#32 カードの夢
夕食のあと、フォッシャに頼んで『氷の魔女』と二人きりで話すことにした。
池のある庭に出る。もう日が沈み、この街は灯かりもすくないのでかなり暗い。
自分でもなぜそうしたのかよくわからない。ただローグに「まだカードの力を引き出しきれていない」と言われて、悔しかったからかもしれない。とにかくただ話をしてみたかった。
世間話ではなく、彼女自身のことをだ。
「どうしたの、ヴァール」
氷の魔女。その姿はまるで雪の妖精のようで、やはり普通の人間とはどこかちがう。
「……カードの力を引き出せてないって言われて、ちょっと悔しくてさ。……話をしてみようと思って」
カードはただのオドの魔法だと、ハイロもフォッシャも言う。しかしただの魔法なら実体化したときにどうして人格まで宿る。ローグもハイロもそこには納得がいっていないはずだ。フォッシャ自身も理屈がわかっているのかどうかあやしい。
俺は縁側に腰掛けて、『氷の魔女』にそのことを告げた。
カードが魔法であることや、俺がカードについて知っていることすべてを。
「カードはただの魔法、か……」
彼女は月を見上げ、さみしそうにぽつりとつぶやく。
「魔法がどうして喋る?」と、なにか納得いっていないらしい調子で言う。
「わからないけど、フォッシャの力らしい」
「あのお嬢さんか……なるほど。ふしぎなものだな」
「巫女ってえらい人の話じゃ、カードにはモデルになった伝承が存在することがあるらしい。あんたも、そうなのかもしれないな」
「私は……おぼえている」
「おぼえているって、なにを?」
「自分の名前……それに、ふるさとのことまで。たしかにオドに動かされているような感じがするが、今も生きているときと変わらない気分だよ」
予想していなかった彼女の言葉に、おどろきすぎて思わず息を呑んだ。ほとんど眠りかけていた頭が急に動き始めたような感覚がして、自分の額を手でおさえる。
「どういう……ことなんだろうな。ただのオドの魔法……なのに記憶に人格もある……。いや、そういうふうにそもそもオドに作られた、とか? それこそ……」
「私にもわからない。マエストラ・フォッシャならわかるのかもしれないけれど……」
そうだな。これ以上はあいつの口から聞かないとわからないか。いずれあいつのほうから話してくれるのだろうか。それとも聞かないほうがいいことなのかもしれない。
「ああ、カードといえば、審官のカード……彼は実にすばらしい戦士だったね」
彼女の言葉で思い出す。あのカードのことは忘れることはないだろう。
審官のカード。フォッシャの力でシークレットスキルを解放し、自らが破れることと引き換えにゼルクフギアを封印した。
あのカードがあったから勝てた。あのカードに勝算を見出したから、ゼルクフギアに挑む勇気が後押しされた。
別れ際、審官はまるで俺になにかを託すかのように強い眼差しを向けていた。今となってはあの真意はわからない。
「俺がもっとヴァルフとして強かったら……審官は破られずに済んだのかもな」
「……人生は儚い。火のついたカードはいずれ燃え尽きる。なに、これからどうするかさ。私もまたこうして友ができたのだから、第二の人生を楽しませてもらうよ」
俺を励ますように、あるいは、自分自身にも言っているように思えた。
「こんど、御前試合って大会に出る。優勝すれば【探索】ってカードが手に入って、フォッシャの力と組み合わせて呪いのカードの場所もつきとめられるようになる」
「……なるほど。立派なことだね。私もベストをつくすよ。私が破られないように、うまく援護を頼んだよ、ヴァール」
「やってみる」
満足そうに微笑むと氷の魔女は消えていき、カードの中へと戻った。
自分の部屋へともどろうというとき、通りがかった一室から話し声がして立ち止まった。
「ミジルのいうことは気にしなくてよい。あいつはお前がいなくなるのがさみしいだけだろう……お前のやりたいことをやりなさい」
「……ありがとうございます」
「しかし……プロとなれば話は別だ。成功できれば良いが、負けて生き恥をさらすような事態になってはいかん」
ハイロと、ハイロのおばあさんの声だった。
「やるからにはハイロ。ウェルケン家はどんな勝負事にも負けてはならぬ。たとえプロになれても、負けてばかりいるようでは家名に傷がつく。その名を背負い、勝ちつづけなくてはならんぞ」
「……わかっております」
真剣な話し合いという感じで、いつもの彼らの家族の間にある和やかな雰囲気ではなかった。
「もしこれから公式大会で一度でも負けたときは……いさぎよく引退いたします」
俺は自分の部屋にもどるまえに、ハイロたちの部屋につながる廊下のところで、彼女がくるのを待った。
チーム戦は慣れていないが、大会前にちゃんとコミュニケーションをとっておいたほうがいいだろう。
ほどなくして、ハイロの姿がみえた。着物のようなゆったりとした服を着てはいるが、表情はいつもどおりやわらかかった。
「プロになるのが……夢だったのか」
特にどういう風に話しかけるべきか考えてはいなかったが、口をついて出たのはそういう言葉だった。女の子と話すとなるといまだに緊張する。
「はい。簡単ではありませんけどね」
「盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどさ……カードの大会に……ずいぶんおおげさな話じゃないか? 負けて生き恥がどうとか……」
「……いえ。おばあ様のおっしゃる通りなんですよ。プロは厳しい世界です。エンシェントは神聖な儀式でもあり、一大エンターテイメントでもあるんです。武家の名門ウェルケン家の出の者が無様な試合をすれば、一門の歴史に迷惑をかけることになってしまいます。もしひどい試合をしてしまったら……。私の汚名はまたたく間に世界中に広がり、ウェルケン家の評判はガタ落ちです。……生半可な覚悟でやっていいことではありません」
「カードの大会って……そんな大ごとなのか……」
「はい、でも……エイトさんのように楽しくカードをやられているのも、すばらしいことだと思います」
そうだったな、この世界はカードに対する重みがちがうんだ。まるで生活よりも大事な儀式かなにかみたいに扱われている。精霊杯を棄権した俺がカードファンから評判がよくないのと同じように、無様な試合をすれば名声は落ちる、か。
「それに御前試合で負けているようでは……私はプロでは一切通用しないでしょう」
あいにくプロのレベルは俺はよく知らないが、ハイロが言うならそうなんだろう。
「この大会が最後にならないように、がんばらないと」
「……そうだな」
「でも御前試合であれば……ある意味のぞみどおりかもしれません」
「え?」
「子供のころ、いちどだけ家の付き添いで王都にきたことがあったんです。たまたま街角で、御前試合の決勝戦のカード中継をしていて……そのとき思ったんです。なんてかっこいいんだろうって。わたしもいつか、素敵なカードと一緒に、あそこで戦いたいと……ずっと憧れていた舞台なんです」
ハイロの目には、しずかな決意が感じ取れた。
憧れ、か。御前試合はハイロにとって元々ひとつの目標だったわけだ。
「私……子どものころから争いごとってあまり好きではなくて。カードもどちらかというと魔法やキャラクターのかわいさが好きで……。真剣勝負のプロの世界では、やっていけないんじゃないかって怖かったんです。自分じゃムリなんじゃないかって、いつも自滅してしまって……。だけど今は、大切な人たちを災厄から守りたい。私のカードでそうしたいと、強く思えるんです」
その言葉に、ウソはないようだった。
「……あしたからまた練習がんばろうぜ。おやすみ」
「おやすみなさい……。もうすごく眠いです……」
ハイロはあくびをこらえていたのか、目をこすってごまかすように笑う。