7-4 執事とあいすくりんと弾丸
「おや、おいしそうですね」
ふと声をかけられた方を見ると執事がいた。
「なんで」
彼は、疑問には答えず、俺の隣に座る。
「あんた誰?」
「ヘルと申します。お迎えに上がりました」
弟の問いに、彼は丁寧に答え、俺のほうを見た。執事の名前は初めて聞いた。
「連れて行くのかよ」
弟は目を三角にして、身を乗り出し、執事に掴みかかろうとする。
ヘル=地獄だもんな。全体的に黒っぽいし。
「テーブルに乗るなよ」
弟がテーブルに足をかけそうになっていたので、すばやく注意をする。これが本当に乗っていたら当然チョップを食らわしていたことだろう。
まったくいつまで経っても、ガキだ。
一方の執事は店内をぐるりと見回して呟いた。
「ここは……本当に日本ですか?」
驚いた表情だ。どういうことだろう。深く考える前に、ウエイトレスがメニューを執事に渡す。
「ご注文が決まりましたらお声掛けください。 メニューにないものでもできるかぎりなんでも対応しますよ」
「おい。対応するのは俺なんだが」
店長が口を挟む。
「できるかぎり、ですか……水団とふかし芋があったらお願いします。それと、あいすくりん」
ざっとメニューに目を通した執事がほとんど悩むことなく答える。
「あいすくりん?」
「アイスクリームのことだけれど……う~ん、水団は作ったことないんだが……リーフ、サツマイモの買い置きあったか?」
店主はパソコンを確認しながら、カウンターでちゃっちゃと調理を始めた。
「芋もアイスもあるよ~」
「いや、たぶん彼が言っているのは……悪いがアイスのほうは時間がかかる」
―ここは我の空間だ。時間くらいいくらでもいじれる。
また、変な声が声が聞こえた。店主は頷いた。
「できたものから、どんどん持っていくから適当に寿司食べておいてくれ」
寿司も自分が好きなねたはほぼ食べつくした。
お茶を飲んで、胃を落ち着けてから、弟に一番聞きたいことを聞いた。
「で、俺はどうなったんだ」
「……兄さんは、学校近くで車に轢かれたんだよ。同じ高校の女子生徒をかばって」
搾り出すように ある程度覚悟していたからショックはさほどなかった。
重いものが溜まる。胸がぎゅっと圧迫されて息苦しい。
「へー。けっこうカッコいいじゃん俺。ごめん。まったく覚えていない。普通に寝て、翌朝起きたら女の子ってな感じで」
俺はなるべくお気楽そうに言う。ここで、二人で落ち込んでも仕方がない。
俺が落ち込むのは帰ってからだ。
「葬式に来た女に、お前が死ねば良かったんだって」
弟がぶるぶる震え、涙を数滴零しながら、告白する。
言いたい気持ちもわかる。俺だって弟が同じ目に合えばそうするかもしれないが……
「俺は元気だから、ちゃんとその子に謝れ。な?」
「元気って……」
立って、向かいに座っている弟に手を伸ばし、弟の頭をぐりぐりかき回す。
「ほら」
「にっあわねー」
レースのハンカチを弟に渡すと弟は泣きながら笑った。
執事は出された水団と芋をしばらくじっと見つめた後は、我関せずといった具合で静かに食べていた。
机の真ん中に鍋が置かれ、俺らの前にも椀と皿が置かれていたが、結局、俺らは水団と芋に手をつけず、喫茶店の本棚に並んでいた漫画を手に取った。
「あ、これ新刊出てたのか」
小学生のころからだらだら見ていた漫画の最新刊。
俺は発売日を逃してしまった漫画をゆっくりめくり始めたころ、ウエイトレスが、アイスコーンを持ってきた。
「アイスできましたよ~」
人数分+二個のアイスコーンがそれぞれに配られ、代わりに鍋と椀が下げられる。
隣のテーブルでは、トカゲと白の変なもの(どっかで見たことがある)が、スタンドに器用に前足をかけて、アイスにぱくつき始めた。
―うまい!毎日献上してもいいぞ
「ちょっとは作る側の面倒を考えてくれ」
今まで存在を忘れていた晴樹を連れてきたおっさんが「懐かしいな」と言って食べた。
俺もコーンに盛り付けられたアイスの端をかじる。
「おいしい」
冷たさで、目頭の熱さがすっと退いた。
口の中でさらりと溶けるアイスはいつも食べているものと違って、シャーベットとアイスクリームの間といった感じで、こってり感がなくて、さっぱりしてておいしかった。
濃厚なアイスも好きだけれど、たまにはこういったさっぱりしたアイスもいい。
夢中になってぱくつき、アイスはすぐに食べ終わってしまった。
「とてもおいしかったです。……ご馳走様でした」
執事が手を合わせたので、俺らも慌てて手を合わせた。
終わりだ。これ以上は贅沢だ。
「いいのですか? にゅうめんとやらを食べなくて」
執事が余計な一言を言った。
「にゅうめんなら、鍋にすぐ足せるぞ」
店主も気軽に答えてくれる。
執事は「家に帰ったらにゅうめんを食べる」と言った俺の言葉を覚えていたのだろう。
余計な気の回し方に静かになっていた心が再びざわめいた。
忘れていてくれていたほうが良かったのに。
「……いい。家に帰った時に食べなきゃ意味がないんだ」
◇
―さて、もうそろそろ良いころあいだ。夢はいつかは覚める。
トカゲがちょろりと俺の膝に載って俺の瞳を見つめた。
と思ったら、俺の身体を這い上がって、俺の頬をぺろりと舐めた。
「ちょっと待って、これ読み終わってから―」
最終巻までは読めないことはわかっているが、今、目の前にある最新刊を読みきる時間くらいは待って欲しい。
「それ、どら子って言って神様なの」
「神? さっきからの変な声、お前か? まさかお前がこんな姿にしたのか?」
「に、兄さん?」
だって、神が本当にいるのなら一言くらい文句を言っても罰は当たらないはずだ。
俺はトカゲの喉元を締め上げたが、トカゲは「くえええ」と叫ぶと、するりと俺の腕を逃げ出した。
ーげほっ。違うわ。愚か者。ここは『悪役令嬢』が立ち止まる場所だ。
この本棚は今後の指針となる本が納められている。好きな本を一冊持って――
「これっ。これを持って帰ります!!」
持っている漫画本を掲げた。
ウエイトレスと店主は微妙な表情をした。
「え、それ?」
「いや、それ俺の本」
「また買えばいいでしょ。でも、それそんなに役に立たないと思うの」
役に立つとか、立たないとかの問題ではない。
愛読書とまったく興味のない本どちらを選ぶ?
バトルと努力と友情と三巻間隔で登場するヒロインがいいんだよ!
何が楽しくて『転生』とか『悪役令嬢』とかリボン状のタイトルが付いている少女小説を持って帰るんだ。
―代わりに、対価をもらう。なんでもいいぞ。
「切った髪の毛とか?」
手元にもないし、そもそも髪なんて欲しがるやつなんていないだろう。
―それでよい
ぽん。と可愛らしい音がして、リボンで結んだ紫の髪が膝に落ちてきた。
「わーすっごくきれい」
「辰巳が涙流して喜ぶぞ」
ウエイトレスや店主が感嘆の声を上げている中、トビトカゲは執事のほうを見た。
俺のほうをじっと見ていた執事は、答えた。
「では、ハイドランジア様に入ったままの弾丸を」
「え?」
俺や店主達が、把握する前に……
―考えたな―
どら子が了承してしまった。
「いっ、」
急に腹に激痛が走って――
血まみれの弾丸がぽろりと落ちた。
「ひっ」
店主とウエイトレスはそれを見て、悲鳴を飲み込む。
―治療はできない。あとは自分達でなんとかしろ
執事がハンカチを取り出し、俺の服の上から傷口を押さえた。
―その本は持って行ってかまわない。『しおり』はおまけだ。
耳の奥に誰かの言葉が入ってきて、青写真のように世界の色が落ちていく。
「兄さん!」
「材料が揃わないかもしれないが、―-――のレシピだ」
弟が俺の手を握り締め、ぼろぼろ泣き出し、店主が執事にメモを握らせた。
痛みが一気に増す。
「晴樹、元気」
言い終わる前に世界が途切れた。




