第17話「朦朧の夢」
「……いつもみんなベタベタ触ってるんだから、わたしも良い……わよねぇ?」
そんな声が聞こえた気がした。重たい頭痛とは裏腹に、不思議と心がポカポカする夢うつつ。
ここは保健室の……ベッド? 夢だというのはなんとなく分かっていて、でも思うように身体が動かない。そこで、僕に馬乗りになった咲姫が両肩を掴んできたので、余計に行動が制限されてしまった。力の入らない今では意味のないことかもしれないけれど。
「キスはもうしちゃったしぃ、それから先は……」
と言って、彼女はベッドに横たわる僕に、キス……を?
んん……っ。と呻くことすら出来なかった。口の中に舌が入り込んでくる感覚も、初めてだというのにぞわぞわとリアリティがあって、絡め取られるのが妙に気持ちよくて。
夢から夢へ飛んでしまいそうだ……。
だが、その唇を一度離す。僕を見つめる彼女。咲姫は掴んでいた手を緩め、
「ちょっとズルいかもしれないけど、今の内にわたしの味を覚えてもらうわねぇ?」
なんて、彼女は、肌を滑らすように手を僕の胸元へ落とし、柔らかくまさぐりはじめる……。
肌……? 服は……?
見ればそこにはあられもない姿の僕。
な、なんで上半身裸なんだ……っ?
理由が……見つからない。あれ? 彼女には告白されたんだっけ? その流れでレズセッ……体の関係に雪崩れ込んでしまったのだろうか。
そう混乱しているうちにも、彼女の手は僕の胸を摘まんでは揉んで、また僕の口をむさぼり始める。それはもう、ねっとりと。
舌が吸われ、くるくると口内を蹂躙され、なされるがままの僕。なんとなく、気持ちいいかもなぁという安堵を纏った高揚感で満たされ、抵抗する気も起きなかった。というか、出来ないのだけれど。
しかし、咲姫は咲姫で困惑しているようだ。最初はゆったりとマッサージするような手つきだったのに、彼女は試行錯誤のようにあれこれと揉み方を変え出す。でも、僕は淡々とそれを受け入れるだけ。咲姫は首を傾げる。
「感じては……ないのかしらぁ。やっぱり寝込みを襲うのは失敗……?」
考えるように独り言。ああ、それは難しいかもしれない。僕は性欲が薄いんだ。精神的にもタチで居たいし、おいそれとはネコにならないよ?
だが、そうは思っても、今は完全にタチられリードされている立場である。彼女は胸を諦めたのか、次に僕のパジャマのズボンへと手を入れてきた。なんだかもう焦る気も起きないでいると、「んんんっ?」と疑問を浮かべる彼女。
「あっ、そういえば生理中だったのねぇ。でも、逆に面白いかも……」
何が面白いのだろう。疑問に思う僕をよそに、彼女はパンツの中にまで指を入れてくる。
それは……まずいんじゃない……?
と思ったけれど、相も変わらず反応出来ないで、彼女の指を受け入れてしまった。ねちょっという気持ち悪い感覚を覚えつつ、そのまま彼女はまた僕の唇を奪う。
「うふぅ……んっ」
責められているのは僕なのだけれど、彼女の色っぽい吐息が漏れる。でも僕は特に変化無し。いや、タチネコ関係なしならば、いちゃつくのも嬉しいには嬉しいのだ。それでも、彼女が求めるような反応は起こせなくて。むしろ、彼女に触れていない側面とかが寒くて震えそうだ。
しばしの間、咲姫の蹂躙に身を任せていると、彼女は僕の身体が冷えていることに気付いたようで、ふうとため息を吐いたあと、「ごめんねぇ」と、肌をさすってから布団を掛けてくれた。どうやらおしまいみたいだ。ひと安心。
「やっぱり、百合ちゃんの反応が無いと、あんまり意味がなさそうね……。手を洗ったら……着替えさせないと。風邪が悪化しちゃうし、それに……怪しまれちゃう」
なんて咲姫は言って。そのまま静かに部屋を後にした。
なんだったんだろう。
だが、僕には眠いという感情がつよく襲いかかり……いや、これは夢だからもう寝ているのだろうか。夢の中で寝たらまた違う夢を見るのかもしれないし、これが覚めても夢かもしれない。夢だと意識して覚めろ覚めろと念じるときにばかり、夢中夢なのだ。やはり夢なのだろう。
なんてぐるぐる考えながら、僕の意識はまた違う夢へ飲み込まれていった。
※ ※ ※
「は――っ!?」
「あっ、百合ちゃん。起きたのぉ?」
ベッドの横には咲姫。電気が付きカーテンが閉められた僕の部屋。そうだ、風邪だ。お見舞いに来てもらってそれから……。
なんだかイヤらしい夢を見てしまった気がしたけれど。思い出そうと必死になるにつれて、だんだんと思い出せなくなってくるので、僕は諦める。
「ごめん、寝ちゃってたみたい」
「うん……大丈夫よぉ」
どこか目を逸らし歯切れの悪い咲姫。だらけた目をこらすと、みるみる頬を染める彼女の変化が見て取れた。
「咲姫? 顔が赤いよ? もしかして、うつしちゃった?」
「いやっ……これは違うの。風邪じゃあ……無いの……」
ああ、栄養をしっかり摂っているから風邪を引かないんだっけ。じゃあ彼女も寝起きとか?
そういえば、身体を拭いてもらって……どうしたんだろう。服を着させてもらった記憶がない。身体をまさぐってみれば、下着すら新しいものだ。僕好みのスポーティーなモノだし、サイズもだいたい合ってる……。咲姫が買ってくれたのかな……。
時計の針は午後六時をとうに過ぎていた。つまり彼女は僕が寝ている一時間くらいの間、眠る僕を介護のように面倒を見てくれたのだろう。もはや恥ずかしさを通り越して、ただ感謝しかない。いや、恥ずかしい事ではあるのか……。
「下着まで用意してもらって、……着替えさせてくれてありがとね。大変だったでしょ」
「ううん。そんなの全然平気よぉ」
手を振る咲姫。しかし、どこか焦点が合わない。
「それじゃあ、だいぶ暗くなっちゃったし、わたし帰るわねぇ」
そう言って、そそくさと身支度する彼女。僕は再度時計を見て、外を見て、いつもの下校時刻を回っていたことに気付く。
「ああ、もうそんな時間かぁ……。今日はありがとね。だいぶ楽になったよ。咲姫のお陰で明日には学校行けるかも」
「そうよぉ~? 早く治してわたしの側に居てくれないとっ」
「そうだねぇ。でも僕は、もう少し甘えたかったかな」
「うっ、わたしはもう……じゅうぶんかなぁ?」
起きあがってからドアを開けて咲姫を玄関まで誘導。少しいつもの調子を戻しつつ、上目遣いで訴えかけてみるも、咲姫は僕と視線が合うなり、やはりぷいっとそっぽを向いてしまった。何か嫌われた……わけは無いよね……?
「うーん。物足りないなぁ」
「ふふっ。甘えんぼさんなのねぇ」
「だって咲姫居なくなったらさみしいし……。でも風邪うつすわけにもいかないもんね。我慢するよ」
玄関の扉を開けて、咲姫に振り向きながら言う。視線は合わないものの、咲姫はニッコリと微笑んでくれる。
「ちゃんと良い子にて早く寝るのよぉ?」
「分かったよ! 咲姫お母さん!」
「お、お母さんじゃありませんっ!」
「だって今のセリフは完全にママじゃん。ママ力高いんじゃないの?」
「し、知りませんっ。せっかく人が心配してるのに茶化すんだからぁ」
僕がふざけて言ってみれば、唇を尖らせながら靴を履き終わった彼女。この会話もいつもの調子で、やはり彼女が紅潮しているのは、風邪のせいだろうかと疑ってしまう。しかし、もしうつってしまったとして、今更どうしようもないのも事実。
「近くまで送りたいところだけど、僕の体調もあるし、家の前までかなぁ」
「ベッドで寝てもらってても良かったのにぃ」
「少しでも長く咲姫の顔が見たいからさ。このくらいどうってことないよ」
「もうっ……またそんなこと言って……」
嬉しいはずなのに、むぅと拗ねるように彼女。ああ、なんて可愛いんだろう。胸がぽっと暖かくなる。もう一つだけでいい。何か、彼女にしてあげたくなった。だから、僕は彼女の肩を掴んで、
「えっ……」
桃色に染まるほっぺたに口付けた。
「また明日ね?」
「もうっ、ばかばかばかぁ!」
ポカポカ叩かれてしまった。でも、薄闇でも分かるくらいに赤くなるものだから、たとえ嫉妬深くても可愛い姫様だなぁと、余計に好きになってしまいそう。
「嫌だった?」
「イヤじゃ、ないけど……っ! もうっ! もぉ~うっ!」
「ふふっ。牛さんみたいだよ?」
本当はデレデレになりたいくせに。でもツンツンに変化する彼女もまた大好きだったりするのだ……いや基本的にデレッデレで間違いは無いけれど。そんな彼女も大好きだけど。
なんてほっこりしながら咲姫を眺めていると、彼女は何もない地面に向かって、
「なんでこういう事の方が嬉しいのかしら……」
と呟いた。
「んっ? なんだって?」
「なんでもなぁ~いっ。それじゃあねぇ~」
パタパタと駆け足に、一度振り向いて手を振ったっきり、咲姫は帰ってしまった。喜んでもらえた? のだろう。良かった良かった。
街灯に照らされた薄暗いアスファルトに、咲姫の背中が吸い込まれるのを見届け終わって、僕は家に入る。晩ご飯は簡単にすませて、咲姫の言うとおり早く寝ないと。溜まったものたちがいっばいあるし。
この後の簡略家事スケジュールを頭の中で組み立てて、家に入るなりすぐに洗濯機の前に来た僕。洗濯だけはサボれないから、ささっと洗い終えないといけないなぁ。




