十六話「お断りさせて」
「はじめまして……」
「こんちわ、宜しくな」
初めての対面。向こうはまだ小学生だろうか。大きな瞳と、母親譲りなのであろう艶やかな黒髪、真っ白な肌をした少女は将来美人になることが約束されている。何故だか全体的にぼやけて見えるのは、早朝だから寝ぼけているに違いない。
母親の後ろに隠れながら顔だけを出して此方を伺っていた。極力圧をかけないように笑顔をつくって話しかけたが、それでも警戒を解くは難しいだろう。
「宜しく、此処が君の新しい家だ。二階に一室空けている。好きに使うといい」
「ありが、とうございます」
父は愛想笑いという言葉も知らない愚直な男だ。それがいい処でもあるが、今は少しくらい笑ってもらいたい。ほら、固まってんじゃん、俺のフランクな対応、父上によって相殺されたよ。
「真也君だよね、これからよろしく、最初は慣れないと思うけどゆっくりねっ」
「はい、此方こそ宜しくお願いします」
「もう、これから家族になるんだらから敬語じゃなくていいよ」
「そうだね、よろしく」
お義母さんとは仲良くできそうだ。上辺だけでも。向こうも同じな様で、にこやかに微笑みながらも目は笑っていなかった。
今更心から仲良くなんていうつもりはない。あと数年間、問題なく過ごせる関係性を保てればそれでいいのだが、その上ではもう一人加わる家族と打ち解けないとダメなようだ。
「父さん、この子に自室まで連れて行くよ」
「ああ、頼む」
「行こうか」
「はい」
もう慣れたが、この家は階段は段差が大きい。大丈夫だろうかと後ろを見れば、案の定、一段上ることに四苦八苦していた。もう二階まで三段程度、少女も慣れたのか、意気揚々とついてきていたが、注意散漫だったのか、足を踏み外す。そうなれば、重心は後ろに向き転落しそうになるのは明らかだ。
「あっ」
「っと、大丈夫?」
少女の左腕を引っ張り、抱きしめる。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「その、ごめんなさい」
涙目の少女は謝る。いきなり変わる環境、知らない男と二人と過ごさなきゃいけないストレス。まだ幼いながらも、環境に適応しなければならないことはわかっているからこそ、緊張しているのかもしれない。
俺はいい。もういい
「いいってことよ、これからは俺を頼っていいんだ、なんたって俺はお前の――」
痛い。体のあちこちが痛い。
「疑似筋肉痛みたいなやつかこれ」
ベットから起き上がり、体を動かしていると節々が軋む感覚。とはいえ、筋肉痛だからと休める訳じゃない。鞭を打ってでも立ち上がり、身支度を整える。
また変な夢をみたもんだよなぁ。
起きた今では、どうな夢だったのか。もう今更どんな内容だったのか覚えていない。ただ、とても懐かしい思い出だった様な気がする。
頭をこねくりまわしても思い出せないものは思い出せない。無駄に悩むくらいなら諦めるに限るだろう、。適当に買い置きをしておいた菓子パンを口につめて家を出る。今日も元気に社畜の日々が始まった。
「よっつん、おはよう」
「四ツ木君おはよぉ」
「おはよう、光、戸田さん」
会社に着くと光と戸田さんが談笑していた。朝礼までまだ十分はある。
戸田さんがまだ会社にきているということは、まだ消える時では無いらしい。他の社員はまだ来ていないのか、社内には二人しかみかけない。
「課長がよっつんきたら来てほしいってさ、このこの~」
「ここでおいたしちゃだめだよぉ、業務が終わった後ならいいけどねぇ」
「はいはい、んじゃいってきます」
課長室の前に立ち、二度ノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
ドアを開けてから入ると、課長は机に大量の書類を両脇に置きながら座っていた。
「お呼びとのことでしたので」
「はい、まずは昨日はすみません。お手洗いに行った後、昨日のお酒が抜けてなかったのか寝てしまって」
「いえ、大丈夫ですよ、連絡が無かったので心配はしましたけど」
「すみません、気づいた時には夜遅かったので失礼かなと思って怠りました。それなら朝直接謝罪しようと思いまして」
明美らしい。連絡するかしないかで小一時間は悩んでいるのを容易に想像できる。俺を襲った奴との戦闘が終わった後に気づいたとなると、一度明美に相談するべきか。もしかしたら奴と見かけているかもしれない。
「無事で何よりです。課長、少しいいですか?」
「いいですよ。丁度こちらも話したいことがあったので」
椅子から立ち上がりソファに座り直す。俺もそれに習う様にして向かい側に腰をかけた。
「それで、どうしたんですか」
「実は昨日、あけ、課長がお手洗いに行った後また奴に襲われました。それも空間を一時的に停止させて」
「それは……。ただ人ではありませんね。この天界の流れに干渉できる者は極少数です。貴方がイレギュラーであることを踏まえて上が狙っているのかもしれません。私は対処できますが、四ツ木君の場合は抵抗するのも厳しいでしょう?」
「はい。辛くも逃げれたって処です。できれば対処法とか教えてもらいたいんですけど何かないですか」
「残念ながら何もありません。格、というものが違います。むしろ二回も逃げきっている方が驚きです」
「火事場の馬鹿力って処です。ぶっちゃけ、課長の方で何か打診とかできませんか、次合った時逃げれるかわかんないんですけど」
「無理です。私とて行ってしまえば中間管理職みたいなもの、何処の誰が貴方を襲っているのか、指令を出してるのか知りませんがそれをやめさせるには神様にでも頼みこむしかありません」
「それは絶対嫌なのでいいです」
「なら、その、解決法というか、一時的処置ならないことも、ないです」
流石明美、聞いてみるものだ。顔を下げて目線を泳がせているのは何故なのかはわからないが。
「襲われているタイミングから察するに、一人になったときですから、その、ずっと誰かといれば言い訳でして」
「そうですね、二回とも一人の時でした」
「特に家に帰ってからとか危ないと思います」
「確かに。むしろなんで家まで襲ってこないのかわからん」
「もしかしたら何か制限でもあるのかもしれません。だから、あれです、私と一緒に住めばいいです」
一緒に住む? え、いや、お?
「勿論嫌というのであれば別にいいですし、問題が解決するまでの期間というか、丁度私の家は広いですし。それに私がいれば駆逐とまでは無理でも対抗するこはできますからある意味一番安全だと思いますし」
カーペットに言葉を矢継ぎ早に吐いている。マシンガントークばりに話しているもので、止まる気配がない。
「――であるかして、」
「あの、すみません、お邪魔していいですか?」
ぐっと話はとまり、三拍程度間が開いたのち、顔をあげて結んでいた口を開いた。
「いい、ですよ」
頬を桜色に染めて放たれた言葉は俺の心臓を射抜く。有り体に言えば可愛すぎて抱きしめたい。
「じゃ、あ。よろしくお願いします」
明美は俺の返答を聞くと、がばりと勢いよく立ち上がり、満面の笑顔で頷いた。少したってから、一度咳払いをして再度座りなおす。
「じゃあ今日から一緒に帰りましょう。業務が終わったら残っておいてください
「了解です」
「次にですけど、私からお仕事を頼みます」
「わざわざ呼び出すってことは」
「はい。前回と同様、地界にいって自殺者を止めてきてください」
「はい。お断りさせて――」
今度は返答も聞かずに、俺の足元に門を開けた。抵抗する術もなければ、仮にあったとしても結局は意味がないと悟りつつ、俺は浮遊感に身を任せた。




