閑話:魔王閣下の日常 1
※ネット小説大賞一次突破記念として、ムーンで投稿している猫サイドのダイジェストを投稿します。
彼女はすぐに見つかった。
魔王を倒す勇者を召喚するなどとふざけたことをしでかした国を滅ぼした直後だったろうか。強力な魔法が作動した気配がした。
国外れの森にある古びた神殿の跡地に足を向けてみると、魔法の痕跡、複数の魔力の残渣を感じる。
勇者の召喚をそこで行ったのは間違いなかった。そして、嗅ぎ慣れない無垢の香り。――女の香り。
まずは召喚に関わった魔術師たちを追跡させて全員潰した。
それから、逃げた女の後を追うことにした。
女はすぐに見つかった。
森の中で一人、震えるように身を縮めて眠っていた彼女を見た時、興味が湧いた。
異世界から呼んだという女は、少女と言うべき小ささだった。
髪の毛は黒く、背のあたりまで伸びているだろうか。瞳の色が気になったが、起きる様子はない。
そして何より、無垢で真っ白な魂。力のある魂だと一目で分かった。
欲しい、と思った。
彼女の目がみたい。微笑んだ顔が見てみたい。いずれ自分の下に組み敷いて啼かせてみたい。
ずくり、と欲が湧き上がる。今すぐ己のものとしたい衝動が己を揺らす。
だが、それでは彼女の笑う顔が見られないだろう。人形は要らない。この魂の輝きを見てみたい。俺の色に染めたい。
己の一部を切り離し、彼女の記憶に浮かんできた猫の姿をした存在を作り出し、それに意識を載せて己の肉体を隠れ家へ送る。
この姿であれば、近くをうろついても怪しまれないだろう。魔力は極力抑えたから魔術師や聖職者でも容易には見破れない。
寒そうな彼女を温めてやろうと懐に潜り込むと、手が動いて抱き込まれる。
彼女が寝返りを打ち、横倒しになる。胸にしっかり抱き込まれたままの猫に彼女は顔を寄せて頬ずりしてくる。見上げても、起きている様子はない。無意識のようだ。
ざり、と彼女の頬を舐めるとしょっぱいものがあった。涙のあとを舐め尽くすと、眠ったままほんのり微笑んだ。
心が飛び上がる。
愛しい、などという感情を抱いたことはなかった。今までどれだけの女を抱いてきたかしれない。だが、こんな思いは初めてだ。
猫はそっと彼女の唇を舐めた。
――お前を守ってやる。その代わり、お前はその身を我に差し出せ。これは仮契約の印ぞ。
かぷり、と彼女の唇を噛み、染み出した血を舐め取る。
痛そうに眉をひそめた彼女が口を開いた隙に、自分の舌に傷をつけ、舌を潜り込ませる。滲んだ血を彼女が嚥下した瞬間、彼女の額に金の紋様が浮かんだ。
それを確認して俺はにやりと笑う。他の者には見えないが、魔の者には見える、魔王の所有の印。
これで魔物から追われる心配はない。
人からは猫の姿で守ってやろう。
◇◇◇◇
彼女に連れられて街中にある食堂の二階におちついた。ここが今日から彼女と猫の住処だという。風呂もあり、キッチンもある。とりわけ風呂が良い。いつでも彼女と風呂を楽しめるというのはよいものだ。その分、煩悩が滾って仕方がないが、それは何とか我慢する。
埃っぽいところは後日きれいに彼女が掃除をしてくれた。猫の姿では足形をつける程度にしか役に立たんのが若干申し訳ない。
そしてどうやらここの女将に魔法を教わったようで、風呂を入れるにも力を使っている。
ただし無詠唱で。
しかも。
「便利なものよね……思い描くだけで魔法が発動できるなんて」
なぞと言っていた。それは……無詠唱どころの話ではないだろう。もはや魔法を凌駕しているのかもしれぬ。
こうしたい、と思えば叶えられる。それは――我が力と同じ種類ではないか。
それが彼女の能力だというのか。召喚された彼女に与えられた、勇者の力。
……これはまずい。本格的に力に目覚めてしまったら、あっという間に彼女は勇者として認められてしまう。
生活魔法程度は誰でもできる。だが、それ以上の魔法は複雑な詠唱を必要とし、力の拠り所となる杖も必要だ。魔術師たちの羽織るローブはその力を高める効果をもたらし、様々な護符で身を守る。それは、ごく一部の素養ある貴族か、よほどの力を持つ飛び抜けた異能者にしかなれない職業だ。
それが、記憶も失いこの世界の人間ではないと明らかに分かる姿の彼女が操れば、間違いなく勇者として祭り上げられる。
それは――面白くない。勇者は結局魔王を倒さねばならない。倒さずに済む勇者はいないのだ。俺と彼女の未来にはあってはならない未来だ。
やはり何らかの妨害はせねばならん。
夢の中ででも俺が教えてやるとするか。彼女の夢に潜り込むなど、魔王には容易いことだ。
寝る彼女の枕元に歩み寄ると、彼女の額をぺろりと舐め、猫の額をくっつけた。