6-1 ご近所様と葛饅頭
平日の午後。
夫は客がほぼ途絶えたのを見て、家のほうで昼食を摂っている。
今店内にいるお客様は二人。
三十代の男と高校生の男の子が小声で何事か話している。
「どんな味なんだろう」
誰かがぽつりと呟いた。
そちらに何気なく顔を向けると高校生の男の子と目が合った。
急に心臓がどくどく早鐘を打つ。ただ立っているだけなのに、全身がほてり、頭がぼーっとし始めた。
昼寝していたどら子がふっと頭をもたげる。
三十代男が高校生の頭を軽くはたいた途端、脈は元に戻り、身体の熱も引いた。
ちなみに男が食べているのはぺペロンチーノで、高校生はナポリタン。
高校生はもう半分くらいナポリタンを食べている。
(どんな味って、ナポリタンはナポリタンでしょ。それにしても家族にしては、歳が合わない……よね)
お客様からなるべく自然に目をそらしながら、奇妙な組み合わせの二人についてチラッと考えてみた。
本来、いろいろ詮索するのは良くないのだが、あまりに暇だったのだ。
三十代男性と高校生は家族というわけではないようだ。 顔立ちがぜんぜん違うし、子供にしては大きいし。男性が高校生の頭をはたいても高校生は笑っていたところをみると、気安い関係のようだ。
常連というほどではないが彼らは年に数回顔を出す。だから夫も大丈夫だと判断して昼食を摂りに行ったのだ。
ただ、他にも少々不思議に感じることもある。 高校生のほうはここ5年まったく印象が変わってないのだ。 三十代男性のほうは数ヶ月ぶりに訪れると白髪増えたかもって思うことはあるけれど。
男のほうはたまに別の客を連れてくることもあれば、妻子らしき人たちを連れて来ている。
ただ、男性が妻子連れで訪れるときは少年は来ない。
いったいどんな関係なんだろう。
「すみません。お会計」
妄想を膨らませている間に、二人は食べ終えたようだ。
「あ、はい」
ちなみに二人はきっちり会計を分けていた。
◇
二人組と入れ違いに訪れたのは――
「久しいな」
葛羅耶姫様だ。短く葛羅様と呼ばれることもある。近くの神社の使いで、水神様だ。
リーフがこの世界に住むようになってからの付き合いで、どら子の監視目的で年に一度喫茶店を訪れる。
黒のスーツにタイトスカート。スカートからは無駄のないしなやかな足ががっつり見えている。
(せめてストッキングを……)
リーフがもといた世界では足首くらいまでのドレスを着るのが普通だった。
最初この世界に飛ばされたときは自由な服装にびっくりした。 この世界に来てから五年。ズボンを穿くことには抵抗はなくなったが、スカートは膝下10cmより上のものは恥ずかしくて買えない。
どら子は姫の膝の上に乗っかる。
「我が来た理由はわかるな」
「えー、犯人はそちらのウパ男です」
水道に異常をきたした犯人――ウーパールーパーを網で無理やり掬い上げ、タオルで水気をふき取った後、トレーに載せて彼女に献上した。
「煮るなり焼くなり、揚げるなり好きにしてください」
―揚げるな!
―ウーパーの素揚げか……
抗議するウパ男の横で、ウパ男の素揚げを想像してどら子は舌をちょろりと出す。
―おっ。結構いい女だな。
神様同士、意思疎通はできているようで、葛羅様は自分を見上げるウパ男に「あら、ありがと」と微笑んだ。
「それ、別名九頭羅矢主って言って、男よ」
―なっ。
「強力な暴れ川はもともと男性名で現していたのだけれど、あんまりにも氾濫を繰り返すので女性の名と意味を新たにつけ加えた、だったかしら」
葛羅川自体は、もう埋め立てられて無いらしいが、今でも近所の神社の隅に祠だけは残っているのだ。
「別におたまじゃくしの素揚げなぞ欲しくはないわ。甘味を供えよ。特に冷蔵庫に入っている我の名を冠した饅頭が良いな」
別に彼女から名前を取ったわけではないだろう。
それにしても、うちの冷蔵庫の中身をなぜ把握している?
とりあえず葛饅頭を取りに戻る。
「お客様が来たか?」
ちょうどお昼ご飯を食べ終わった夫が声をかけてきた。
「私のお客様だから、もうちょっとのんびりしていていいわよ」
「いや、戻るよ」
夫はそう言ってリーフと共に店に戻った。お客の姿をチラッと確認した後は我関せずという感じで皿洗いを始めたので、小声で話せば内容までは聞き取れないだろう。
葛羅耶姫は無表情でスーパーの葛まんじゅうを食べる。自分で買えばいいのに。
「お賽銭が入るのは主神のみで、敷地の隅っこにある小さな祠など……葛まんじゅう一個分の金額も集まらないわ。おまけに他の三神とぎゅう詰めだぞ。ありえないだろう。
その上、知り合いにも賽銭入れるのを忘れられる。去年は5円だったか」
確かに今年の初詣は人にもまれて姫様の祠に行くのが面倒になった。去年は確かに入れたが、そんなもんだったろうか。忘れた。 四人に五円なら一人割り当て、一円と少々。リーフが見たときも置かれているのは小銭ばかりで、そもそも賽銭箱自体設置されておらず賽銭は祠の玄関(?)に直接置かれている状態だった。
「一緒にいる女神どもは主神の妻達で、もとは私の祠だったというに私を新たな女と勘違いして追い出そうとする始末」
もともと彼女の祠は神社とはちょっと離れたところにあったらしいが、怒涛の世の流れの中で神社の敷地内に移されたそうな。 ついでに主神の妻も住まわそうってなったときにその祠でシェアハウスという流れになったらしい。
来るたびに愚痴られるので、大体覚えた。
「おまけにあの神は主人気取りで我をこき使うし、最悪だ。我はあんな男の嫁になった覚えはない」
「人が多かったもので……」
もう九月なのに今年初めのことを言われても……
「お前、来年も子だか――ふっが」
リーフは急いで彼女の口を閉じた。
「祈願するつもりなら、主神じゃなくて我のほうがいいぞ。 何せ蛇は子だく―んん」
「おーい。なにお客さんに失礼なことをしているんだ」
「な、なんでもないの」
夫が見咎めて声をかけてきたので手をパタパタ振って返し、「守秘義務違反」って小声で彼女に注意した。
彼女は「人間の法などしらぬ」と不機嫌そうに小声で返した。
「来年の正月はすっごく奮発して500円にしますから」
「まず、ちゃんと寝ろ。自分の体調が整ってなければ、話にならん。 それといくら祈願したからといっても、行動に―ふも」
どうやら口止めはあまり効果がないようだ。それにしても最近寝不足なのを見破るとはさすが神様。
「それとお前ら、あまりぽこぽこ”穴”を開けるな。さっきのやつらのように余計なものに目を付けられるぞ」
「さっき?」
三十代の男性と男子高校生だろうか?
「ああ、それと先ほどの男と子供。特に無駄に若く化けている吸血鬼には気をつけたほうがいいぞ」
「えっ? 吸血鬼」
まさかとは思うが、力が弱まったとはいえ、現に目の前に神がいるわけだから、吸血鬼もいるかもしれない。
「血の香はわずか、人を殺めるほどには吸ってはいないだろうが、たまには変わった血も呑みたくなろう」
『どんな味なんだろう』
まるで、耳元であの少年が囁いているような錯覚に襲われた。
「男のほうは―この場を利用しているのだろうな。ここは穴が空きやすい」
いや、普通に奥さんと子供らしき人を連れているところ見ているのだが。特に怪しいところはなかったのだけれど、あの人も妖怪や化け物の類なのだろうか?
「あれらもこの近所に居を構えていてな。毎年、初詣に来る。男の願いは『家内安全』『健康第一』で、もう一人は『警察に捕まりませんように』だったかな 」
「警察ここに来るんだけれど」
ドアの上部と店内にも『警察官立寄』のステッカーは一応貼ってある。
「そもそも吸血鬼って神社お参りしていいの?」
「さあ。我とて元は妖怪。たまたま崇め奉る人々がいただけで、人を呑むという点では同じだ」
ちょびちょび食べていた饅頭の残り半分を女神様はぺろりと丸呑みした。
今は影も形も無いご神体の川は多くの人を呑み込んできたのだ。
「わざわざ助けていただいてありがとうございます」
ウパ男への注意というなら、ウパ男がこの世界に来てから一ヶ月の間にいくらでも機会が会った。
薄給なのに、五円ぽっきりの寄進なのに、それでも自分の仕事以上のことをきっちりこなして、女神様は彼らの警告に出向いてくれたのだ。
「たまたま、寄っただけだ」
ぷいっとそっぽを向いて、喫茶店から出て行ってしまった。
次、散歩に行くときにでも、神社に立ち寄ってお礼をしよう。
本日のご近所様
葛羅耶姫……土地神。ご神体は川。神仏分離やら神社合祀やら埋め立てやらの荒波に揉まれて現在に至る。千里眼の持ち主。有効範囲は最盛期の頃は半径4000km。 現在は神力が落ち半径500km程度。
吸血鬼……見た目は高校生。現代社会で細々と生活している。今回は、店主が席をはずしていたため魔が差した模様。
三十代男……先祖返り。吸血鬼とは高校生の頃からの知り合い。ペペロンチーノを頼んだのはわざと。
主要登場人物
・どら子……ドラゴン。メス。ちょっと偉そう。
・桜川リーフ……本名リーフスラシル。令嬢達に少女小説を薦める。
・桜川……ヒーローのはず。日本人。『喫茶桜川』の店主。
・辰巳……生物学者。知り合いからは辰と呼ばれている。友達は100人いるらしい。
・五味さん……警察官。身分を証明できなかったリーフに「タツ」を紹介する。
・ウパ男……オス。見た目はウーパールーパーに似ている。注文が多い。
・葛羅耶姫……土地神。正体は九つの頭を持つ蛇。雌雄同体(?)。お賽銭が少ないことを嘆いている。
ご近所にもファンタジーが普通に転がっていたようです。
次回の桜川は「転生令嬢」「白ふわ」「こんにゃく」です