後始末
「・・・弟ハゲできてたよ」
後頭部が薄く禿げていただけだが。
最後の驚いた顔は写真にとっておきたいくらいだったが、してやった達成感と同時に、時の流れから取り残された空虚感が残った。
「おい、本当か」
「ええっと、本当かな?」
一応、研究所で検査してから報告するつもりだったのだ。
「ご懐妊おめでとうございます。今後何かと手が必要でございましょう。ぜひお仕えさせてください。家事でもお店のお手伝いでも夜のお話し相手でもなんでも致します」
さっきの涙はどこへやら。ワーグはすでに就職活動をしている。 そして最後は明らかに夫に言っているではないか。ちょい待て、こら。
「悪いが夫婦二人でやっていくのが精一杯だ。これから物入りになるだろうから雇えない」
夫は言葉の意味を気づいているのか、気づいていないのか。
「もう、人が来る。さっさと終わらせよう」
狐の言葉と同時に店内に次々と青い火花が散る。火花の中には小さな穴やヒビがちらちらと見える。これが、空間の裂け目ってこと? 穴だらけじゃないか。一部、砂漠や硝煙燻る市街地ーー向こう側の世界が見えてたりする。これは雑な仕事と言われても仕方がない。
穴やひびは徐々に小さく、薄くなり、一部は消えていく。
残った火花は一ヶ所に集まり、柱時計を粉々に砕いた。
「ちょっと、それお気に入りなのに」
狐はちらりとこちらを見るとバカにしたように鼻をならした。
無惨に砕けたはずの破片が繋ぎ合わさっていく。
いつだかの時、ヒビが入ってしまって、セロテープを貼っていた文字盤のガラスまですっかり元通りだ。
「次、問題を起こしたらこの喫茶店丸ごと潰すからね」
「は、はい」
ーもし生きづらいと思ったら、私たちの里を訪ねるといい。
ー女子には甘いの
狐の神様(と葛羅夜様)はそう、言い残して霞のように消えてしまった。
「柱時計を一瞬で」
ぴかぴかの柱時計に無傷の飾り棚。
対して辺りは机やら椅子やら食器類など、店内の物が散乱したままだ。
「ついでに狐に」
今からお賽銭箱に千円札入れたらリフォームしてくれるんじゃなかろうか。
ーあれほどの腕があれば可能だろうが、
「どら子ちゃんはできないのかな~?」
ー雑な仕事で良ければ
「・・・・・・。修理費いくらかかるのよ」
「狐ってなんのこと」
辰巳がたずねた。
「なんのことって・・・」
どうやらどら子の声はところどころ聞こえていたようだが、狐と葛羅夜様の姿を見るどころか、声を聞くことも叶わなかったようだ。
早速声帯を確認しようとどら子を追っかけ回している辰巳を見るに、彼らが姿を見せなかったのは正解だろう。
そうこう言っているうちに、嫁友とご子息が到着した。
◇
「きゃー! 本物?本物? 触っていい!? もー、このタイプの耳ならあれっきゃないよね?」
横から生えている猫耳のどこが珍しいのか。ちょんちょん触れられて「みゃん」と鳴いているワーグ哀れだ。
「く○親父、おまえは人の最低限の分別ってものを忘れたのか」
「分別、法といったものは守っているつもりだが。私の探求の邪魔にならなければ。ギイチ、親っぽいものに対してそういう言い方はよくないぞ」
乾義一・・・ヨッシーくんは辰巳さんの息子だ。はじめて会ったときは小学校低学年だったが、もう今は中学生だ。
「なんで、息子の名前間違えるんだよ! あれ見て法を犯してないなんてよく言えるな」
みゃんみゃん鳴いているワーグ・・・の耳を指差した。
「僕は生命の神秘に・・・神の領域に手を加えようなんて思っていないよ」
皆の疑わしげな目が学者に集まる。
もしうっかり狐神様がこの男の前に姿を現していたら、解剖してたよね。神様を解剖してはいけませんなんて法は少なくともこの日本にはないだろうし。
「人・・・ホモサピエンスサピエンスかの分類はあとでじっくり行うとして、指差すのはよくないぞ。それに私は文字を選んだだけで、ふりがなをつけたのは乾くんだ」
確か、次仮に男の子が生まれたときは、分かりやすく義二にするって言ってたよね。
「その娘に変なことするなよ」
「どうするかはあとで考えるとして・・・・・・まずは」
辰巳さんはスマホをぴこぴこ操作して、誰かに電話をする。
「先輩おひさ~。今大丈夫~? 久しぶりにあの喫茶店に来てるんだよね。彼女元気にしてるよ」
『もう5年か』
久しぶりにって月に何度も来てるじゃないか。
と思ったら、スマホを突きつけられる。
画面に映っているのは、戸籍関係でとてもお世話になった方だ。法律の偉い人らしい。
「ご無沙汰しています。リーフです。」
私が挨拶している間に学者がちょいちょいとワーグを手招きする。
『ああ、久しぶり。元気そうで何よ・・・・・・。』
「紹介したい子がもう一人いるんだよね。じゃ~ん。本物の獣耳。すごいでしょ」
学者のジェスチャーにしたがってスマホを覗きこんだワーグはぴっくり目をしばたたかせた。
『・・・・・・・・・。元いたところに戻してきなさい』
「帰しちゃうと、宇宙が滅びるんだって。さっき滅びかけたし。ほら」
どら子がこくこく頷いたのを横目で確認した辰巳さんはスマホで店内をぐるりと撮して、最後にラピスが消えた辺り、ケーキのようにすっぱり断面が見えているテーブルや椅子に向けた。
『・・・・・・・・・。あとで話し合おう。5時間くらい』
ぷ。つーつー。
「これで大丈夫。」
いや、大丈夫じゃないでしょ。あの人の胃が。
「リーフちゃんの時と同じで研究所でしばらく検査して、それからこの喫茶店で住み込み」
「絶対嫌だからね」
理由はわかる。あんな何にもない研究所の一室に閉じ込められていたらこの世界の社会常識なんて身に付かない。
彼らも調べたいことを調べ終われば放り出しかねない。 実際私は研究協力費が切れる直前、バイト紙と不動産のチラシを毎日見ては頭を抱えていた。 ワーグという特殊性から考えても私よりも研究期間は長いだろうし、未成年を放り出すほど非道ではないはずだが。
「研究協力費、前の二倍出すから」
「二倍?」
桜川がちょっと心引かれている。
「あのね。ワーグはある時期になると、人を呼ぶの。絶対騒ぎになるわよ」
「招き猫じゃないか」
夫の目に喜色が浮かぶが、ワーグは閑古鳥がなく喫茶店の救世主にはならない。
ある意味ラピスよりも厄介な存在なのだ。
「リーフスラシル様」
憐れっぽく手を組んで拝もうがダメなものはダメだ。
「とにかく絶対許可しません。他のお友だちに声をかけてください」
言い切る。
大体同郷ってだけで、なんで私が面倒見る流れになるんだ。
「本来お仕えするべきは、ラピスやカール様ではなく、あなた様だったのです」
ワーグガ差し出したのは革紐に琥珀がひとつだけついただけの簡素なチョーカーだ。
似たようなものは世の中に腐るほどある。
でも、このワーグは、私をリーフスラシルだと確信していた・・・・・・。
◇
「そのチョーカー」
「……父の形見です」
灰色の髪に琥珀によく似た瞳のワーグを思い浮かべる。このワーグは彼とさほど似ていない。
「・・・アルバ。
彼は私を見捨てたじゃない。最低限の役にも立たなかったじゃないの!」
何があっても絶対助け出してくれるって、信じていたのに。
「おい」
夫が怒ったような顔で私の肩を掴む。
彼の怒りは知っている。彼は『ワーグ』を嫌っていた。人とワーグの差を嫌っていた。この世界には『平等』があって、私たちの世界の常識とは大きく違っている。 でもー
桜川が何を知っているというのだ。
暗い牢の中で死に向かう日々をただ数えていた。
それでも信じていたのだ。
「私の母は父は母たちを陽動に使おうとしたのです。ただその牢の中には内通者がいたのです」
「恋人いたんだ。誰?」
「フレイヤです。隣のクラスの」
別のクラスとはいえ、同級の貴族は一通り覚えている。確か刺繍の得意なだけの、空気のような生徒だった。
「彼女はラピスの派閥だったはずよ。あなたの母親が内通者だったんじゃないの」
「違います。本当に一度、父を助けただけの縁で。ラピスは『攻略対象を勝手に自分の派閥の少女がクリアしたことが許せない。もう少しで完璧にクリアできたのに。あんたのせいでまた一からやり直しじゃない。親の罪は子供の罪よ』捕まった時、そう言っていました」
捕まった当時のことを思い出したようでぶるぶる震える。
「その一度の失敗でアルバは私を見捨てて、恋人と逃げたわけね?助ける機会は他にもあったでしょう」
彼女は最後にびくりと肩を揺らした。
かちかちと柱時計の音がやけにうるさく聞こえる。
答えは返ってこない。
もう、これ以上聞いても怒りが納まることはないだろうし、彼女は琥珀を見せて父の形見だと言った。
本人に聞けないのだ。このワーグを今さらいじめても仕方がない。ラピスと同じになってしまう。
このワーグは、私のワーグではないのだから。
「あまり興奮すると身体に障るよ」
辰巳がそういっている横でヨッシーくんが倒れている椅子を起こして私を座らせてくれる。
「私はあなたの主ではありません。あなたを縛り付けるほどの地位も財力も失ったのです。最低限の検査が終われば、その辰巳って人がここよりもっといい就職先を見つけてくれるわ」
「ああ。落ち着いたら必ず」
「落ち着いたら、ね」
落ち着いた頃に辰巳はひどい目に遭うのだろうけれど。
『こっぉうら、ゴミいつまで茶しばいてやがる。さっさと戻ってこい! つうか今すぐ現場に向かえ。場所はー』
無線から、上司さんのがなり声が聞こえた。
「エリ、時間があるならちょっとだけ片付け手伝ってやってくれ」
それだけいうとお嫁さんを置いて、五味さんは足早に喫茶店を後にした。
「それじゃ、僕も帰るよ。ギイチ、帰ろう。えーっと、名前なんだっけ」
「メリザです」
ワーグが答える。そう言えば名前聞いてなかったな。別にどうでもいいけれど。
「この娘に変なことしたら普通に119番するからな。五味さんに連絡入れずに」
「それはちょっと困るな」
なんだかんだで五味さんは辰巳さんに甘い。
「嫌なことされそうになったら、俺に言えよ」
「ギイー様」
メリザは三つくらい年下の少年にうるうる感動している。演技なのか、狙いをつけているだけなのか。
ヨッーくんも私が親しみを込めてヨッシーくんって言ったら機嫌を損ねるくせに、メリザが「イチ」の発音さえできなくても特に怒った様子もなく、彼女を元気付けるように頷いている。
ふ~ん。この調子なら被害は少ないかもしれない。
「片付けに手伝いが必要ならいつでも言って。友達の友達紹介するから」
辰巳さんとヨッシーくんとメリザが喫茶店をでていく。
「ああん、女給風とか絶対似合うのに。本当に雇わないの?」
「雇いません」
「そう言えば大丈夫? 体が悪いってたっつー言ってたけれど。って何これ?」
彼女はそのときになって辺りを見回して、やっと喫茶店の中の有り様に気づいた。
喫茶店のなかで、ブラックホールだかビックバーンだがが発生したときも、大声で宣言したときも、まだエリさんもヨッシーくんも到着していなかった。
「違うのよ」
私はごにょごにょと報告した。
「先越されたか~。もう奥で休んでて。さくさく片付けちゃうから」
「迷惑かけられない。色々用事もあるだろう?」
桜川がやんわり断る。
「そう? じゃあちょっとだけお手伝いしたら帰るね」
「そんなのほんとにいいよ」
続いて私も一応断ったが、箒とちり取りの場所も言ってないのに彼女はさっさと見つけ出して瞬く間にガラスを片付けた。
「リッちゃんに無理させたらダメだからね」
ある程度掃いたところで、彼女はそう言い残して、去っていった。お茶くらいは出したかったけれど、モザイクガラスの照明もいくつかは壊れて、机やら床やらにまだちらばっている。
「お気に入りだったのに」
ため息をつきながら残りのガラスも掃いていく。
「?」
あるものが目について、私は身を屈めた。
「あまり屈むなよ」
ちょっとくらいいいじゃない。細かいわね。
床に転がっていた濃い青のひび割れたビー玉を拾い上げた。
「こんなのあったかしら」
私はそれを飾り棚に戻した。
◇
五味エリカ・・・趣味はコスプレ衣装作り。五味の指導のお陰で日頃から非常口と武器の位置は常に把握するようにしている。短くかわいくをモットーに勝手にあだ名をつけてしまう。
乾義一・・・父母と共に研究所敷地内で生活しているが、父親と同姓になることを全力で拒否している。ヨッシーくん。ギイチ。ギイー様といろいろな呼ばれ方をされている。




