閑話:教師たちの憂鬱 2
「――ということがあったのよ」
その夜遅く。
ガルフは、興奮したウルクと泥酔状態のジャックを部屋に入れたことを後悔し始めていた。
さすがにあのまま放置したのでは近くの教授方の安眠妨害になるので仕方なく入れたのだが、延々と続くウルクの話に何度目かのため息をついた。
今日はガルフの公開講座が大盛況に終わったことを受けて、学院の教授方や卒業生たちが祝いの宴を開いてくれた。明日も仕事があるからと早々に引き上げたのだが、この二人は最後まで付きあったのだろう。ジャックはひどいアルコール臭をさせている。
ウルクも興奮しすぎているのか酔っぱらっているのか。同じ話を行きつ戻りつするのを見ると、酔っぱらいの行動にしか見えない。
「ウルク、わかった。わかったからとりあえず明日にしないか。――こんな夜更けに男子寮にいるのはまずいだろう」
「何を悠長なことを言ってんのよ。シオンが襲われたっていうのに」
「何? シオンが?」
その言葉にガルフは顔をこわばらせた。ウルクは頭を抱え、ジャックはと見れば、隣の二人掛けソファですでに夢の中だ。
「ちょっと待て。……シオンが何に襲われたって?」
酒を飲まされたとはいえ、酔うほど飲まされてはいないはずだとガルフは思った。
だからウルクがさっきからずっと喋っていた内容も、聞き漏らさないように全部聞いていたはずなのだが。どこにシオンが襲われた話があっただろうか。
「だからぁ、シオンの部屋がめちゃめちゃになってたって話したでしょう?」
「ああ、聞いた」
彼女の部屋が荒らされて現状保存中だから、しばらく教師用の女子寮に泊まる件は了解した。
それをやったのはどうやら同室の娘で、娘は現在行方が知れない。学院内のあちこちを探したとも聞いた。
だが、彼女が直接襲われたわけではない。シオンが少し部屋を離れた間に、何かが起こったのだと認識していたのだが。
「で、アリアがその部屋の見分をしてる時に、怪しい護符が見つかってね」
「ああ」
アリアというのは生徒代表の娘だと聞いている。そういえば今日の宴でも一度だけ顔を見せていたな。確か、次代の聖女候補者だったか。
「その護符をシオンが手にしたとたん噛まれたのよ」
「護符にか?」
胡散臭げにウルクを見る。酔っぱらってるようには見えない口ぶりなのに、完全に出来上がっているではないか。護符がシオンに噛みつくはずがない。
「ちーがーうー、クロによっ」
ぷん、とぶんむくれてウルクは続ける。その言葉にガルフは血の気が引いた。
「まて、クロがシオンを噛んだのか?」
「そうだって言ってんでしょうが。まったく……」
「ウルク、詳しく話せ。その時の状況を」
酔っぱらったウルクは身振り手振りを混ぜながらその時の様子を語る。
アリアの手にあった護符がシオンに渡ったとたん、怪しい動きをしたということ、黒い雲が出たということ。
護符、というのがどういう形をしたものかがわからないが、魔具だろうということは予想がついた。
それならば――自分の出番だろう。
可能ならアリアに現物を見せてもらおう。明日の授業の前に、実習室まで持ってきてもらうのがいいだろう。すでに聖女の力で浄化されてしまっているだろうから、漏れ出てきたという黒い雲の正体をつかむところまではできないだろうが、現物と、それからどこに配置されていたのかを見せてもらえれば、もう少し詳しい情報が手に入るかもしれない。
「で、クロががぶっと」
「噛んだのか」
「そう。……それに、首のリボンがちぎれてた」
「やはりか」
もともと、あの猫のサイズにしては知能が高すぎるのだ。
魔獣はサイズと知能の高さがほぼ比例する。ジャックのヴィルクやウルクのピートがいい例だ。
使い魔として主ときちんと意思疎通できるだけの知能の高さがなければ、契約はできない。
だが。
あの猫は知能が高すぎた。
どう見積もっても、ピートかそれ以上のサイズの知能を有しているとしか見えない。
それに、ピートぐらいのサイズの魔獣がクロほどのサイズに縮むことは可能だが、実際の魔力量が変動することはない。
クロを維持する魔力量では、あの知能は維持できないのが一般的な定説だ。
だから……魔族か魔族の眷属だろうと見ているのだが。
「シオンの傷は明日見せてもらえるか? それとももう治癒はしたのか?」
「それがねえ……治癒してないのに血は流れてなかったのよ」
「……何?」
「牙のあとは確かに残ってたんだけど、一滴も血は出てないの。無意識で治療したのかもとか思ったんだけど、シオンもそんな覚えはないって言ってたし、アリアも治癒はしてなかった」
「じゃあ、甘噛みしただけなのか?」
「んー、そうでもない。……クロの魔力が手にまとわりついてたからね。クロがシオンの手を噛んだら護符がシオンの手から離れたのよ。それも関係ありかなと思って」
「その時にリボンが切れた」
「そう。で、そのあとどうやら聖女に呼ばれて聖域に行って、証をもらって帰ってきたと」
「証か」
「ええ。それにクロ、ずいぶん大きくなったわよ。そろそろシオンの肩じゃ収まりきらないかも」
ガルフは眉根を寄せた。それほど急激に大きくなるものだろうか。だとしたら、その魔力はどこから得たものだ? やはりシオンなのか。
「ピートぐらいのサイズになりそうか?」
「それはわからないわね。シオンは猫サイズのほうが良かったみたいだし、意思疎通ができてるのなら、クロはこれ以上大きくならないかもしれない」
「……歪だな」
「そう。……それが気に入らないのよね。聖域から帰ってきたらあの男の魔力をぷんぷんさせてたし」
「あの男……クロを治したという魔族か」
「らしいわ。……クロードっていう名前なんだって」
くすくす笑うウルクの言葉に、ガルフは目をむいた。
「な……魔族がシオンに名前を教えたのか?!」
「まあ、シオンも教えちゃったみたいだけど、『シオン』って名前、彼女の本名じゃないんでしょう?」
「ああ。もちろんだ」
本名は誰にも明かしてはいけない。これは魔術師にとっては必須だ。名を知られれば操られる。だからこその呼び名だ。
魔族が教えた名前も、まあ本名ではないだろう。だが、魔族をおびき寄せるえさとしては十分使える。
「だとしても、ふつうは魔族から名前を教えたりしないわよねえ。……変わった魔族」
「そうだな。……他には何か言ってなかったか?」
「そのクロードって魔族のこと? 全身黒づくめで、ブーツも脛当も黒。マントも黒だそうよ。顔は白かったらしいけど」
「ふむ。……兵士の恰好をしてるのか」
「そうかもしれないわね。シオンはそのあたりの服装もあんまりよくわかってないみたい」
まあ、それもむべなるかな。この世界の者でないのだから、当然だろう。
「ああ、それから、明後日はシオン、お友達とお出かけの予定が入ってるから。ジャックに護衛をお願いするつもりだったんだけど……明日伝えておいてもらえない?」
「承知した。……友達?」
初めて聞いた気がする。
リドリスの町にいたときは、シオンは店の娘たちとよく連れ立って歩いているのを見かけたが、どう見ても荷物持ち要員で、友達のようには見えなかった。
学院でできたのだとしたら、やはりここに連れてきたのはよかったのだろう。
リドリスにいたときには店ではぎこちないながらも客には笑顔で接していたが、後半はあの領主のせいでほぼ監禁状態だったし、笑っているところなどほとんど見なかった。
……当然だろう。いきなり別の世界から連れてこられて、勇者だと言われた彼女の心中は決して穏やかではなかっただろう。笑えないのも当然だ。
その彼女が友達を得たというのなら、幸甚だ。
「そう。中級クラスの女の子たち。身元は問題ないわ。それとクロを連れて行くらしいから」
「……そんな状態でもクロを連れていくのか」
噛まれたことは恐怖にはつながっていないのだ。シオンはどこまでもクロを信用する。
「ええ。なにせ……クロが学院を追放されるのなら自分も出ていくと言ったくらいだもの」
ウルクの口調は苦り切っていた。ガルフも眉根を寄せる。
「そうか」
「ええ、聖女の証が手に入ったおかげでその話はなくなったけど、そこまでただの魔獣に惚れ込めるもの?」
「魔獣に詳しいのはお前たちの方だろう? 俺に聞くな」
「わからないから聞いてるのよ」
「知らん」
シオンが学院に入ることを了承した条件として、『クロと同室であること』という一文があった。
それはつまり、そういうことなのだろう。
シオンにとって、クロは唯一無二なのだ。
そこまで考えて、ガルフは口元を手で覆った。
――ただの魔獣に嫉妬しているなどと。
「まあ、そういうことだから。ジャックに伝えておいてね」
「おい、ちょっと待て。こいつ連れて帰れっ」
「やーよ。男子寮をこんな時間にうろうろするわけにいかないわよ。じゃあね」
ウルクは腰を上げるとさっさと出ていく。
ソファに横たわる泥酔ジャックに目をやって、ガルフは深々とため息をついた。




