#30 遊泳
まずはおためしということで、坂道ダッシュを一本やってみるということになった。フォッシャと一緒に、なかなか傾斜のきびしい緑豊かな道をひた走る。
空気はうまいが、呼吸はつらい。なんで魔法があるのに体力トレーニングをするんだ。わけがわからない。
坂の上で待っているローグたちのところに、なんとか到達したころには息が切れていた。ジャングルででの経験がなかったら、ぶっ倒れていたところだ。
裏山のこの高いところからは、海がよく見える。
ハイロが手渡してくれた水筒の水を飲みながら、俺は疑問を口にする。
「本当にこれってカードの特訓なのか……?」
「そうね。逆境に強いってスキルを持っているなら……もしかしたら痛めつけたら痛めつけたぶんだけ成長するのかしら?」
物騒なローグの発言に、俺は思わず飲み物をのどにつまらせそうになりむせる。
「その発想怖いんだけど!?」
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。死地に近づくほど強くなる……もしそうなら私、うってつけのトレーニングが思いつきそうだわぁ。これっていい先生になりそうじゃない?」
「いや勘弁してください……」
「ここからは別メニューね。エイト、あなたは5キロの遠泳をやることになってるわぁ」
「遠泳ってなに……? およぐの? 海を?」
「ええ。海が見えるでしょ」
「見えるからなんだよッ……!? カードと関係ある……その修行!?」
「す、スタミナはカードゲーマーには大切な要素です」
初耳だよ……まあハイロまでいうなら仕方ない。
「みんなを呪いのカードから守るためとはいえ……、き、キツすぎるワヌ……」
そう言うフォッシャは本当にキツそうに、仰向けになって倒れている。
「あ、こうしたらどうでしょうか」
パッ、とハイロが手をたたいて、
「トレーニングを達成したら、カードのパックひとつ買えるって報酬を決めておくんです。フォッシャちゃんなら、ごちそういっぱい食べれる、とか」
「おお! やる気でてきたワヌ!」
「それいいわね」
クッ。エサで釣ろうっていうのか。
「まあ固いパックなら……やってもいいかな」
釣られるんですけどね。
その日はハイロの家で姉妹が手作りのごちそうをふるまってくれた。ハイロの両親ともいい人で、気さくに話しかけてくれた。
「君がハイロのボーイフレンドかい?」
父親がいきなりそんなことを聞いてきたので、思わず俺は食べていた白飯を噴出しそうになった。ミジルがものすごい形相で俺をにらんでくる。
「お、お父さん!?」
と、ハイロは困ったふうにあわてていた。
「あれ、ちがうっけ。手紙ですごい男の子のカードゲーマーがいるっていつも言ってたからてっきり……」
「もう……私たちはまじめにやってるんですから、茶化さないでください」
ハイロがあまり言及するな、という感じの風だったので、その場はそれで終わった。が、あとで父親とすれちがった時に「こんど詳しく教えてね。娘をよろしくね」と小さな声で頼まれた。
トレーニングは翌日から本格的にはじまった。俺だけ別室なので(さみしくないようにとフォッシャがテネレモを召喚してくれた)、俺のだいたいの一日はまず部屋の掃除からはじまり次にカードの研究会をローグ主導のもと行い、その後はミジルと歴史の勉強をおこなってから体力トレーニングという感じだった。
まあミジルとはあいかわらず勉強というより喧嘩みたいな時間を過ごすことになるのだが、意外にも歴史の勉強自体はさほど苦ではなかった。特に種族やカードの歴史を学ぶのはけっこうな参考になる。カードゲームに役立てそうだ。
きついのは体力づくりのほうだった。身体的によりも、モチベーションがもたない。体をつくってカードゲームに挑むなんて話はきいたことがない。それよりカードの勉強をしたほうがいいんじゃないかという思いが、俺の心をにぶらせる。
坂道トレーニングを終え、大の字になって地面に寝転がっていると、それを見ていたミジルがため息まじりに言った。
「そんな情けない姿さらしておいて、よくカードの大会で勝つつもりでいるわよね」
ミジルは本来監視の役割でここにいるわけではない。彼女に特にそういう役目はないはずだ。つまりまだ、俺のことをハイロのチームの一員として認めないてないってことなんだろうか。
別にサボるつもりもないが、ミジルがいるおかげで手抜きはできない。
「……たしかにな……俺はてんで大したことないやつだよ。だから……」
俺は起き上がって、
「ハイロは必要な存在だ。あいつなしじゃ……無理なんだ。御前試合に優勝するのは」
そう。勝ちたいという思いの強さは、選手を育てる糧になる。ハイロは大会までにもっと伸びているだろう。彼女の力が大会の結果を左右することになるかもしれない。そういう意味では俺たちのチームのエースはハイロだ。果たして今の俺に、カードで誰にも負けたくないというあの頃の強い気持ちはあるのか。
いまごろフォッシャたちも別メニューの特訓に勤しんでいるのだろうか。彼女たちの熱意にはおどろかされる。俺はただ、カードで誰かが悲しむのをみたくないから、どうにかこうしてがんばれている。
ゼルクフギアに立ち向かったときもそうだった。かつて自分があこがれた『暁の冒険者』のようにどんな逆境でも跳ね返したいと思った。
だけどフォッシャたちは本気で人々を守りたいって考えて動いている。フォッシャはカードの知識がなかったのにずいぶんカードゲームもできるようになった。自分のためだけではなく、誰かのためにもがんばれている。
カードが楽しいからという理由だけで人生を生きてきたような俺にとって、彼女たちが持つあの本物の正義感には、尊敬の念を抱かずにはいられない。
フォッシャたちはいつも、たのしそうにカードゲームの勉強会をやっている。ただ楽しいというだけではなにかを勝ち取るための強さは生まれてこない。だがフォッシャたちは守るためにがんばるという意志もあわせ持っている。あいつらなら本当になにか成し遂げてくれるかもしれないという期待を、もたせてくれる。
トレーニングはつらく厳しいが、あんなにカードをがんばってる人たちがいるのに、俺だけ手を抜くわけにいかない。
今だけじゃなく、ラジトバウムで目覚めてからずっと、元カードゲーマーとしての意地だけが俺をつき動かしているような気がする。
浜辺へときた。熱い日差しと澄んだ海があるだけで、ほかに人の姿はない。水着になって、泳ぐ準備をする。
屈伸をしたとき、そのまま地面に手をつき、うなだれた。
「なんでだよ……」
どうしてきれいな海がちかいのに水着の女の子がいないのだろう。ハイロの故郷には海があるときいてすこし期待した自分がバカだった。
フォッシャに呆れつつ俺も内心ちょっとなにかあるんじゃないかって思ってたら、待ってたのは過酷なトレーニングだけだったよ……ちくしょう。
こんなくだらないことで真剣に落ち込んでいる自分が情けないのだが、どうにもならない。
というか、気づかれてないつもりなのかもしれないが、俺が海にくるといつもミジルが陰でこそこそ監視してるんだよな。わけのわからんやつだ。もしかしたら俺が溺れないように見張るようだれかに言われたのかもしれない。
ポン、と背中をテネレモにたたかれて振り返る。海に集中しろ、という風にテネレモは顔をそちらのほうに向けた。
「……そうだな。海をなめたらいけないって言うもんな。もし俺がおぼれたら、たすけてくれよな。行こうぜ、テネレモ」