39.ルームメイトは貴族子女のようです。
荷物を開けて片付けるわけにいかないので、仕方なくメディアの本を取り出す。
ベッドに寝転んだら眠ってしまいそうで、壁に背中をくっつけて座り、本をめくる。
来るときに通ったあたりはやっぱり本には書いてない。
ちょっとがっかりして本を閉じる。
メディアがここにいた頃にはまだあんな風にお店が建ち並んだりしていなかったのかもしれない。
もしお店があったとしても、前に学院があった場所からはきっと遠かっただろうし、仕方がない。
でもそれはそれで、地図を作ったりして探検してみるのも楽しいに違いない。
リドリスでは屋台以外の店でのいい思い出が一つもないわたしとしては、お店を覗くということ自体がとてもハードルが高いのだけれど、ここで、制服を着てさえいれば、ぶらりとウィンドウショッピングが楽しめるのだ。
ここに来た目的の一つともいえる。
そこまで考えて、ふと制服を受け取っていないことに気が付いた。
それよりなにより、採寸も何もされていない。
もしかして、子供用の制服がないのだろうか。
でも、ここには見た目がわたしより幼い子供もいると聞いたし、制服がないなんてこと、ないよね。
それに、この姿のまま部屋から出たりしたら、不審者扱いされないだろうか。
あとでアリアかウルクが届けてくれる、ということかもしれない。
アリアはさっさと帰ってしまったけれど、教員の寮に案内するって言ってなかった?
もしかしてジャックを寮に案内するためだろうか。
教員の寮も女子寮と男子寮で別になっているだろうし、同時に案内するわけにはいかないものね。
クロがニャア、と一鳴きして膝に乗り上げてくる。
黒いつやつやの毛並みを撫でていると不意に廊下のほうが騒がしくなった。
喧嘩でもしているのだろうか。それともお昼時になってみんな帰ってきたのかな。
だとしたら、ルームメイトの人も戻ってくるのかもしれない。
ちょっと気を引き締めてベッドから降りようとしたその時。
轟音がした。
「え……」
分厚い扉が床に倒れていた。蝶番は弾けて飛んでいる。
戸口に立っていたのは、金髪の巻き毛を垂らした少女だった。
「アリアさん……?」
そう口走ったほど、アリアに似ていた。
違うのはサイズ。
アリアはわたしより背は高かったけれど、戸口に立つ彼女は、おそらくわたしと同じぐらい。
膝から降りたクロがベッドの上で威嚇するように唸っている。
「ちょっと、あんた何なのよっ! アリア様の名前を軽々しく口にするなんてっ」
指さし確認して彼女はわたしをにらみつける。
「え……?」
「しかも、なんであたしの部屋にさも当然ですって顔で居座ってんのよっ! 目障りなのよっ! ここはあたしの部屋よっ。さっさと出ていきなさいよっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴っている彼女がどうやらこの部屋の先住人だらしい。
「それに、あたしの荷物、勝手に触ったわねっ! 卑しい平民風情が触っていい品じゃないのよっ!」
わたしは開いた口を閉じた。
つまり、彼女は貴族の娘で、そのように育てられてきたということ。
ならば、わたしが何を言ったところでも無駄だろう。
ここはそうじゃないと思っていたのに、やはりそうなんだ。
結局、あの広場の屋台と同じなんだ。
そう思ったとたん、ぽっかりと胸に空洞が開いたような気がした。
学院の中ならば、平民も貴族もなく皆平等だと、アリアも言っていた。
だから、自分で思っていたよりもすごく期待していたみたい。
今までだって子供扱いされて、大人としてろくに扱われてこなかった。
それはどうにもならない人種的肉体的な問題だし、仕方がないと思って諦められた。
でも。
ここでもそうだなんて。
俯くと、涙が零れ落ちた。
「ふん、わかったんならさっさと――」
彼女の声が途切れる。
「またですか、テイルノール」
聞きなれた声に顔を上げると、戸口の彼女が後ずさって部屋に入ってくるところだった。そして、戸口に姿を現したのはアリアだ。
こう並んでみると、アリアとルームメイトの髪の毛の色は若干違う。ルームメイトのほうが色が淡いように見える。身長もアリアとは頭一つ分違う。
「お、姉さま……」
「私はあなたの姉ではありません。その呼び方は許していません」
「あ、アリア様……」
冷たい表情のままアリアはルームメイトを見下ろしている。それから、わたしのほうを見て柔らかくほほ笑んでくれた。
「シオン、不快な思いをさせてごめんなさいね。あなたには何の落ち度もありませんから」
「は……い」
わたしが何とか返事を返すと、アリアはうなずき、それからルームメイトに視線を向けた。冷たい表情に戻っている。
「テイルノール、私はルームメイトが入るので昨日のうちに荷物を片付けなさいと言いましたね?」
「……はい」
「ですが、今日彼女を案内して来れば、荷物は前のままでした。ゆえに、生徒代表の権限で強制執行しました。異論はありませんね」
テイルノールと呼ばれたルームメイトは唇をかみしめてうつむいている。
「異議なしと受け取ります。それから、ルームメイトが入る話はずいぶん前からしていました。あなたからは承諾の返事をいただいていたはずですが、なぜ拒否するのですか」
「そ、それは」
「それから」
抗弁しようとした彼女の言葉に、アリアは言葉をかぶせて封じ込めた。
「平民風情、と聞こえましたけれど気のせいかしら。学院の中ではあなたはただのテイルノール。どこの貴族の娘でもなんでもない。同じように彼女もここではただのシオン、平民でもなんでもない」
平民でもなんでもない。
その言葉にわたしはアリアの顔を見つめた。
平民でも貴族の娘でもなんでもない。
ただのシオン。
学院に属する限り、それ以外の身分を持たない。
ここでは……わたしは勇者ですらないのだ。
今になって、首から下げたあの身分証となる緑の石の意味が分かった気がした。
「わかっていますね。己を弁えられないなら、退院してもらいます」
ルームメイトは完全に沈黙した。
アリアは、床に倒れた扉を避けるように歩いてわたしの前にやってきた。
「シオン、制服を持ってきたわ」
「ありがとう、ございます」
「それから、彼女があなたのルームメイトとなるテイルノール。……いきなりいろいろ不愉快だったでしょう。ごめんなさいね」
「いえ、あの、アリアさんが謝ることじゃないです」
受け取った制服を抱きしめて、わたしは顔を上げた。涙は頬に筋を作っていたが、もう新しく流れてはこない。
アリアは微笑むと、首を横に振った。
「私は生徒代表だから、他の生徒の行動すべてに責任を持たなければならないの。彼女が――テイルノールがやらかしたことをお詫びするわ。そのうえでお願いしたいのだけれど、テイルノールがこのままルームメイトであることを、許してくれるかしら」
わたしは、こちらに背を向けたまま凍り付いているルームメイトの背中に目をやった。
彼女の言動ははっきりとわたしを傷つけるために選んだものだ。それを許せるはずはない。
そして、アリアは彼女に対して何の罰も与えずに許せと言う。
それが何より――胸を抉る。
だが、この世界では――当たり前の行動だということも、わたしは知っている。
ブランシュだった記憶の中のわたしも、同じだったから。
力強いアリアの目から視線を外すと、目を伏せる。
「……わかりました」
そう答えながら、制服を抱きしめる手に力が入る。
彼女を許せというアリアの言葉が胸を締め付ける。
――ああ、ここでもまた、わたしは一人だ。
止まっていた涙がまたポロリとこぼれる。
「ありがとう、シオン。では、テイルノールは一週間の魔力封印を命じます」
「え……」
「あ、あたしはっ……!」
わたしの声と、ルームメイトの声が重なった。
どういうこと? 魔力封印?
驚いて顔を上げると、アリアはにっこりとほほ笑んだ。
「よかったわね、テイルノール。シオンがあなたを許してくれたことで、あなたの退院処置は回避されました」
「ひ……」
ルームメイトが振り向いて、わたしとアリアを交互に見る。その顔には、怒りと憎しみと恐怖が交互に浮かんでいるのが見て取れる。
「あの……」
「シオン、ごめんなさいね。こんなことになって。もう少しマシだと思っていたのだけれど。あなたがルームメイトとして彼女を受け入れなければ、即刻退院措置をとるところでしたの」
わたしはなんと言えばいいのかわからず口を閉ざした。
「テイルノール、あなたには一週間、魔力を封印した上で寮内の清掃を命じます。いいですね」
「……はい」
「それから、その扉はきちんと修理するように。修理が終わるまでは魔力封印を免除します。終わったら速やかに報告に来なさい」
アリアはそれだけ言い置いて、戸口から出て行った。
テイルノールは悔しそうにわたしをにらんだあと、扉の修理を始めた。
その背中を見つつ、ため息を吐くしかなかった。




