52.戻ってきました。
きゃ~、こちらもほぼ二十日ぶりの更新です。
申し訳ありません。お待たせしました!
フラッシュ焚かれたみたいに真っ白になっていた視界に色が戻ってくる。
最初に見えたのは、黒いローブの色だった。それから髪の毛、肌の色、瞳の色。
「……ウルク……?」
身構えたままの体勢でこっちを見ていたウルクの目がどんどん見開かれていく。後ろには目を眇めたアリアの顔も見えた。
「シオン! あんた一体……」
ウルクは言葉を切るとじっとわたしを見据えた。驚きと喜びの色が一瞬で消えて、眉根を寄せたウルクの目に浮かぶのは――警戒の色。
肩によじ登ったクロが身じろぎする。右手でゆっくりなでてやると、ごろごろと喉を鳴らし始めた。
「あの、よくわかんないんだけど……真っ白いところにいて」
「聖域に呼ばれたのですね?」
アリアが口を開いた。その瞳に警戒の色を浮かべたままなのは変わらない。でも体に入ってた力が抜けているのがわかる。
……あれ、なんでそんなことがわかるんだろう。それに、なんだか前より目が良くなったような気がする。
遠くが良く見えるというか、空気の透明さがわかるっていうか……なんだろう。
「聖域? ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ……」
「ええ……その中で老婆、もしくは幼女にお会いになりませんでしたか?」
「え?」
老婆……? いや、見かけた記憶はない。幼女も同じで、唯一会ったのはクロを治してくれた人……クロードだけのはず。
でも、視界が真っ白になった時、聞こえたのはおばあさんぽかった気がする。
「招かれたのに招待主に会ってないのですか?」
わたしの様子で察したのだろう、アリアが目を見開いた。ウルクも驚いたように目を丸くしている。
えっと、そんなに珍しいことなの?
「シオン、ほんとに招かれたの? 招かれずに迷い込んだんじゃなくて?」
「ウルク先生、大丈夫です。招かれずに入れる聖域ではありませんし、万が一迷い込んだのだとしたら、五体満足で出てこられる場所ではありません」
さらりとアリアが言うのを聞いて、わたしは身をふるわせた。
授業でもその話を聞いていたのにすっかり忘れていたのは、彼がいて、彼が招かれたのだと言ってくれたからかもしれない。
「えっと、よくわからないんですけど、視界が真っ白になって、次に目を開けたら真っ白な場所にいて」
「そう。……無事に帰ってこられてよかったわ」
「はい」
ほっと溜息をつくと、膝の力が抜けた。やっぱり緊張していたのかもしれない。すんでのところで床にクロごと突っ伏すところだったけれど、ウルクが支えてくれた。ベッドに腰を下ろすと、目を覚ましたクロは肩から降りてぺろりとわたしの頬をなめた。
「では、だれに会ったのです?」
アリアの声が固くなったのを感じる。頭を上げると、ベッドのそばに立っていたウルクも一歩後ずさった。
「え……」
「その迷い込んだ場所を『聖域』だとあなたに告げた人がいますね?」
「あ……」
アリアの言葉に、わたしは口をつぐんだ。
あの白い世界に放り込まれる前。
クロがただの小さな魔獣ではなく、魔族の変化ではないかと疑われて、その話をしていたことを思い出した。
わたしを救ってくれたクロが、尋常でない力を発揮したことも、わたしの所有印でもあるリボンが切れたことで野良魔獣に認定されそうになっていたことも。
ベッドにお行儀よく両手足をそろえて腰を落とすクロをちらりと見ると、クロはまっすぐわたしのほうを見ていた。
「はい。……会いました」
「シオン、それって……もしかして、前にクロを治してくれた奴じゃないのか?」
ウルクの口調も詰問調になっている。
そんなに問題のあることなのだろうか。……彼は魔族だ。でも、聖域に招かれた者であることは違いない。
「どうしてわかるんですか……?」
「お前とクロから漂ってくる魔力でわかる。……何かされたのか?」
わたしから漂う、と言われて思わず着ていたものに顔を寄せて匂いを確かめる。せいぜいお風呂で使っているシャボンか、クロのちょっと獣臭いにおいだけだ。
「何かって、何も。あ、髪の毛は、触られ……ましたけど」
そのあとでほっぺにもキスされたことを思い出して、顔を伏せる。
「それだけでこれほど匂うのか……アリア」
「はい」
「聖域は清浄な気の満ちた場所だと聞いている」
「ええ、その通りです。邪なる存在は否定されますから」
「……そこに魔族が入り込めるものか?」
「魔族と言えども招待された者は保護されますから。……シオン、あなたの会っていた魔族は聖域に招待されたのですね?」
「えっと……たぶんそうです。前にも招待されたことがあるみたいだったし」
アリアは眉間に指を当ててしばらく目を閉じていたが、やがて眼を開いた。
「聖女が招いた者ならば仕方ありません。……そちらの魔獣も、どうやら聖女から証をいただいたようですね」
「証? まさか」
ウルクは目を丸くしてクロに近寄った。短く呪文を唱えると、クロの頭から首のあたりをなで、すぐに細い紐を指が捕らえた。
「こんな細い紐……」
「ええ。聖女の許しがある以上、先ほどまでの議論は白紙に戻りました。――それでいいですね、ウルク先生」
ウルクの手が離れると、すぐさまクロは毛づくろいを始めた。
「わかりました。……とりあえず、シオンが学院を出ていく必要がなくなったわね」
ふぅ、とため息をついたウルクはようやく、いつもの柔らかな微笑みを浮かべた。
「その代わり、聖女の思惑一つで撤回される許可証です。シオン、クロ。そのつもりでいてくださいね」
「……わかりました」
ともかく、あの細い紐のおかげでひとまずは首がつながった。アリアもほんの少しだけ口元を緩める。
「では、私は調査に戻ります。部屋についてはもうしばらく現状保存をしたいので、こちらで過ごしてください」
「はい」
護符だったもののかけらを手にアリアが出ていくと、ウルクは深くため息をついて、椅子に腰を下ろした。
「ごめんなさい、ウルクさん」
「……ほんと、今回はさすがにクビを覚悟したわよ。まさか聖域に招かれてるなんてね」
はぁ、とため息をついたのち、ウルクは立ち上がるとミニキッチンに立った。火をつけてやかんをかける。
「わたしもです。……なんで招かれたのかはわかりませんけど……クロに証をくれるため、だったんじゃないかと思います」
「だとしても、シオンまで攫う必要なかったんじゃない? ジャックとガルフに連絡つけようかどうしようか悩んだんだから」
「ごめんなさい。……たぶん、クロをがっちり抱っこしてたせいで巻き込まれちゃったみたいで……目を開けたらクロもいないし世界は真っ白だし……」
紅茶のいい匂いがしてくる。目の前に差し出されたのはミルクがたっぷり入ったミルクティーだった。お砂糖も入れてくれたらしくて甘くておいしい。
「ありがとうございます」
「一人ぼっちになって泣いたでしょう。目の周り赤いわよ」
「それ、は、言わないでください」
そういえば、クロードに会ったときもぼろぼろ泣いてひどい顔してたに違いない。涙までぬぐってもらってしまったし……。
「で? イケメン魔族にキスでもされた?」
目の前の椅子に座ってにやりと笑うウルクに、わたしは慌てて首を横に振った。
「く、クロードさんはそんな人じゃっ……」
「へぇ、クロードっていうんだ。その魔族」
ウルクの笑顔の後ろに黒いものが見えたのはたぶん……わたしの気のせいじゃないと思う。




