7-3 兄と寿司と弟
「こ、こんにちは?」
喫茶店だ。コーヒーの香ばしい香りが漂っている。見上げれば、モザイクガラスのかさがついた照明。蝋燭ではなく電気の、だ。
本棚には漫画や雑誌がいくつか並べられている。漫画のタイトルは慣れ親しんだ日本語だ。
「お、俺――日本に、日本に帰ってきたのか~!!」
両手を握りこぶしにして大声で叫びながらわんわん泣いてしまった。
店内には俺のほかは二人しかいなかった。
カウンターの内側にいる店主らしき人とカウンター席で、お茶をすすっていた二十代半ばくらいの金髪美女だ。
「お客様、大丈夫ですか?」
『貧○』と筆字がプリントされたおもしろTシャツを着た金髪美女が流暢な日本語で声をかけてきた。
いやそれが「貧○」なら世の女性の八割はまな板だ。
「ここ、どこなんだ」
「○○県××市○山駅から少し離れた喫茶店」
店主らしき人が愛想なく答える。
俺ん家ちと同じ市だ。市の端と端だが。
帰れる。が、金を持っていない。
ついで、店主は彼女のTシャツをガン見している俺の視線に気づいたようで、「エプロン」とささやくと、女性は慌てたように、エプロンを装着した。
「け、携帯、電話貸してくれ……じゃなかった貸してくれませんか? 家族呼びたいので」
二人は顔を見合わせた。
家の住所、電話番号は当然覚えている。
「呼んでどうするんですか?」
「どうって」
帰る?
手は細く白いし、髪は紫。服は相変わらず白のフリルブラウス・膝下まである臙脂色のドレス。白い長靴下にブーツで、足が露出しないようになっている。
これでどこに帰ると言うんだろう。
―結界を張ってある。ここを出ることは叶わぬし、家族を呼んだとしてもお前だとわからないだろうよ
「出れないって……」
俺は喫茶店の扉のドアノブを回して外に出たと思ったら、そこは喫茶店の店内だった。
まるで鏡の世界に入り込んだように、出たはずの扉から店内に戻ってきてしまったのだ。
もう一度試すが、結果は同じだった。
漫画やアニメでは、そういうものを見たことはあったが、まさか自分が扉ループを経験するとは思わなかった。
俺はとぼとぼと席に戻った。
それにしても先ほどの声は誰の声だったのだろう。
店主とウエイトレスと俺以外、誰もいないはずなのに。
「俺、××市○○町に住む 高校生で……雨野直樹っていいます。……くそ、なんで目覚めないんだよ」
普通なら見ず知らずの人に個人情報を教えるようなことはしない。
でも、口はつらつらと住所と電話番号を伝える。どうしても助けて欲しくて。
握った拳に雫が落ちる。
ウエイトレスがこわばった顔になった。
ウエイトレスの様子に店主らしき男が彼女の方を向いた。
「しん……」
ウエイトレスがごく小さな声で、店主の耳元に何事かをささやいた。聞こえないが、店主もこわばった顔でこちらを見る。彼がメモを取って、急いで書き留め終わるのとほぼ同時に――
小さくぱりんとガラスが割れるような音が響いた。
男二人が入り口扉から入ってきて、俺は目をめいいっぱい広げた。
「彼……彼女が君のお兄さんだ。」
「晴樹」
「兄ちゃん……本当に兄ちゃんなのか?」
男の一人は、見知らぬ中年男性で、もう一人は俺の弟だったのだ。
男はぺこりと店員に頭を下げ、弟は俺に、俺の胸に抱きついた。
「これ本物?」
ぽふっと俺の胸にダイブした弟の最初の言葉に、再会の喜びも諸々の疑問も吹っ飛び、一瞬で怒りと羞恥がこみ上げ、反射的に弟の頭に拳骨を落とした。
ウエイトレスがあっけにとられていたが、すぐにメニューと麦茶を差し出した。
「なにか注文して。メニューにないものでもできる限り対応するわ。たぶんこれが最後よ」
「……最後」
もう一度立ち上がって、扉を開けようとするががちゃがちゃ音を立てるだけで開かない。
さっき晴樹が入ってきたところなのに。
「なんでもいいわよ」
外国人のちょっときつめな印象のお姉さんの言葉は印象に反して優しかった。
「そちらの方は……」
「じゃあ、ナポリタンで」
扉の側で所在なげに佇んでいた中年男性は少し離れたテーブルに座る。
「卵ごはん食べたい。寿司が食べたい」
ロセウムという世界にはご飯はないわ。卵は生で食べるの禁止だわ。 魚も焼きかマリネや煮込みが主だ。ついでに、水も喉につっかえる感じだ。
出された冷えた麦茶がとてもおいしく感じる。
「卵ご飯のトッピングは?」
「ちりめんがあったらお願いします」
卵とご飯とそれにちりめんが二人分出てきた。
「さすがに寿司は用意できないな」
「出る前に注文入れとくわ。いいでしょ?」
近くの荷物いれに入った毛布からタイミングよく「くぇ」と声が上がる。
もぞもぞ動く毛布を多少びびって見つめていると、ぴょっこり出てきたのはトカゲだった。
「室温が合わなかったら、その毛布使ってちょうだい」
ウエイトレスはノートパソコンを持ってきて、近くの回転寿司店と思われるホームページを見せてくれた。 同じ市内でもこの駅周辺は利用することはほぼないのでよくはわからないが。
「予算は一人500円までだな」
店主が言う範囲となると……
「うに、いくら、ほたてに、まぐろ。うわーこのパフェおいしそう」
「サイドは持って帰れないって書いてあるでしょ」
「パフェはここで普通に注文してくれ」
ウエイトレスと店主が苦笑した。
「ここのパフェ高いじゃないか」
「この店内のものはカウント外だ。値段を気にせず好きに注文してくれたらいい」
好きに注文って言ってもこの身体の胃の容量ではたかが知れている。
他にも、いろいろ食べたいが、さっき食べ過ぎたばかりだ。
「俺は、大トロサーモン・びんちょうマグロ・うなぎ・とびこ・戻り鰹」
と、言っても弟が自分より多く注文していると損をした気になる。
「一個多いじゃねえか。じゃあ、俺ズワイガニ」
「こらこら完全にオーバーしているぞ」
これ以上注文が増える前に、ウエイトレスは回転寿司屋に電話する。
「はい、注文お願いします。――桜川です。うに、まぐろ赤身……」
奪い取って家に電話を掛けたいが、それよりも、目の前にいる弟に聞いたほうが早い。
ウエイトレスが『最後』と言った意味、弟が無理に笑っている意味。覚めない夢。
そして胸の中にある妙な焦り。今すぐ聞きたいのに、聞いたら『終わり』なのだといこともなんとなくわかっていた。
「あー、考えるの面倒くせ。とりあえず食べよう」
卵ごはんとサービスで出してくれた味噌汁をかき込む。
注文を終えたウエイトレスが、エプロンを脱いで外に出ようとしたが、店主に「服、着替えていけ」と注意されると、不服そうな顔しながらも黙って奥へ引っ込み、「断固拒否」とか書かれたTシャツに着替えてきた。 店主の顔がびみょーに引きつっている。
ウエイトレスのおねーさんはまともな服持っていないのだろうか。
彼女が出て行くのを目で見送って、弟に向き直った。
「父さんと母さん元気にしてる?」
「んー、まあまあかな。てか、兄さんはなんでそんな格好なんだよ」
話を逸らされたが、深く突っ込まず話を続ける。
「んー、俺もよくわからんけれど、ロセウムってところの王子様の婚約者だとよ」
「ぶふぁ!? なんの冗談だよ!?」
「きったねえな」
「お、男と結婚するのか?」
「しねえって。あっちも俺のこと嫌っているみたいだし」
くだらない話をしている間に、ウエイトレスは案外早く帰ってきた。
「びんちょう一つくれ。マグロ赤身渡すから」
「ん。うなぎ半分食う?」
「食べる。」
一皿二個入っているやつは弟との高度な交渉の末、交換するのが常だ。
「これは私たちの分だけれど。欲しいのあったら言ってね」
ウエイトレスさんが追加で買って来たのをじっと見つめる。甘エビおいしそう。
いやいや、さっき食べ過ぎてご飯残したばかりだろう。
でも、あれだけ食べた割には、腹は特に膨れているわけでも減っているわけでもない。
「おや、おいしそうですね」
リーフさんの趣味……漢字Tシャツ集め。




