8-2悪役令嬢とラーメンとヒロイン
紆余曲折を経て、そこそこ安定した暮らしを手に入れたわけだが――
「みんなどうしているかしら」
弟を除く。
「みんなって? 向こう(・・・)の家族?」
独り言を呟けば、レモンティーを飲んでいた辰さんがそれを拾って尋ねた。
五味さんがピーチクリームティーを飲んで休憩している。
警察が頻繁に喫茶店で休憩していていいのかと思わないでもないが、身元不明女性の保護×2(うち一人重傷)、法律すれすれの謎のお香、暴走車両、謎の水道管破裂、血まみれの銃弾とかんざしなどなど、事件の発生率が異様に高いのは事実だから、何も言えない。
「うーん」
私は唸りながらちらりと夫のほうを見た。こちらに背を向けてグラスや皿を片付けたりしているが、耳はこちらの声を拾おうとしているのが丸わかりだ。
昔の夢を見ることが多くなって、無性に家族のことが恋しくなったのかもしれない。それとも期限が近づいているせいかも。
弟は弟の癖に私を断罪したから、別に会いたいとも思わない。
家を残すためにあえて敵方に回るのも時には必要だが、それにしたって前もっての打ち合わせも無かったし、這い蹲らされた私を弟は本気で見下していた。
私の世界はこの世界(地球)の五倍の速さで時間が進んでいると聞いている。恨みはちょびっと残っているが、別に相手を殺してやりたいほどの暗い炎はすでに消え失せている。
ただ、父母に会える期限は刻一刻と減っている。
葛羅様からはむやみに穴をあけるなとも言われているけれど。
―繋げることができるぞ
えっへん。という感じでウパ男が言った。
今日はアカムシ多めに与えよう。
「おー、できるオス」
―やめときゃいいのに
対してどら子は冷めた反応だ。
5年×5=25年 王子は四十代前半か。太鼓腹になってたら笑ってやろう。
「でも、辰さんたちが帰ってか――」
ぽーん。ぽーん。ぽーん。
「ここは?」
「どこだ?」
現れたのは七人。
一人は早々に剣の柄に手をかけている。 騎士団長の息子だった男だ。みんな老けたなー。
目に痛いオーロラ髪のヒロインが輪の中心にちゃっかりいる。詐欺メイクだろうか。見知った皆が相応に歳を重ねている中、一人だけ二十代後半に見える。
「日本という国にある喫茶店……飲食店ですわ。どうぞそちらのお席に」
まず、笑顔でヒロイン、王子、宰相子息、騎士団長子息、フードをかぶった見知らぬ少女、そして私の弟他1名にメニューを配った。……王子達は何事もなければそれぞれ親の職を継いでいるはずだ。弟は残念ながら太鼓腹にはなっていなかった。ちっ。
他は、席に付くがフードの少女だけが、立ったままだ。ああ、ワーグか。
「どうぞお席に」
夫が少女にわざわざ声をかけた。ワーグでも客は客だ。少女は一瞬固まったが、おとなしく座った。
というか取り巻きの男増えていないか? あれってどっかの国の第二王子?
舞踏会かなんかで見たような気がする。
じろじろと店内を見渡したヒロイン他数人が飾り棚に目を向けた。ヒロインは立ち上がり飾り棚に近づくと、彼らもぞろぞろと付いていく。
「おさわり厳禁ですよ」
いつもなら、多少触れてもらっても目くじら立てることはないが、このかたがたに私が美しく飾っているコレクションに無遠慮に触って欲しくない。
「この扇なんか素敵ね」
ヒロインのその一言で、宰相の息子が扇を持った。
それ、一番のお気に入りなんだって!
「ラピス様どうぞ手にとってください」
「いくら払えばいい?」
弟は私のほうを振り返って、交渉を始める。髪の毛切った上、ズボンとTシャツにフリルエプロン姿の私に気づかないようだ。 ちょっとくらい気づいたらどう?
「そちらに飾っているものはすべて頂き物で、お売りすることはできないんです。申し訳ございません」
「女神にも等しいお方に献上する栄誉を授かれたのに。金までせびるとは――」
騎士団長息子は剣を鞘から抜いて、私に突きつけた。
騎士団長息子、相変わらず話を聞かないね。
あんたらにとって女神だろうと私にとっては、顔を見ただけ笑顔が引きつるんですが。
五味さんの笑顔も怖くなっている。
「私、ケーキがいいわ。誕生日なんだし」
甘ったるい声でヒロインが言った。
「そうですか。おめでとうございます」
「では私も」
「俺も」
「俺は、この不思議な色の飲み物を毒見した上、ラピス様に献上する」
ストローですか。間接ですか。
夫はすごく嫌そうな顔をしている。学者は面白そうに観察しているが。
「ありがとう」
「ずるいぞ。なら僕はこれにする」
我が弟が指差したのはピーチクリームソーダだ。
「まあ。とっても素敵な色」
我が弟がその言葉にでれでれと相好を崩す。
なんなんだ。
頭が痛くなってきた。
「もう、上からまとめて―」
「そこの殿方、こちらに来て一緒に楽しみません」
ヒロインは辰巳さんに声をかけた。
ティルナでは見慣れない黒髪より薄い色の髪の学者のほうが声をかけやすかったようだ。
顔はトリオの中では一番整っているし。
「美しい女性にお誘いの言葉をいただけるとは」
辰巳さんも悪乗りして、ヒロインの髪の毛を一つまみすくい、口をつけるまねをする。
だから、そういうことは婚約者や家族しかしたらダメなんだって!
ああ、目当ては彼女の髪か。 ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてしまいそうな王子達と、美形をはべらせてご満悦なヒロインには悪いが、学者にはヒロインの髪をむしりたい衝動しかないのだろう。
彼は髪の毛の一本でももらえれば、それでokなのだろうが。
「孔雀と大差ないか」
学者の顔には少しつまらなそうな表情が浮かんだが、すぐ元の胡散臭い笑みに戻った。
「ねえ、チ○○ラーメンある?」
騎士団長の息子の言葉をさえぎって、ラピスが身を乗り出す。
「「は?」」
私と夫は同時に声を上げた。
「ほら、○よ○の」
いや、知っているが、何でこのオーロラ女が知っているのだ。
「商品名を言うな。袋ならあるが、トッピングは?」
「あるの!?あるのね。玉子潰さず半熟で、具は白菜、ねぎは多めで」
もうきらっきらの笑顔だ。
「か、かしこまりました?」
わけのわからないまま、とりあえず注文を聞く。当然当店のメニューにはそんなもの書かれていない。
「ラピス様が愛してやまない嗜好の品」
「結婚の条件に挙げたモノ」
「貴様、ラピス様との結婚を狙っているのか?」
結婚のための献上品って、かぐや姫かい。そして、騎士団長息子店内で剣を人に突きつけるな。目の前に警官がいるぞ。ほら、笑顔のまま警棒に手をかけてる。
「いや、俺嫁いるから」
「ご飯もお願いね」
数人がヒロインの言葉に反応する。
「ご飯は並で?」
「ええ」
「もしや『ご飯』も?」
男達が肩を寄せ合ってこそこそ話し合った後、ぎろりと怨嗟の瞳を夫に向けた。
『ご飯』も結婚の条件にしていたのか。
米はもともと南方のものらしいから、冬の厳しいティルナでは手に入れたとしてもすぐには育たないだろう。耐寒性のある日本のお米なら育つかもしれないが、ここにあるのは精米された後のお米だ。
「ええ、久々だからね」
「皆様、ご飯並でよろしいでしょうか?」
はいっと子供のような返事がそろった。 本当にこいつらがティルナ国や隣国の要人で大丈夫なのだろうか。
「至高の品を必ず再現して見せます。店主、私も『らーめん』を」
「ずるいぞ、私も」
宰相子息に続いて、他の男達も次々、手を上げる。 フードのワーグは、冷めた目で、彼らを見ているだけだ。
「トッピングは?」
「本来の味を確認したいので、なしで」
ティルナではナイフやスプーンはあったが、箸やフォークはなかった。
一応、スプーンとフォークとナイフと箸……手袋、……穴あきお玉もあったほうが食べやすいかもしれない。
切れないはさみはないから、トングが必要だろうか。
「ああ、後からでいいから、かきたまラーメンお願い。わかめとゴマにんじんにキャベツの千切りを少し入れて」
「じゃあ、半熟卵二袋、かきたま二袋、トッピングなし一袋でいいですか?」
怒涛の注文に圧倒されていると、夫は勝手にさくさくと決めて――
って、ちょいまちっ。私の常備食が……5袋入りが……一ヶ月分が……。
「ええ。宰相分は、茹でるんじゃなくてどんぶり漬けで」
夫はため息をつき、どんぶりを宰相の前に置いて即席めんとお湯を入れ、わざわざ見えやすいようにガラスの蓋で覆った。 って、本当にこいつが宰相なんかい。
「これが……この茶色くて硬いのが。ラピス様が至高の食べ物だと?」
「出来上がるまで、三分お待ちください」
「わかってるわ」
夫が調理に入っている間、とりあえずご飯を人数分よそって、並べる。
白米を興味深く見つめていた彼らは箸を器用に使って一口食べた。
「……味がない」
すばらしいものと信じたものが、それほどではなかったのだ。
味がないわけがないのだが、よく噛んだらおいしいのだけれど、塩漬け魚が主食の彼らにはご飯だけなら味がないに等しいのだろう。
みなが女神を絶賛する言葉を探せずに、口ごもっている。
「半熟卵入りラーメンおまち」「待ってました」
とうの女神は彼らの目もはばからず、ご飯の上に半熟卵と麺を載せ、少量のお汁をかける。
半熟卵に箸をあてるととろりとした黄身が溢れる。 まずご飯と黄身だけの部分を食べて、そのまま黄身をつぶして、麺とご飯とお汁と共に口の中にかき込む。その食べ方がおいしいのは認めるけれど、お世辞にも美しい食べ方じゃない。ヒロインがいいのかそれで。
「ん~~もうサイコー。生きてて良かったぁ~」
ヒロインはほっぺに手を当てて幸せそうな顔をする。
一番隅の席に座っている弟が、顎でワーグに給仕を命じる。
「僕も手伝うよ」
辰巳さんも椀によそい始める。
ワーグもぷるぷる震える手でお椀の中に半熟卵入りのラーメンを入れた。
観察している場合じゃなかった。ワーグや辰さんに給仕をさせるわけにはいかない。
「あっ」
割れた。ワーグが青ざめる。だから青ざめるほどのことじゃないし、彼らも早速鞭を取り出すなよ。五味さんだけじゃなくて夫の顔まで怖くなっているよ。
「あとは私が入れるから、それはあなたが食べて。冷めてしまう前に」
「……でも」
主人を差し置いて先に箸をつけるのは、許されない行為だろうが、冷めてしまう方がもったいない。
我が弟が「躾が足りてないワーグで申し訳ありません」とか言って、鞭を振り上げる。
私は一応椀をよそいながら、ワーグと弟の間に腕を滑り込ませる。
そんな鞭振り回している暇があったら、さっさと自分の分を自分でよそえ。
「この店内は、武器の使用は禁止」
「これは武器ではない。調きょー」
「このままいいところ出かけない」
緊迫の状況の中、学者はヒロインを口説きにかかって、彼らの目がワーグから学者のほうに向く。
いや、せっかくのラーメンがのびちゃうよ。貴重なラーメンなんだから、せめておいしいうちに食べて? 先にそれぞれのお椀に入れておいたら良かった。
「この国では卵に殺菌等の措置をしていますから、お国で同じようにされるのはよしたほうがいいですよ。もしくは卵をしっかり茹でるかしてください」
「おお、美味。これぞ天の国の味」
うん。スープの一滴まで飲み干したいくらいおいしいよね。 飲みすぎたら夫に怒られるんだけれど。
―あの指輪―
どら子の呟きにヒロインの指に目をやると、見覚えのある水色の指輪があった。
「あれって」
そう、血まみれの少女の物で一時缶の中に保管してたけれど、ターバンの男が取り返しに来た物だ。
―あれはいつからつけている?―
いつって、いつからだろう。私だって、もう五年前のことだし……
「確か石は小さかったし、装飾も地味だったけれど、付けていたと思う」
男爵令嬢にふさわしい貧相な指輪を確かにつけていた。どんなものかはよく覚えていないけれど「とてもお似合いね」くらいの嫌味は言ったと思う。
その私が、「もらい物があるからいいだろう」とか言って指輪の一つも買ってくれない男に嫁ぐなんてね。確かに悪役令嬢達が捨てていくもののトップは指輪なんだけれど、それでも一回くらい夫からもらいたいじゃないか。
「なんなら、ここをまるごと買い取ってもいいぞ」
「宮廷料理人に迎えたい」
ちょっと物思いにふけっているうちに王子と宰相が勝手なことを言い出した。
いやいやいや。一口も食べていないのに、宮廷料理人のオファーするとかどうよ。
それに、夫でもさすがにラーメンを一から作れるわけじゃない。
「トッピングはいろいろありますよ。野菜は大体合いますし、変わったのならもずく酢とラー油を追加したり、トマトジュースとチーズを入れたり」
「ごま油、ラー油、にんにくパウダー、カレー粉、バター、トマトジュースにチーズはすぐ用意できるから」
もずくは私で、トマトチーズは夫のお気に入りだ。
「ねー。ここって日本よね。早乙女瑠璃子ってどんな扱いになってるの?」
ヒロインに唐突に言われて、首をかしげる。
「早乙女? 」
「私、砂漠の上の空飛ぶ島に放り出されたの」
空飛ぶ島……ね。随分ファンタスティックな。
「生年月日・住所を言ってくれるか」
日本からの転生者のようだ。
五味さんには先日訪れた兄弟の話はしていたので、事情は飲み込めたようだ。完全に仕事モードだ。
「学校からの帰りに飛ばされて。平世○年○日……」
一通りの個人情報を聞いたが、警察の情報には該当者が無かったようだ。
「市町村の統合等も調べてみたが……」
インターネットで検索してみてもその市は確かに出てきたが、その後の住所に該当するものがない。
彼女が卒業した中学校はあるのに、小学校の名前が微妙に違っていたり……
「違う。またはずれなのね」
あきらめきった声。
――無間迷子だ。
――日本の出身なのだろうが、この世界とは少しずれた世界なのだろう。どこの空間にも留まれない。
寿命が尽きても記憶を持ったまま新たに生を受け、あらゆる世界に飛ばされる。
恨みを忘れたわけではないが、帰れない苦しさは少しはわか――
「なんかこの人怖いわ。金髪の縮れ毛を見るとあの人を思い出してしまうわ。 ねえカール?」
そりゃ顔が引きつらないように、無理やり笑顔を作っているかもしれないけれど!
金髪の縮れ毛って……本人よ。本人!
ヒロインに姉を引き合いに出された弟は悔しそうにこっちを睨んだ。ああ、お仲間の中では一番立場が弱いのか。姉のせいで。姉と同じ癖毛のせいで。まあ、姉を捨てて手に入れた立場がこんなものだなんて、いい気味だわ。
これ以上この場にいても互いに不快なので、何とか笑顔を作ったまま、頭を下げて奥に退こうとしたのだが――
「ちょっと待って」
「はい?」
まだ何か?
「このラーメンの袋をもらっていい?」
「その代わりといっては何ですが、対価を払ってもらうことになりますよ」
いつもなら、悪役令嬢物の小説を本棚から選んでもらう。
悪役令嬢物の本が必要なのはまさしくこの女だろうが、本人が別のものを望んでいるのだから仕方がない。
「私、日本のお金持ってないわよ」
バンバン注文していたじゃないの!? 無銭飲食するつもりだったの?
「いらないものでも、何でもいいので」
―袋は持って帰ることは許さぬ。
そうだ。ティルナでも石油は掘ればあるかもしれないけれど、さすがに、プラ袋を持って帰らせるわけにはいかない。
「材料を書き留めたいだけなのですよね? 袋は駄目なので、鉛筆と紙を持ってきます」
「面倒くさい」
そうこぼすと、ヒロインは袋の文字をメモに書き写していた。
「小麦にしょうゆ……ない。ウスターで代用できるかしら……かんすいって何よ」
知らない。
そもそも醤油の材料である大豆はないわ、穀物もエンバクやライ麦が主で、小麦は少々割高だったはずだ。
まあ、魚醤はあるからせいぜいがんばれば、としか言いようがない。
材料がわかったとしても、割合までは書かれていないし、再現への道のりは遠いだろうが。
彼女が書き終わるのを待っていた彼らは、次々と自分の選んだデザートを載せたスプーンを「あーん」と彼女の口元に寄せた。 彼女もそれが当然かのごとく「もう」とはずかしそうに言いながら口をかわいく開ける。 非常に手馴れている感じがすごい。 熟年カップルを苦笑しながら眺める寛大さは身に着けたつもりだが、これはだめだ。
見ていられなくて、私は「ちょっと休憩するわ」と夫に言って、奥に引っ込んだ。
怒りを通り越してもう泣きたくなってきた。もっと忙しい日もあるのに、どっと疲れて肩を落としていると声をかけられた。
「君かわいいね」
「はあ?」
振り返れば弟がいた。
ラピス・ラピュセル……日本人名早乙女瑠璃子。浮遊島に落とされて以来、転生と転移を繰り返す。最初は攻略を楽しんでいたが、最近は少々つまらなく感じている。各世界必ず攻略対象を一人、二人攻略し損ねている(ヒロイン側の意見です)。
ワーグ……常にフードを被っていて、父の形見である琥珀のペンダントをつけている。




