36.行ってきます
ジャックとヴィルク、ピートは館の玄関で待っていた。ウルクの言っていた通り、白の正装で騒ぐ魔獣たちをなだめている。
「ジャックさん、おはようございます」
「おう、おはよう」
ウルクが歩み寄ると、ピートは全身でのしかかるように甘え始めた。
「ピート、どうしたの。重いってば」
「そうなんだよ、やたら騒いで懐こうとするんだ。こんな日だってのに」
「こんな調子じゃシオンを乗せられないわね」
「じゃあヴィルクに乗るか?」
「今日はやめといてくれる? ああでも歩くのはヴィルクには無理よね。悪いけど先に王宮の入り口まで行っていてくれない? あたしはピートが落ち着いてからシオン乗っけていくから」
「そうか? 分かった。スマンな」
ジャックは慣れた様子でヴィルクにまたがると、ヴィルクの首の辺りを叩いた。何かをつぶやいているようだが聞こえては来ない。やがてヴィルクは納得したように小さく頷くと、羽を広げた。
風を巻き起こしながらヴィルクはあっという間に空に舞い上がる。上空でジャックが手を振ってたように見えたから振り返してみた。
風が収まる頃にはもう姿は見えなくなっていた。王都は広いけど、王宮まではそれほど遠くないはずだ。……まあ、この間飛ばされた時にあちこちうろついたから広いことだけは確かだ。
「じゃ、行こっか。ピートも今ので落ち着いたみたいだし」
「はい」
おとなしく四肢を曲げてウルクを待っているピートの鼻を優しくなでて、ウルクはピートの背中にまたがった。
「荷物持ったまま乗れる?」
「あ、はい。大丈夫です」
ピートに乗るのは二度目だ。ウルクの手に引っ張り上げられて、自分の前に鞄を抱える形でピートに乗る。ウルクは後ろから片腕をお腹にまきつけて落ちないようにホールドしてくれている。前回はクロは別行動だったけど、今回はゆっくり歩くから、一緒に乗れる。
飛び乗ってきたクロは、荷物の上に香箱を組んだ。
「じゃ、行こうか。ピート、馬や人を脅さないようにゆっくり歩いてね」
分かった、と合図するように顎を引き、ピートは立ち上がると歩きだした。馬よりは地面が近い。通りを歩く人たちがちょっとびっくりした風で振り返る。
魔獣自体はそれほど珍しいものじゃないと習った。
確か、王国騎士団にも魔獣騎士団と称される隊がある。魔獣を駆使するわけじゃなく、単に魔獣をパートナーに持つ騎士たちが多いというだけだったが、他国では魔獣を駆使する隊が実際にあるという。
途中で馬に乗る見知った顔の人とすれ違った。リーフラムの隊の一人だ。騎士服を着たままということは、休暇に入っていないんだろうか。
リーフラムとガルフ、ウルクとジャック以外は全員休暇に入ったって聞いたのに。
「イアンのやつ、隊服勝手に持ち出したな。怒られても知らないぞ」
「イアンさん?」
「ああ、今すれ違ったやつ。確か田舎に彼女がいて、ようやくプロポーズするんだとか言ってたから、たぶんあの隊服でかっこよく決めるつもりなんだろうね」
「やっぱり騎士団に入ってるともてるんですか?」
アンヌの店の子たちは王国騎士団の面々が来るようになってから、ずいぶん熱心に化粧をして店に出ていた。風呂にもこまめに入って、香水をつけて。
あまりにキツイ香水をつけてアンヌに怒られてた子もいた。
「そうねえ。まあ、男性は概ねモテるようになるらしいわ。でも既婚者は少ないのよね。リーフラム隊長もガルフ隊長もまだだし」
「モテるのに結婚できない?」
「できないというか、ね。今は特に魔王が出現してるから、いつ死ぬか知れない騎士団の男は旦那にするにはリスクが高すぎると思われるんじゃないかな。特に王都は魔王が目撃されてるし」
「ジャックさんも?」
途端にウルクは吹き出した。
「なぁに? シオン。ジャックのことが気になるの?」
「違いますっ」
「はいはい、わかってるって。ジャックは結構モテるわよ。ただ、魔獣がパートナーってところで怯む人は多いわね。ヴィルクがうんと言わないと結婚までは進めないだろうし」
「そうなの?」
わたしはウルクを振り向いた。ウルクはピートの背中をぽんぽんと叩く。
「それはあたしだってそうよ。例えば結婚する条件としてピートと別れてくれと言われたら、躊躇なく結婚を諦める」
「え」
「隷属の首輪や隷属の魔法を使えば、魔獣を自分の使役魔として使える。でも、パートナーとして契約するというのはまた別ってことは知ってるわよね?」
「はい」
「契約だからね。何かを差し出すことによって魔獣がパートナーとしてそばにいてくれるわけ。その何かっていうのは魔獣によってそれぞれだけど」
「それぞれっていうのは?」
「例えば魂や命そのものとか、血であったりとかね。契約しようとする魔獣の性質によるってところかな」
「性質……」
なんとなく分からなくもない。魂や命が代償とかって言われると、悪魔との契約みたいなものを想像してしまうけれど。
「ピートの場合は変わっててね、衣食住の確保と、出来る限り一緒にいることが条件だった。騎士団の寮には魔獣とともに暮らせる部屋があったんで助かってたんだけどね。王都を出てからこっち、ずっと別行動だったから、ピートには悪いことをしたなとは思ってる」
でも、それだけで結婚を諦めたりするものだろうか。
「シオン、考え違いをしてるかもしれないけど、あたしにとってピートは家族なの。ジャックにとってのヴィルクが家族なのと同様に。切り離せるものじゃないのよ。だから、ピートを受け入れてくれない人とは結婚できない」
家族、と口にしたウルクの表情はどこか寂しげだった。
そういえば家族のことを二人が口にしたことがなかったように思う。そういうことなのだろうか。
「うん、わかった。……わたしもクロがいなくなったら生きていけない」
目の前にうずくまるクロがこっちを見上げてニャア、と鳴き、頬を舐めてくる。
「そろそろ王宮が見えてくるわ」
大通りを抜け、広場を抜けてピートはぐるりと王宮を取り囲む城壁までやってきた。
「正門は王族や貴族専用。従業員はここからぐるっと壁伝いに左に回ったところに入り口があるの。あたしたちの出入り口は学院に近いところにあって、壁づたいにぐるりと右に歩いてほぼ正門の真裏にある。学院関係者専用の門でね、王宮前広場に出るにはぐるっと王宮を半周しなきゃならないのが面倒だけど」
正門前には物々しい門と門番、衛兵と近衛兵の詰め所があるようだ。入り口自体が跳ね上げ式になっていて、通常は閉じている。
今日は来客があるのだろう、入り口の橋は降ろされていた。
壁伝いにぐるりと半周する。王宮前広場は様々な行事に使われるため、固定の何かを置かないのがこの世界の常識らしい。
そう言われて周りを見ると、広場に転々と軒を並べているのは屋台ばかりで、椅子やテーブルを置いているところはあるものの、全て可動式、つまり夜には全て片付けるのだという。
そういえばリドリスのあの広場も、広場に面した店以外はどれも屋台だったのを思い出す。
広場をのんびりと一周して、そこから伸びる王宮の周回道路に入る。
少し奥まっているせいか、看板をぶら下げたこじんまりとした店がいくつも並んでいる。
「この辺りはね、衛兵や騎士団の行きつけの店が多いの。まあ、分かるでしょ?」
頷きながら、まだ準備中の店をちらちらと覗く。昨夜もきっと兵士たちが集っていたのだろう。店主らしき人が掃除をしている。
「ウルクさんも来たことあるんですか?」
「ええ、何度も。リドリスのアンヌの店みたいなもんね。行きつけになると多少は融通が聞くから、つい入り浸っちゃうのよね。魔獣OKのお店も結構多いし」
言われてみれば、入り口の間口が広い。幅もさながら天井も高かったりする。
アンヌの店の場合、厨房以外の部分はあとから増築したと聞いた。それまでは柱に幌を括りつけた簡易テントの下に椅子と机を並べただけだったんだそうだ。
「落ち着いたら行きつけのお店に案内するわ。お酒が飲めなくても楽しめるわよ」
「うん、ありがとう」
さらに進むと、だんだん飲み屋以外の店が増えてきた。学院御用達の文字も見える。制服や服、学術本や雑貨、ノートや杖、キャンディやケーキ。それから喫茶店。
さながら大学の門前町みたいだ。いい匂いも流れてきて、なんだか胸が踊る。
「この辺りはあたしが通ってた頃から変わってないわねえ」
「ウルクさん、学院卒業生だったんですか?」
「あら、言わなかったっけ。そうよ。この辺りも何年ぶりかしらね」
「この辺りが学生向けのお店なんですね」
「そうね。まあ、学院の制服を着ていれば入店拒否とかされないから安心して。表通りだけでなく裏通りもいろいろお店があるから、休みにぶらついてみるといいわ」
「はい」
それから、いよいよ学院専用の入り口が見えてきた。正門と同じように衛兵と近衛兵の詰め所、門番、それから跳ね橋があるのは変わらない。違うのは、正門は壁とは反対に白で統一されていたのに、この門は目立たないように黒で統一されている。門も、前に立つ兵士の装備も。
門の前にジャックとヴィルクが待っていた。
ウルクはピートを止め、軽やかに降り立った。あたしも手を借りてピートの背から降りると、クロを肩に乗せて鞄を抱きかかえた。
門の前で壁と門を見上げた。ここからわたしの新しい生活が始まる。
「じゃあ、ここから別行動になるわ。シオン、たぶんすぐ会えると思うけど」
「はい、ありがとうございました」
ジャックと合流すると、二人はわたしに手を振って門をくぐっていった。
「じゃ、行こっか、クロ」
肩に乗るクロにつぶやくと、クロはニャア、とわたしの頭に両手をかけた。
ここまで怖気づいたって仕方ない。鞄をぎゅっと抱えなおして、わたしは門へ歩み寄った。




