」
「違う、カズシはホモ……」
「なんの話……。カズシもレズも関係ないよ……」
どれだけ自由な会話なんだ……。こんな咲姫ちゃんとピリピリ敵対するときにまで、気のゆくまま自由に話を脱線される仄香ちゃんと譲羽ちゃんであった。楽しそうでよろしいけど、あんまりレズホモ言うのはどうかと思う。
「大丈夫だよ。今日はおにぎり一個しか作れなかったから。お腹にはまだまだ入るかな」
僕は、あまりに旅行が楽しみすぎて昨日の買い出しを忘れるわ、朝は早めに出ようとしたら弁当を作り忘れるわで散々なのであった。授業中も眠たかったし、寝不足なのだろう。
「ほほう。さすがはおっぱいとお尻にお肉を溜め込むだけの事はありますなぁーっ!」
「うわっ! さり気に揉むなっ!」
「違うぞ仄香。百合葉はお腹も太ももにも少し溜め込んでいて柔らかいんだ」
「やめなさい! このマニアッククソレズ!」
セクハラ仄香ちゃんに続いて、蘭子まで手をわきわきさせる。くぅ、最近は油断したら肉付きやすいのを気にしているのに……。ってか服の上からじゃあ感触あまり分からないよね? いつ揉んだの?
「そんでぇっ! もっと揉みやすいおっぱいを育ててもらうために、あたしたちのお弁当も食べて欲しいのですっ!」
「ジャジャジャジャーン……デス!」
両手を広げ膝上のお弁当をアピールする二人。
「いやセクハラは困るなぁ……んまあ仕方ない。食べさせてもらうよ」
なにせ僕のために美少女たちが作ってくれたのだ。無碍には出来ない。
「たださ……これ、二人で作ったの?」
「せやで! いっぺんに作って分けたんやで!」
「二人で早起き……お弁当……」
「頑張った! お弁当!」
「あ、アピールは分かったから……。でもそれって片方だけを食べればよくない?」
ツッコめば時が止まったように二人はお口をあんぐり。ああ、ゆずりんお弁当箱落ちちゃうよぉ……。
「は……しまったぁーッ!」
「それに、ウィンナーは切って炒めただけ、ブロッコリーは茹でるかチンしただけ。唐揚げも冷凍でしょ~? 悪いけどそれは作ったとは言わないかしらねぇ~」
追撃する咲姫ちゃん。小言のうるさい姑なの? 攻める時は抜かりない子だ。
だが負けずとも落ち着き、「のんのん」と譲羽ちゃん。可愛いのん。
「あ……アタシは、玉子焼きだけ、終わったあとにこっそり作って……いた。抜かり無イッ」
「ほぁーっ!? まじかよ抜け駆けゆずりんかよぉー!」
「仄香ちゃんのは味が……濃ゆい……。だったので、アタシの好みで作りたカッタ。それにこれで……別々の味を……食べてもらえるっ!」
「んんっ? おっ、まじじゃーん! 天才かよぉー! んじゃーっ、めいっぱい食べておくんなましぃ~!」
「そ、そうだね。玉子だけ頂こうかな」
怒ったり褒めたり忙しい娘であった。




