八話「戦闘」
課長はそのまま出て行った。
川井さんの真相から自分が置かれている状況について知った今、何らかのアクションをとるべきなのだろうが、クリア条件がわかっていない上に下手をうてばバットエンディングを迎えるか、魂飛ばされて終わりだ。結局は情報を密やかに収集しつつ、今まで通り過ごしていくしかない。
「俺も帰りますか」
椅子に座ってゆらゆらと揺れていても、良い案は思いつきもしない。ならば、帰宅して天からアイディアが降ってくるのを待つしかないだろう。業務用に支給された携帯がふとももを揺らし、確認してみれば映画館のチケットがとれたという内容だった。課長が言う様に仕事はできるらしい。
手持ちのカバンをとって、俺も帰宅しようと廊下に出るとかつん、と音が聞こえる。それは女性が履くヒールが鳴らす音。
誰かいるのか?
消灯時間は過ぎており、暗闇の中で月の明かりを光源を頼りに目をこらす。
かつん、かつん、かつん。
音は次第に鮮明に聞こえ、近づいてきている。
前方にはフードを深く被った黒づくめの服装をした奴がいた。訝しげに伺うこと数十秒、突如、そいつは俺に向かって走り寄ってくる。
「え、ちょ、なんだよ!」
謎の人物Xに迫られ、謎の恐怖から距離をとるため逃げ出す。明らかに怪しい奴に迫られたら逃げたくなるのも通だろう。しかし、俺が走る速度と、奴の速度では雲泥の差があった。俺はウサギの速度で走るが、奴はチーターの如き速度で迫ってきたのだ。瞬時に接近され訳が分からないなりにも後方に下がろうとしたが、足を滑らせその場に倒れこんでしまった。
やべぇ。
それは失態であったと同時に幸運でもあった。
Xは懐から取り出した煌めく硝子の刃物が空を切る。霊体の俺は、怪我をするのかわからないものの、その刃が纏う謎の光を見て本能があれは危険だと叫ぶ。
「な、なんだよお前! いきなり襲いかかってくるとか天罰くらうぞこの野郎!」
文句を言いつつ、生まれて死んだ今でも、餓鬼の喧嘩しかしたことが無い俺は、武術もへったくれもない、乱雑な動きで蹴りを入れる。まさか反撃されるとは思っていなかったのか、Xは飛びのき、俺から距離をとる。
その束の間に洗い息を整るため、いつでも動ける体制で構えた。
「あまえ、いぶんじ、あまえ、そんざい、ゆるざない、あまえ、消す」
男とも、女とも言えない、機械的なボイス。ボイスチェンジャーを通した様な声で、そいつは俺をはっきりと消すと言った。
「消されるは御免なんだけど、どうにかなったりしない?」
「しょうだぐ、ふが、あまえ、いれぎゅだー」
「何言ってのかよくわかないけどさ、イレギュラーってなら、ここにいる奴ら皆イレギュラーだっつの、いかれポンチ多いんだから他を狙ってください人事課の奴らとか絶対イレギュラー、という訳でお帰りください」
「ぎょうぶ、しっごう」
Xは再度襲い掛かってくる。その動きは機敏で、俺では正面から相手取ることは無理だ。眼前に迫りくるXが俺の心臓に向ってあの刃物を振り上げると同時に、腕をクロスさせ、防ぐ。防ぐ、というのは語弊があるかもしれない。刃物は俺の腕に刺さり、激痛が、神経パルスもないはずなのにも関わらず、魂に痛みをもたらした。
刺さった刃物、小刀を腕を大きくふりあげることでXの手からもぎ取り、そのまま出口に向かって全速力で駆け出す。
一心不乱に走り、走り、走った。
気が付けば自宅のマンションまでたどり着いていた。後方からXが追いかけてくる気配も無く、心の底から安堵する。腕に刺さったままになっている小刀を一気に引き抜く。
「っぐ」
激痛を伴いながらあの一幕について考えを巡らせた。一体あれはなんだったのか。ここに来てからあの暗殺者が俺の前に現れることは無かった。それが、今日、いきなり襲ってきたとなれば、今日の出来事が起因となっていると考えられるだろう。Xは俺をイレギュラーと言っていた。今日、俺イレギュラーとなったというならば、それは課長と話してたことでイレギュラーとなった訳だ。であれば、課長もイレギュラー認定された、されていた?となれば、俺を襲ってきた奴が課長を襲うかもしれない。
「課長がやばい」
俺は小刀を懐にしまい、配属初日に説明された課長の自宅に向かって走る。




