41.初めての授業が始まります。
201600605 サブタイトル変更しました
同室の彼女は食堂に戻った時にはもういなかった。
授業の始まりの鐘はだいぶ前に鳴ったから、授業に行ったのだろう。
部屋に戻って少し待つと、すぐにノックされてウルクが顔を出した。
今日は黒いローブの上から明るいオレンジ色の飾り布をかけている。これが教師のしるしなのだろう。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「おはようございます、ウルクさん。はい、クロがいたおかげでゆっくり眠れました」
ベッドの上から飛び降りてわたしの足元にやってきたクロを抱き上げると、おとなしく腕の中でニャア、と鳴く。ウルクは少しだけ目を細めてクロを見て微笑むと、すぐわたしに視線を移した。
「じゃあ行こうか。荷物を忘れないで」
「あ、はい」
ベッドサイドからカバンを取り上げると、ウルクのあとについて部屋を出た。
廊下にはもう誰もいない。
「明日からは、授業開始の鐘が鳴る前に教室まで入っておいてくれる?」
「はい、わかりました」
「じゃあ、今日はあたしが引っ張るから、足元気を付けて。クロはそのまま抱っこしておいて」
「はい」
差し出された左手を握り、肩につかまるように縦に抱っこしたクロを左手一本で支えると、ウルクに頷いて見せる。
「自動移動の魔法はどうやらきちんと行きたい場所を認識しないと全然違うところに連れていかれるらしいんだよね」
「そうなんですか?」
「うん、昨日ここから中庭に戻るのはすんなり戻れたんだけど、アリアがいなかったからそのまま自分の部屋に行こうとしたら、魔法が効かなくてね。後で戻ってきたアリアに聞いたら、きちんと場所を把握しておかないといけないらしい」
初級クラスや食堂などの決まりきった場所は問題ないが、自分の部屋などのあいまいな指定ではだめで、三階の一番奥の部屋、と念じれば動くのだという。
今日から使う部屋がどこにあるのか、大体の位置と部屋の名前をわたしが覚えれば次回からはすんなり移動できる。
「じゃ、動くよ」
「はい」
つないだ手を握りなおして前を向く。ウルクをちらりと見上げると、私のほうを見降ろしていたようで視線が合った。
にっこり微笑んだのち、ウルクが目を閉じたと同時に周囲の空気が揺らいだ。
まるで瞬間移動のようにまわりの景色が変わった。
そう……門から学院の真ん前に出てきた時と一緒だ。あの時は抱えていたクロがいなくなっていたけれど、今日はわたしの腕の中にいてほっと息をつく。
「はい、到着。ここが今日からシオンの教室よ」
ウルクがにっこりと微笑みながら指さした扉には、『第一実習室』とこちらの文字で書かれていた。
「実習室……」
「そう。ここは職員寮の最上階。シオンの力についてはガルフ隊長の計測機器でも振り切れたでしょ? だから、万が一実習のさなかに暴発しても大丈夫な施設を準備してくれたの」
「えっ、職員寮?」
アリアから聞いた説明では、生徒が入れないはずの場所だ。
目を丸くすると、ウルクはうなずいた。
「そう、女子寮の屋上よ。この部屋以外の部屋には入れないから安心して」
「は、はい」
今まで生活魔法程度にしか使ったことがないのに、そんな大惨事になるのだろうか。
そういえば昨日のアリアの説明であったっけ。男子寮を吹っ飛ばした人の話。その程度は抑え込めるように結界が張られているのだろう。
扉のすぐ近くに立っているけれど、なんだかピリピリして仕方がない。
「今日は座学中心になると思うから大丈夫だと思うけど、今後実習がメインになってきたらクロは部屋でお留守番か、中庭に置いてくるといいよ」
「一緒だと危ないから?」
「そうね。……それに、この結界はクロにはつらいものになるかもしれないから」
ウルクの言葉がわかるのか、クロはニャ、と短く鳴く。
そうだ、クロはこんなにちっさいとはいえ、魔獣なのだ。
完全に外界と遮断されるような強固な結界の中に入って、大丈夫なんだろうか。
「じゃあ、今日はお試しなのね」
「そう。クロが嫌がるようなら今日からでも中庭に置いてくるほうがいいだろうしってジャックも言ってた」
「そっか……そうだね」
考えてみれば、ウィレムの館にいたときは、わたしが様々な講義を受けてる間、クロはあちこちぶらついていた。夜には帰ってきて朝までいたけれど、そのほかの時間、クロが何をしていたかは知らない。
自由時間にウルクやジャックとわたしより先に知り合いになってたらしいけれど。
夜は一緒、昼も授業の間一緒にいるとなったら、クロの自由時間が完全になくなる。
そうでなくとも環境が変わってあちこちチェックして回りたいに違いないのに、昼間まで閉じ込めてしまうのは、本意ではない。
「わかりました」
「じゃ、入るわね」
ウルクは扉のプレートに手を当てた。手の甲に文様が浮かび上がる。
「シオンもここに手を当てて」
「はい」
寮の部屋に入るときと同じ動作で手を当てると、同じように文様が浮かび上がる。寮の部屋とは別の文様だ。これで開くのだろうかと扉のノブに手を伸ばしたが、びくともしない。
首祖かしげてウルクを見上げると、彼女は苦笑しながら扉をノックした。
「実習室は危険防止のため、中に人がいる場合は外から開けられないの。たぶんジャックがもう先に入ってるから……」
言い終わる前に鍵が開く音がして扉が開いた。
昨日ぶりのジャックが顔を見せ、わたしの顔をみて口角をあげた。
ジャックもウルクとおそろいのローブと飾り布を身に着けていた。動きやすい騎士団の制服姿を見慣れていたからか、一瞬誰だろうと首をひねった。
「お、来たなシオン。待ってたよ。クロもよく来た」
伸びてきた手がわしわしと髪の毛をかき回し、クロの頭を撫でていった。
「さあ、入って入って。これで全員そろったな。まずは先生と生徒の自己紹介でもするか?」
にかっと笑って扉の前からジャックが退くと、部屋の中が見えた。机と椅子が一セット、教卓らしい広い机に様々な本や物が置かれ、その向こう側にウルクたちと同じ服を身にまとった人が立っている。
「……ガルフさん?」
「おう、久しぶり」
そう答えながらも、ガルフはむすっと拗ねたようにそっぽを向いている。
ジャックとウルクも教卓の前に回り、わたしは荷物を床に置くととクロを机の上に下ろした。
「そ。これで全員。まあ、ガルフ隊長はシオンの個人授業以外に公開講座も持たされたらしいから、ずっとここにはいないと思うけど。俺とウルク、ガルフ隊長の三人がお前の個人指導に当たる。よろしくな」
「は、はい、よろしくお願いします」
頭を下げる。
「で、だ。せっかくなんで、シオンの魔力量の再測定をしたいんだけど……ってか、なんで俺が仕切ってるんすか。ガルフ隊長、隊長から説明してくださいよ」
ジャックに話を振られてガルフは眉根を寄せると「うるさい」とつぶやき、わたしのほうに向きなおった。
「シオン」
「は、はい」
「前に簡易検査装置で魔力量を測定したのは覚えているか?」
「ええ、覚えてます」
つい要らぬ口をはさみそうになって慌てて口を閉じたのだった。
「あの時は針が振り切れてそのままになっていただろう? だから、実習を始める前に、魔力量を把握しておきたい」
「……はい」
ガルフはわたしが勇者だということを知っている。
どれだけの魔石を準備すれば魔力量を計測しきれるのだろう。それとも、新しい測定器を作ったのだろうか。
不安げに見上げると、ガルフは頷きながら教卓の向こう側へ回った。
「学院の職員寮が多少の魔力暴発でもびくともしないのを知っているか?」
「えっと、確か耐魔結界が強いとか聞きました」
「ああ、それもある。が、それだけじゃない。壁のあちこちに魔石が埋め込まれているんだ。暴発した魔力を吸い上げるようにできている」
その言葉に、部屋の壁をぐるりと見回した。実習室は石造りの壁がむき出しで、魔石と思われるようなものは一つも見当たらない。
「わかりません……」
「そりゃそうだ。見てわかるようなところに魔石があったら盗まれるからな。そのくらいには魔石は貴重だ」
「ガルフ隊長、よく話が見えねえんだけど、壁の中に埋め込まれた魔石がなんか関係するのか?」
「もちろん、シオンの魔力量を測定するのに使うんだ。二人とも、教壇の上に移動して。シオンは部屋の中央に。しゃがんで床に両手をつけて」
言われるように部屋の真ん中に移動する。机の上に置いてきたクロが心配そうにニャ、と鳴く。この結界の中で大丈夫なんだろうか。
クロに視線をやって、ガルフを見る。ガルフはクロにちらっと視線を移したのち、わたしのほうをじっと見た。
クロはこのまま放置するつもりだ。そこにいれば安全、ってことだよね?
ウルクたちが教壇の上に移動したところで、足元にぼんやりと赤い魔法陣が浮かんだ。上を歩いても、魔法陣に滲みや乱れはない。
「その中央に手をついて」
言われたように手をつく。
「魔力測定をした時を思い出して」
そういわれても、あの時は言われた場所に手を置いたらすぐ掌がピリピリし始めただけだし。何かを思い描きながらやったわけではない。
力を注ぎ込むイメージでもすればいいのだろうか。でも、どこにもない第六の手を動かせと言われているようなものだ。手のひらから何かが流れてるかなんてわかるはずもないし、そういう感じもない。
とりあえず目を閉じてイメージしてみることにする。
意識を掌に集中する。体がだんだん熱くなってきた。眉間のあたりがむずむずする。背中のあたりにも熱を感じる。
「自分の体を一瞬忘れてごらん」
ガルフの声が聞こえる。
掌が熱い。背中から熱い何かが出ていく気がした。掌ばかり意識していたからだろうか、腕の感覚がなくなってきた。
「ちょ、隊長? これ大丈夫なんすか?」
「黙ってろ……シオン、続けて」
耳に飛び込んできたジャックの声に顔を上げようとしたが、思うように体が動かない。ガルフの指示で、逸れかけていた意識を掌に再び合わせる。
何かがミシリと音を立てた。
目を閉じたままなのに床が一面真っ赤に見える。床だけでなく壁も、天井も真っ赤だ。
床に描かれていた魔法陣はかろうじて見えるものの、どこかにほころびができているのがわかる。
……見ていないのにわかるなんて、わたし、どうかしちゃったんだろうか。
額が熱い。
触りたいけど手を床から離せない。
「こんなに放出して、大丈夫なのか?」
「ああ、驚いている。魔石が持たないかもしれない」
やっぱり、赤く見えるのは魔石なんだ。ということは、この実習室は魔石で覆われた部屋なんだ。
魔石からあふれる魔力が流れていくのがわかる。
なんでだろう、わたしはこの部屋に……最上階にいるのに、魔力の流れが手に取るように見える。
ほかのフロアに配置された魔石から流れ込む魔力がまっすぐ地下へ伸びている。
地下に魔石がため込まれているんだ。
これが学院の守りの要、様々な仕掛けの源。
今のわたしなら、手を伸ばせば届きそうなくらいに感じる。
「すごい……これほどの魔力量は見たことがないわ」
「確かにな。……ちょっと待て……おい、あれ、クロが……」
「シオン、目を閉じたまま、ゆっくり力を抜いて」
クロ?
三人ばらばらに声が聞こえる。クロがどうかしたの?
机の上に置いたままだったけど、本当に大丈夫だったの?
わたしは手に集中していた意識をそらして目を開けた。
視界が赤い。これはさっきまで見ていた魔石の色だろうか。
赤く見えるだけで、実際にそこらじゅうが赤くなっているわけではなさそうだ。
机の上には黒くてかわいい猫がちょこんと座ってわたしを見ているはずだ。
そう思っていたのに。
「……え……?」
机の上に腰かけていたのは、以前森で見た、クロを助けてくれたあの人だった。




