4-2 魔術師とコーヒーと杖
翌日、少女は昨日と同じワゴンから、しっかりとした足取りで降りてきた。
「助けてくださりありがとうございます。」
少女は礼を言うがその表情は暗い。帰ったとして、追われるかもしれない。どうやって生きていくのか不安なのだろう。
「大丈夫よ。ね?」
「きゅぴ」
どら子は威厳のある心の声と正反対の愛くるしい鳴き声で答えた。
クリーニングはしたのだろうが、白いワンピースの襟首には赤い染みは残っている。
「あの、指輪は?」
少女は左手の薬指をさすった。
―あの指輪を再びつけるか?
「……」
ラベンダーの髪の少女は何も言えない。
―代金を置いていけ
厳密には、ラベンダーの少女は注文をしていないから、何かを払ってもらう必要はないのだが。
「処刑場からここへ来たのです。なにもお礼はできませんが、この胸飾りでよろしいでしょうか」
―指輪を渡すのだ
「はあぁあ?」
あんな小さな石がくっついているだけの指輪より明らかにこっちの豪華な胸飾りのほうがいい品でしょうが。それがだめだったら金の腕輪でも。
「あれは、はずせないのです。なぜはずせたのですか?」
少女は眉を寄せぶるぶる肩を震わせて辛そうに問う。
それまでカウンターで聞き耳を立てながら片付けをしていた夫は、突然震えだした少女に「どうぞ、席に座って」と言いミルクティーをテーブルに置いた。ティーカップを置くとき彼女の首に視線を向けたが、それ以上は何も言わずに下がる。
少女は出されたミルクティーを飲んでほうっとため息をついた。
緊張が少しだけほぐれたのか、少女の瞳からぽろぽろ涙がこぼれる。
―その女が言ったとおり大丈夫だ。できる限り安全なところに帰してやる。
「本当は何日か様子見していたほうがいいのだが」
血みどろだった首には白い包帯が巻かれている。今は血が滲んでいない。
辰さんは茶色い瓶を少女に渡し、手当ての方法を説明をする。
「昨日も説明したけれど、一週間は傷口をこすったりしないで。で、毎日この薬を塗って包帯を替えて。殺菌と皮膚再生を促す効果のある薬で、使い切る頃には傷はきれいにふさがっているはずだ。清潔な包帯が手に入らないなら、沸騰した湯で……」
説明の間も特にどら子は文句を言わなかった。持って帰っていいものだろう。
と、ぽーんぽーんと柱時計の音が喫茶店内に響いた。
飾り棚の茶葉缶に指輪が取り残されたまま、ほとんど問答無用で少女は帰された。
◇
辰さんが帰って、テーブルを拭いていたら、どら子が飾り棚のほうに顔を向けて言った。
―それは魔素を吸う。できる限り我と離せ。
―この世界の魔素は少なく、生物もさほど魔素を消費しないが、世界を構成する重要な要素だ。人間の言葉で言う『さんそ』や『あみのさん』というのと変わらない。一日や二日でどうこうなるものではないが下手に放置していると、人の身体に悪影響を及ぼす―
「酸素とアミノ酸はかなり違うような気がするけれど、人間に必要なものを知らない間に吸い取っちゃうってことね。捨てたら駄目なの?」
―捨てた先で魔素を吸い尽くすかも知れんな。
なんてやっかいな。
「やっぱり胸飾りのほうをもらっていたほうが良かったんじゃない?」
仕方がないので指輪入り茶葉缶をさらに大き目の茶葉缶に入れて、ガムテープでぐるぐる巻きにした。
『危険物!水色の指輪!開封現金』
―字間違ってないか?
読むのはどら子のスーパーパワーで何とかなるが、同じ発音で複数の文字を持つ日本語を書くのはどうも苦手だ。
でも、意味がわかればいいのだ。
―開けたらへそくりが出てくるのだな。
どら子が鼻で笑った。むかっ。
私は『現金』に二重線を引いて、ひらがなで『げんきん』と書き直した。
―それにしてもその石を何に使うつもりだったのだろうな。
◇
三日後。
ぼーん…ボン……ボーン……ぼっ
いつもの一定のリズムじゃない。どら子は首をもたげ目をまん丸にした。
柱時計の文字盤はぴしぴしと細かな亀裂ができている。
たしか、空間が盛大に裂けないように半月は次の令嬢を呼ばないって聞いていたのに。
ついでに、いつもは瞬きの間に人が静かに現れるというのに、黒い穴が開き穴の中心から紫電が放射状に飛ぶ。 飛んだ雷が床や壁に焦げを作るものだから、夫はカウンターの影に、私もどら子を抱えてテーブルの下に隠れた。
「いや!」
「なんなんだよ!?」
穴が人一人分くらいの大きさになると頭にターバンを巻き、手に杖を持ったぞろりとした服の男が現れた。
「どら子が呼んだの?」
どら子がふるふる首を振る。
完全にどら子の予想外だったようだ。お客がいなくて本当に良かった。
男はじろじろ店内を確認する。
「い、いらっしゃいませ?」
お呼びじゃない客でも客ではある。
雷で攻撃でもされたらただの人間の私なんて一瞬で黒こげ……。 恐る恐る席を勧める。
「我が浮遊都市の要たる浮遊石を捨てるなんて」
なんでも、王妃候補が死なないと新たな王妃候補に渡せないんだそうだ。 なぜはずせたかは不明だそうで。婚約破棄=死って。
―せっかく助けてやったというに、あの娘の魔素を吸い尽くすつもりか―
男はぴくりと眉を動かした。
「あなたには関係ないでしょう。こちらも差し迫っているのです」
どら子はため息のあと、呟いた。
―わかった返そう。
お客様にメニューを出してもいらないって言うので、夫はいままで令嬢の誰一人として選ばなかったものを出した。
「店内の香りと同じですね」
コーヒーだ。令嬢達はたいてい甘いもの、きれいなもの、可愛らしいものを選ぶ。
「苦いので、苦いのが苦手でしたらこちらの砂糖とミルクを加えてください」
一口飲んで変な顔した上、さらに眉間にしわが寄ったというのに、砂糖もミルクも加えずにまた一口。
「あの……砂糖を」
ぎろっと睨まれた。そしてまた一口。
すごい意地っ張りだ。
どら子がこちらをちらっと見たので、私は押入れの隅に仕舞っていた指輪を取りに行った。
その間、一応客は夫に文句をつけているようだった。
「こんなまずいものを出すとは」
「そう言って、全部飲みきったじゃないか」
「その上、何か寄越せとは」
「この世界のお金を持っていないんじゃあな。今、持ち合わせがないって言うなら、そのボタン一つでもいいし、次回でもいい」
まあ、直したばかりの床を焦がされちゃあね。
私はガムテープだけはずして指輪の入った茶葉缶を渡した。
あまり”向こう側”の文明レベルとかけ離れているものを渡すとどら子から待ったがかかるからだ。
前回の軟膏は本当に特別だったのだ。
ターバンの男は手袋をはめた手で慎重にふたを開け中身を確認する。
「これで……助かる」
―その箱は持っていってよい―
◇
彼はぐちぐち文句を言って去っていった。
代わりに木の棒を捨てて行ったけれど。
今は吊るして、ドラ子の止まり木になっている。
数日後。
「あの娘、どうなったかしら」
一般客が去った後、テーブルの上を拭きながら、呟いた。
独り言めいた呟きに、止まり木の上で器用に丸まっているどら子がこちらを見る。
―気になるか?―
「いつも、その後のことはわからないって言っているじゃない」
おかげで、私の家族がどうなったのかわからずじまいである。
―私が開けた穴をあのニンゲンのオスがこじ開けたからな。少しならわかるぞ―
私はいそいそとクリームソーダをどら子様に献上した。
―あの悪役令嬢はニンゲンが少ないところに住処を変えた―
「そう」
隠れるように暮らすのかと思うと少しさびしくて悲しい。
―あのオスも一緒だ。人の身で二度も界渡りをしたのだ。おそらく魔術は使えなくなったろうが……。もう十分だろう――
「ええ」
あのオスとは、木の棒を置いていった男だろうか。
その先の幸福にも不幸にも私たちは関わることはできない。
でも、世界が違っても幸福を願うことはできる。
魔術師……血まみれの少女と同じ世界の魔術師。異世界を渡れる。水色の指輪を取り返しに来た。コーヒー豆自体は彼らの世界にもあるが、炒って飲むようなことはなく、呪物や薬扱い。
次回の『喫茶 桜川』は『魔術師』『串焼き』『姫巫女』です。