5-1 中華レディと餃子とかんざし
本日のお客様は、やたら派手派手しい着物を着たレディだった。
頭には色とりどりの花を模した簪がぐっさぐっさ頭に刺さっている。ついでに蝶の簪も刺さっているから、さながら、お花畑だ。
厚手の赤の着物みたいなのにはフェニックスやら大輪の花が刺繍されている。全体的にもっさりした感じだ。 あんなに重たいもの首が痛くならないだろうか。
まあ、お客様の中には船の模型みたいなのを頭に乗っけてた人もいたから、それに比べれば驚くことなどないけれど。
あれだけ分厚い生地の着物を着ていたら部屋の温度はたぶん大丈夫だろう。リーフとしては少し肌寒いくらいだが。
お客様の前にメニューを置く。
「飯屋か? うーんと香りがする料理がいい。 後宮の食事って毒が入っていたらわかるように香りも味も薄いから」
「香りの濃いものですか?」
「……そのチャオズとかあったら」
かんざしレディはちょっと頬を染めて言った。
「ちゃお……?」
「餃子だ」
夫が説明を補足してくれる。たまにどら子のパワーでも翻訳を失敗することはある。
でもさすがに、この喫茶店のメニューにはない。
「冷凍餃子で良かったら出せるけれど。お前も昼飯食べるよな」
◇
「お箸使える?」
リーフは五年の日本生活でお箸はお手の物だが、お客様がどうかわからない。
「ああ、だが……」
リーフは女性客の餃子を一つだけ半分に割って女性に差した。
「おいしそうだ」
香ばしい香りが店内に広がる。
「私も中華大好きなのよね。普段はコーヒーとかの香りを邪魔するから、仕事中に頼むと店主には嫌な顔されるんだけれど」
遅れて、リーフの頼んだチャーハンもテーブルに並ぶ。女性客がチャーハンをじーっと見つめる。
「半分どう?」
「いいのか?」
「ええ。スプーンと取り皿お願い」
夫がすぐにスプーンと取り皿、ついでにスープまで持ってきてくれた。
「中華スープわざわざ作ってくれたの?」
「んや、いつものスープにごま油と溶き卵を入れただけ」
「もう一度確認するが、あなたは私の国とは交流のない異国の人ってことでいいのか?」
かんざしレディの真剣な問いにリーフは頷いた。
「たぶんそうね。あなたの国の人に会う可能性は私も彼も、ほぼないわ。」
「……ならいいか」
そう言って始まった愚痴だかのろけだか。
「最初、私は皇帝の数いるお嫁さんの一人だった。でも本当の夫婦にならないまま第三皇子に下賜されたのだ」
「えー。お嫁さんを弟にやっちゃったの?」
ありえない。
「部下に褒美代わりに宮女を下賜することはよくあることだ。 下位の宮女なんて実際は花嫁修行……良い縁談を得るための箔付け狙いで入ってくるものもいる。すくなくとも私は皇帝の訪れをじっと待つより第三皇子の嫁になるほうが幸せだった」
「私より三つ年下の第三王子は、幽霊が好きな変わったお人でな。恋人の幽霊さんは数代前に毒で死んだ公主だ。そのせいか公主は毒気に敏感でな。毎日ご飯に毒が入っていても、そのおかげで殿下は今まで毒殺されることはなかったから、それは、まあいい」
はー。
「最近は会話も増えて、私のことも気にかけてくださるようになって。 で、私の地位がやっと確立し始めた頃に皇帝から新たに嫁を引き取ったのだ。第三皇子の三つ下のな」
目の前のお嬢さんは、二十歳を越えているようには見えない。新たなお嫁さんは彼女の六つ下ということのようだ。
「愛らしい娘で、私を姉さまと呼んで慕ってくれている。 賢しい策だとわかっていても、どうしてもかまってしまう。
公主はたおややかで美しく、新たに来た嫁もかわいくて、将来美人になることがわかっている。でも慕ってくれる者を振り払うことはできない。私はどうすればいいのだ」
かんざしレディは凛した雰囲気の美人だと思う。ただ彼女、化粧や着物の袖でうまくごまかしているが、頬や手にはちょこちょこ古傷が付いている。背も高く(たぶん夫よりも少し背が高いくらい)、全体的にがっちりしている。アスリート系な感じだ。ちょっと『たおやか』とは違う。
「おいしいご飯を作るとか?」
ぶっと背後で夫が噴き出す。
(どうせ私は料理は下手ですよ)
「簡単な野戦食なら作れる。試してみたいが、夫に警戒されながら食べられると思うとちょっと、な。味的にも、毒的にも」
彼女の夫は身内が作ったご飯まで疑わないといけないのか。
皇子の側にいる彼女も毒を盛られたことが一度や二度あったかもしれない。
毎日毎日毒を警戒して食べるご飯なんておいしくなかろう。
彼女は毒の心配のないなんちゃって中華料理をとても喜んでいる。おそらく、彼女が昔食べていたものとは全然別物だろうけれど。
「別に夫婦仲が悪いわけではない。彼は家族だと言って大切にしてくれる。少し愚痴りたかっただけだ」
美人に美少女が、恋人と幼な妻。
少しくらい、お手伝いしたい。たとえ手遅れでも。
「まず、装いだけれど、何でもかんでも綺麗なものを頭にぶっさせばいいってわけじゃないでしょ? 服との相性とか……赤い服には赤系でまとめて、ポイントで青い石使うとか。今のままだとにぎやか過ぎて服と頭にしか目がいかないわよ。」
リーフ自身もほとんど身支度は侍女に任せていたが。そういえば……
「侍女とかいないの?」
「べたべた触られるのが嫌で、自分でさっさと済ませてしまうんだ」
「お化粧も自分で?」
「偵察や奇襲に必要だからな」
「化粧は上手よ」
傷の部分は少し厚く塗るしかないだろうが、あとはムラなく自然に塗られている。
(それにしてもなぜ偵察や奇襲?)
「服とかぜんぜん違うから参考にならないだろうけれど」
そう言って、リーフは本棚に置いてあるファッション誌(2ヶ月前)を開けて見せた。
やっぱりかんざしレディも若い女性らしく華やかな洋服やネックレスやバックやらをちょっときらきらした目で見つめて、リーフに熱心に説明を求めた。
あんまり喜ぶものだから、一冊だけウエディングドレス特集に惹かれて買ったファッション誌を掘り出してきて彼女に見せたが、ウエディングドレスの説明をしても奇妙なものを
「寝巻きで結婚式を行うのか? 気が早すぎないか?」
白い上に肩むき出しなウエディングドレスが多いから、寝巻きと勘違いしたのだろう。
代わりにかんざしレディが興味を持ったのはウエディングブーケだった。
「……様にこんな花束もらえたら」
頬を染めてきれいなブーケを飽きずに眺めていたが、リーフが箸を止めてにまにま自分を見ていると気づくと咳払いをした。
「ありがとう。良い助言をもらった」
かんざしレディは頭に刺さっている美しい簪を引き抜きリーフに渡す。 藤に見立てたアメジストの簪だ。
◇
テーブルには一口も手の付けられていない餃子とチャーハンが残った。
「うーん。残っちゃったけれど、仕方ないよね。どら子食べる?」
どら子はくえーっと吠えて、肯定の意を伝えた。
ウパ男も水槽から脱走して、餃子を食べ始めた。注文をつけていたわりには雑食だ。
「さすがにお香は駄目だろうけれど。アロマキャンドルならいい?」
「ああ」
決して餃子の臭いをごまかすわけではない。
ガラスの器に花のアロマキャンドルを点ける。
「本当、この喫茶店の客層、大丈夫か?」
夫がついこぼしてしまう。
リーフや夫が彼女の服に目が行ってしまったのは何も鮮やかな赤の着物だったからだけではない。
今日のお客様は透けている上、お腹の辺りには赤い着物でもわかるほどの大きな血だまりができていたのだ。
確かな重みのある葡萄だか藤だかを模した簪にはべったり血の痕があった。
◇◇◇
「紺春」
「お姉さま、どこに行っていたの?」
夫が私の名を呼び、側にいた恋敵と言うにはあまりに幼い少女が抱きついてきた。
「ちょっとな」
そう言って、恋敵の頭をなでてやる。皇子も私の側に来るといつもの背くらべをした。
「うーん。まだ追い越せない」
まだ、背は私の目の辺りくらいまでしかない。
私の背を超えたら、本当の夫婦になろうと約束しているのだ。
……毒を盛ろうと一向に死なないことにいらだった”敵”は半年前ついに実力行使に出た。
私は隠し持っていた短剣とかんざしで暗殺者を討ち取ったが、私自身も傷を負い、半日苦しんだ後死んでしまった。
彼を守ってやれなくなった。私は彼をもっと守れるはずだったのに。
それから、半年、敵は動かなかった。 毎日のように続いていた毒殺未遂事件もじょじょに減っていった。
常に彼の側にいれるわけではない。 幽霊とて休息を必要とする。 毎日、公主と交代で宮廷内のきなくさい会話を集め皇子に報告していたが……
比較的平和な日々に警戒は緩んでしまい、私たちはその情報を聞き漏らしてしまった。
恋敵の背中をなでてやりたくても、少女の背中に刺さった矢が邪魔をする。
王子と一緒にいるところをいくつもの矢が降り注いだ。 恋敵は私の遺言を果たして、小さな身体で精一杯夫を守った。けれど……
彼が私の背を超えることはもうないのだ。
「……皇子」
我々のやり取りを控えめな笑顔で眺めていた公主が、すっと目を細める。
皇子はいつもと変わらぬ笑顔まま、こくりとうなずき、冷え切った瞳で王城を見上げ告げた。
「さあ、復讐をはじめよう」
◇◇
「彼女、『悪役』には見えなかったわね」
―人の善悪など我に関係ない。 人が善と悪に振り分けるだけだ。
最近、やっと目の前のペットが神様級のドラゴンと理解した夫に神様のありがたい言葉を伝える。
どら子の扱いが変わるわけではないけれど。
「勝てば官軍負ければ賊軍ってことかね」
―ただ、あれは大切なものを奪われるときまで、善であったのだろうよ
祟り神だ、とひそやかに告げたドラゴンは丸まってしまった。
彼女が祟り神になる理由なんて一つだ。
喫茶店は立ち止まる場所ではあるけれど、結局同じ道を選ぶ人も、道をすでに選んでしまっている人もいるのだろう。
ただ、彼女と彼女の大切な人の魂が安らかなることを願う。
本日のご令嬢……本名織紺春。毒殺、謀殺等が日常茶飯事の中華風な世界から来たレディ。リーフが和服と漢服の見分けがつかないため、微妙に誤解を与える表現になりました。
リーフ視点で見たら、鳳凰はフェニックスですし、東洋系の服は全部着物です。
中華レディのお名前変えさせていただきました。
次回の『喫茶桜川』は『ご近所様』『ナポリタン』『ペペロンチーノ』『葛饅頭』です。