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日陰の戦士 ―さらば魔法王国―  作者: おこばち妙見
第二部 第六章 幻影のボルドック
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人でなしの恋 その一

 しびれて、体が動かない。

 イザベラの視界に最初に映ったのは、ベッドの天蓋。ダブルサイズと思われる。

 壁際には交差されて掛けられた二本の剣と、古びたフルプレート・アーマー。


 そして、ベッドサイドのスツールに腰掛けるオルク。


「……わ、わらしを……ろうするつもりだ」


 私をどうするつもりだ、と言いたかったが、ろれつが回らない。涎が垂れていく。


「おはよう、イザベラ。ベッドは気に入ってもらえたかな? 本当はもっと君の寝顔を眺めていたかったんだけど」


 何やら訳の分からないことを言っている。

 オルクは立ち上がり、ベッドに腰を下ろした。高級ベッドはきしむ音もない。


 イザベラはオルクを睨みつける。自由に動くのは目だけだった。

 オルクの手が、イザベラの髪を撫でた。悪寒が走る。


「綺麗な髪だね。まるで天使みたいだ。柔らかくて、艶やかで」


 そのまま鼻先に持っていき、目を閉じて息を吸い込んだ。


「……いい匂いだ」


 イザベラの胃から、酸味のある液体が上がってくる感覚。本当に気持ち悪かった。


「あんな別れ方は、僕としても不本意だったんだ。あの時の事、許してくれる?」


「……?」


 オルクと最後に会ったのは、おそらく王立学院の最後の授業があった日。

 おそらくというのは、イザベラ自身は全く覚えていないからだ。

 視界の隅でチラチラと動いていたような気はする。別れ方も何も、会話すらしていない。


「ん……? 綺麗な顔が汚れているよ」


 オルクはイザベラの頬に伝う涎に気付くと指先で拭い、そのまま指を舐めた。

 全身に鳥肌が立つ。


 ――気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い!


「や……やめろ……こんなことをして、……ただで……済むと――」


「何も言わなくていい。僕らの間に、もう言葉なんていらないからね。ああ、でも声はいくら出しても大丈夫。この部屋は完全な防音で、誰にも邪魔はされないよ」


 オルクの手が、イザベラの顎をくい、と持ち合上げ、真っ直ぐに見つめてきた。


 ――嫌な予感がする。


「あ……う……」


 薬品の影響か、魔法陣を形成できない。

 魔法が使えない!

 やがてオルクは歪んだ笑みを浮かべ、顔を近づけてきた。


「ひっ!」


 不気味な粘着質の舌がイザベラの頬を撫で、唾液が糸を引く。

 全身に鳥肌が立つのがわかる。心の中は恐怖と嫌悪感で一杯だ。動かない身体に鞭打って、どうにか口を動かす。


「くっ……ころ……せ……!」


 ――気持ち悪い。気持ち悪い! 気持ち悪い!!

 ――嫌だ。嫌だ! 嫌だ!!

 ――誰か、誰か!誰か!!


 涙が流れ落ちた。




 ふと、瞼の裏に浮かんだのはサラの姿。

 イザベラを見て、驚き、そして悲しそうな、同時に蔑んだ表情を浮かべる。

 カーターの姿が現れ、両手でその目を塞ぐ。

 ――そうだ、それでいい。子供に見せられる光景ではない。

 ビンセントの姿。とても悲しそうな、死んだような目をして、闇の中へ歩いていく。

 振り返ってイザベラを見る。悲しそうでいて、それでいて一瞬だけ、ほんの一瞬だけその目に炎が宿る。そして、すぐにいつも通りの目に戻った。


 ――そうだ、ビンセントならば掘られても耐え抜くだろう。たぶん。




「……心まで……屈服させられると思うな……この外道が!」


 しかし身体は動かない。


「大丈夫だよ、夜は長いんだ」


 オルクの唇が三日月のように吊り上がる。


「もう喋れるってことは、薬が足りなかったかな」


 オルクは薬瓶を取り出すと、ハンカチに垂らす。


「まあいいや。こっちの薬もあるんだ。すごくエッチな気分になるよ」


「やめ――」


 有無を言わさずハンカチはイザベラの顔に押し付けられた。

 息を止める。吸い込まないように。

 三十秒……六十秒……


「吸い込めば楽しくなるのに」


 九十秒……

 そろそろ、限界だ。


 その時、窓ガラスが砕け、何かが寝室に転がり込んできた。


 窓の外に生えている木の枝から見て、おそらくここは三階だ。一体どうやって?

 しかし、そんな事はどうでもいい。

 今ので気を取られたのか、ハンカチが外れた。思い切り息を吸い込む。


「たすけて!」


 それだけ言うのが精一杯だ。

 そしてすぐにイザベラは悔いた。騎士たる自分が助けてとは何事だ。

 細かなガラスの破片をこぼしながら、震えながらフラフラと立ち上がった男は、ブルース・ビンセント。額から、いや体中が血まみれだ。

 イザベラの目に光が灯った。


「恋人同士の逢瀬の場に土足で乱入とは、非常識だな」


「ぐええっ……」


 返事の代わりに、ビンセントは口から血を吐いた。どれだけ無茶をやったのだろうか。

 ビンセントは倒れなかった。イザベラに向き直る。


「怪我は……ありませんか、イザベラさん……」


 ビンセントはニヤリと笑った。


「ここは夫婦の寝室だぞ? プライベートな場所なのだ。平民が、いや他人が入っていい場所ではない。出て行け」


「それは……困りますね……」


 本当に嫌だった。怖かった。誰かに助けてほしかった。

 自分自身が騎士であることも忘れて祈った。そして、助けに来てくれた。

 

 息を整えながらビンセントは続ける。血だらけの、震える指でイザベラを指差した。


「ほら、今……聞きましたか……? たすけて、って。……確かに言いましたよ……命令されましたからね、従う義務が……あります」


 厳密にいえばイザベラは王立学院から研修中、ビンセントは陸軍の所属である。

 指揮系統が異なるので必ずしも命令に従う必要はないのだが、その境界は現場レベルでは曖昧だ。

 だが、今はそんな事はどうでも良い。


 自分を助けに来たはずの男はすでにボロボロで、脚は震え、壁に身を預けてどうにか立っている有様だ。


「イザベラさん……帰りましょう……サラさんとカーターが待ってますよ……」


 ビンセントがイザベラに手を伸ばす。

 その手はガラスの破片で血まみれだ。イザベラはその手を掴もうとした。

 しかし、手はろくに動いてくれない。


「やむを得んな」


 オルクがパチンと指を鳴らすと、壁際に飾られたフルプレート・アーマーが動き出した。ゴーレムらしい。


「やれやれ、お人形遊びですか……」

 

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