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日陰の戦士 ―さらば魔法王国―  作者: おこばち妙見
第二部 第三章 さよならフルメントム
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母に捧ぐ

「カスタネまでは、歩けば二週間はかかる。道によってはもっとだ。俺としては、馬車を買うのが良いと思うんだがねェ」


 カーターの言う事はもっともだ。

 馬車、特に幌馬車があれば、途中で野宿するときでも雨をさほど気にせずに済む。

 歩兵であるビンセントは一日に五十キロほど歩くこともあるが、サラには無理だ。

 自動車があれば二日もかからないだろうが、それこそ非現実的というもの。

 一台ぶんの代金で何人もの人生を狂わせうる高額品だ。


「借りれば良いだろ。わざわざ買う事はない」


「返すアテあるのかよ?」


「……無い」


 フルメントムの町外れ。

 カスタネまでの街道は、時折休憩場所が整備されてはいるものの、中間地点に近づくにつれて設備が貧弱になっていくという。

 急いで町から離れる必要があるが、途中で野垂れ死にしては本末転倒である。

 やはり、それなりに準備は必要だ。


「あれみてー」


 サラが指さす先に、人だかりがある。


「あれは何だ? カーター」


 イザベラの問いにカーターは答える。


「あれっすか、定例バザーっすよ。近隣の村から不用品を持ち寄って、相場より安く買えたりするんです。意外な掘り出し物もあって、好きなんですが……でも、今日はやけに人が多いっすね。いつもの三~四倍は……いや、もっといるかも」


 サラがカーターの袖を引っ張る。


「のぞいてみようよー」


 確かに、必要な物は色々ある。できれば、安く。


 バザーは人でごった返していた。

 フルメントムのような田舎でこんな事は、普段ならあり得ない事だ。

 しかし、反乱軍によって橋が落とされ、ボルドックやカスタネ方面から来た人々はフルメントムで足止めを食らっている。


 フルメントムも王都方面からの輸送が絶たれ、店の商品は日に日に細っていくだろう。

 農業地帯ゆえ食糧はさほど困らないものの、やはり生活物資の枯渇は今後避けられない。


 砂糖や塩など、政府指定の価格統制品も高騰している。


 食料、衣類はまだしも、刀剣や鎧、用途不明のモーター、何らかのコンデンサー、量り売りされるサイズがバラバラのネジ……。

 ここでは値札を付ければ、とりあえず何でも売れる。

 質を問わなければ、買えない物はない。

 

 『闇市』だ。

 

 イザベラは鼻を鳴らす。


「ふん。ゴミに値札を付けているようなものだな。ロクな物が無い」


「ま、そりゃそうですが、モノの価値は人それぞれなんで。オレっちにとってのゴミが、誰かさんにとっての宝物、って事も無いとは言えませんやね」


 この手の場所の常として、軍関係の横流し品が売られていたりするのは、もはや公然の秘密だ。

 鉄帽や靴ならまだしも、銃、弾、手榴弾まである。


 ビンセントは小銃弾のほか、廃坑でなくした軍用スコップを買い直した。

 野営などで役に立つからだ。

 前線では、不意の遭遇戦で武器にした事もある。


「あっ!」


 イザベラが声を上げる。


「どうしました? 何か掘り出し物でも……」


 イザベラはかぶりを振る。


「な、何でもない! その、そうだ、サラ様にオヤツでも買ってきたらどうだ?」


 確かに小腹が空いた所である。

 屋台からの美味しそうな香りが鼻孔をくすぐる。

 普段食べないようなものでも、こういった場所では美味しそうに見えるものだ。


「そうですね、ホットドッグでも買ってきますよ」


 屋台で順番待ちをしている間に振り向くと、イザベラは古本屋の女と何やら楽し気に話している。

 時折、本を指差してはコロコロと表情を変える。嬉しそうだ。


「あんな顔も、するのか……」


 普段の凛とした様子からは考えられない、楽しげな表情。

 喧噪で会話の内容は聞き取れないが、イザベラは本が好きらしい。

 窓辺に腰掛けて、紅茶を飲みながら読書に耽る姿をイメージすると、全く違和感を感じない。


 どことなく、詩集や哲学書が似合いそうだ。漫画やゴシップ満載のカストリ雑誌は似合わないだろう。


 妹が隠していたホモ漫画など見せたら、怒って破り捨てるのではないか?

 ちなみにホモ漫画は、机の上に目立つように整頓して置いてやった。因果応報という事を教えてやったのだ。

 レベッカ・ビンセントは反省するべきである。


 とにかく貴族は文武両道、カーターとは違う。


「…………」


 ……いや、違わない。

 脳まで筋肉なイメージを全身に纏っているくせに、かなりのインテリだ。


 医学、生化学、薬学の知識は専門家顔負けである。

 更に驚くことに、プロテインの精製に関する論文で学士号を取っていたりする。

 トレーニングの効率化のために必用な知識、らしい。


 全ては、美しい筋肉のために。


 バカだ。


「何だよ相棒、その目は……」


「いや……何でもない」


 ビンセントがカーターから目を逸らすと、思いがけない物が目に入った。


「おい、カーター。代わりに並んでくれ。サラさんを頼む」


「お、おい!」


 ◇ ◇ ◇


「フヒヒヒ……」


 その馬は、ビンセントの顔を見るなり奇妙な鳴き声を上げた。

 まだらの年老いた牡馬で、なかなかどうして、やる気の感じられない目ではないか。


「お兄さん、馬をお探しかい……こいつはなかなか良い馬だぜ、今ならオマケに馬車も付く……」


 馬と馬車まで売っているとは驚きだ。


 男は、マント姿にフードで顔を隠しているが、その襟元から僅かに覗くのは、軍服の襟。

 階級章はむしられている。


 軍の備品を横領した脱走兵と思われた。

 ここなら、確かに何でも売れる。


「確かに、こんな馬でも良い馬だ。何せ、仕入れ値がゼロだから、いくらで売っても丸儲け。……違うか?」


 男は唇を歪ませる。無精髭が目立った。


「それは言わない約束だ。お互いのためだぜぇ。あんただって、堂々と陽の当たる場所を歩けまい?」


「……いくらだ」


 男は人差し指を立てる。


「金貨一枚。これ以上安く買える馬は、世界中探してもどこにも居ないね。俺は別にあんたに売らなくたって良いんだ。この値段なら必ず売れる。破格だからな。……さァ、……どうする?」


 確かに、あり得ないほど安い。

 しかし、盗んだものを売りつけるのだ。まだ交渉の余地はある。


 可能ならもう少し下げたい。


「さァ、どうしたもんかな。俺は知り合いに近衛騎士がいてなぁ」


 揺さぶりをかけるが、男は動じない。口調を変えずに淡々と続ける。


「言っておくが、間違いなくコイツは名馬だ。それは保証するぜ……何せ」


 そこで男は言葉を切った。

 ビンセントの目を見据える。珍しい真っ黒な瞳は、どこかサラを思い出させた。


「――あんたと同じ、リーチェ帰りだからよぉ……」


「…………!」


「あんた、向こうで見た事あるぜ。見逃してくれ、同じ兵隊のよしみで。せめてお袋の顔を見るまで……病気なんだ」


 嘘をついているようには見えなかった。

 嘘をつくなら、もっと現実的な値段を提示するはずだ。

 この男もまた、ビンセントの戦友であったらしい。

 しかも、家族の為に戦っている。

 男は続けた。


「あと一枚、あと一枚金貨があればよ……医者に診せられる、薬も買える。橋が落とされて、汽車が進めねぇんだ。渡し船に乗っちまったら、薬代が無くなっちまう」


「…………」


 世の中何でも、モノでも人でも案外替えは効くものだ。


 家でも車でも、壊れたら買い替えればいい。

 会社を辞めたら、別の会社に入ればいい。 

 恋人と別れたら、新しい恋人を探せばいい。

 ……兵士が死んだら、代わりを徴兵すればいい。


 たった一つ例外がある。肉親だ。

 肉親だけは代用が効かない。


 その女性は、ビンセントにとっては『よそのおばさん』に過ぎない。

 しかし、この男にとっては、かけがえのない母親だ。

 前線で死んでいった兵士たちも、その多くが今わの際に呼んだのは母親だった。


 お母さん。母さん。母ちゃん。ママ。お袋。他にも色々。


 これは決して恥ずべき事ではない。情けない事でもない。

 当然の事なのだ。

 幾つになっても親は親、子供は子供。それはどちらかではない、両方が死ぬまで続く関係だ。


 故郷の母を思い出す。

 厳しいけれど、優しくて。温かくて。

 世界で、たった一人の『母さん』。名前はモニカ。

 今も故郷のムーサで待ってくれているはずだ。


「…………」


 ビンセントはポケットに手を入れた。

 政府のエージェントがくれたお金は、全員で分けて持っている。

 今あるのは、ちょうど金貨二枚。

 月々の給料から各種税金や宿舎使用料、食費等を除いた手取り額の二か月分だ。

 とはいえ、自分で稼いだものではない。


「……わかった。買おう」


 ビンセントは男に金貨を握らせる。


「まいどあり……何? おいおい、良いのかよ! 二枚も!」


 珍しく、ビンセントは笑った。


「釣りはいらねえよ。お袋さんに、よろしくな」



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