3.女将さんはいい人です 2
本日二話目の投稿です。
3.女将さん 1からお読みいただきますようお願い致します。
案内されたのは店のちょうど裏手にある扉だった。朱色の塗りがだいぶ剥げて来ている。
「あたしが結婚してからも年に一度は風通ししてあるから、掃除すれば大丈夫だと思うんだけどね。ああ、掃除用具は店のを使っていいよ。場所はわかるわね」
「はい、ありがとうございます」
じゃ、と女将さんは店に戻っていく。わたしは改めて二階を眺めた。
全部が使えるわけじゃないと思うんだけど、ベランダが作られてて、そこが物干し台になってたのが見て取れる。風呂で洗濯してそこに干せばいいみたい。
とにかく中に入ってみよう、と鍵を差し込んで回す。きしむような音を立てて鍵は周り、扉を引き開けるとすぐ階段だった。
埃っぽい。マスクがないと肺をやられそうだ。クロを迎えに行く間だけでも部屋の窓を開けておかないと、息苦しくて仕方がない。
内側から鍵をかけ、階段をあがる。舞い上がるホコリがすごい。とにかく上がり切ると正面に扉、右に扉。正面を開けると広い部屋が見えた。何かは置いてあるようだけど雨戸が降ろされてて見えない。窓に駆け寄って鍵を開け、雨戸を引き開けると眩しい光が部屋に満ちた。
振り向くと、二十畳ほどのだだっ広い部屋に応接セットらしきものとベッドが置いてあった。ソファの上にかけてある布をめくると新品同様に綺麗な布地が見える。掃除が終わるまではこのカバーは取らないほうがいいかもしれない。
とりあえず抱えてた服をカバーの下に潜り込ませると、戸口に戻って右の扉を開けた。
こちらも同じく真っ暗だ。窓をあけて振り向くと、こちらは六畳程度のこじんまりした部屋だった。隣がミニキッチンになっている。奥に扉がもう一枚あって、そこが風呂場だった。
さすがに現代日本みたいにひねればお湯が出てくるわけじゃない。それどころか水が出てくる蛇口もない。ということは井戸からここまで汲み上げないとダメなのか。それはかなりの重労働だ。
風呂は諦めたほうがいいのかもしれない。
全部屋を確認して、ベランダに出る。キッチンから直接出られるようで、足元もしっかりしている。ロープや物干し竿はなかったから、ロープを買ってこよう。
掃除するには水がいる。キッチンの流し場にも蛇口のようなものはなくて、やはり桶で汲み上げるのか、と落胆する。
仕方がない、今日だけは下の炊事場から水を分けてもらおう。
わたしは髪をいつものように後ろで縛り、下に降りていった。
バケツと雑巾、箒とハタキはすぐに見つかった。掃除機でない道具で掃除するなんて、学校以外でやるのは初めてだ。
女将さんに水の在り処を聞いたら「は?」と返された。
――えっと、わたしなにか変なこと言いました?
「そんなの魔法の初歩じゃない。それくらい……ああ、そうか。忘れてるんだったね。そんなに魔力量は低くないと思うんだけどねえ。じゃあ、少し教えようか」
女将さんは手っ取り早く三つの魔法を教えてくれた。水を呼ぶ魔法。火を呼ぶ魔法。風を呼ぶ魔法。
「風呂の場合は水を呼ぶ魔法で水をいれて、それから水に手をつけながら火を呼ぶ魔法で水を湯に変えるんだよ。この三つを覚えていればいろいろな組み合わせができる。火と風で温風が出せるから、髪の毛を乾かすとかね。呪文を組み合わせるのはちょっとコツがいるから、今は使わないほうがいい。確かエティーファが使ってた入門書があるはずだから、探しておいてあげるよ」
「ありがとうございます」
女将さんが引き上げたあと裏庭でこっそり試す。初級の呪文は比較的短くて覚えやすかった。が、そのうち呪文を実際に口で唱えなくても心で思い描いただけで発動するようになった。
これは嬉しい。いちいち口で呪文を言うの、実は恥ずかしいのだ。ロボットアニメで技の名前を連呼するのが恥ずかしいのと同じで。
「よし」
わたしはなんだか嬉しくなって二階に舞い戻った。魔法が使えるなんてこと、現代日本じゃありえなかったもの。特別、という言葉がちらっと見え隠れする。いいの、今はこの世界で生きていくのでせいいっぱいだから。
結局、風呂に湯を貯めるのも『湯がほしい』と思うだけで満たせるようになった。どれだけ魔法を短縮化できるのだろう。これもチートの一種? それともスキルの一つかな。よくある無詠唱スキルというやつ。
この世界はファンタジーだもの。あってもおかしくない。
掃除は思ったより捗った。ハタキをかける片端から風で窓の外に吹き飛ばす。店の方に落とすと迷惑だろうから、全部裏庭の方に回した。
六畳の部屋はさほど時間はかからなかった。キッチンとお風呂はやっぱり綺麗にしておきたいので念入りにする。
そこまで終わった頃に顔を上げると、すでに外は暗くなりかけていた。しまった、掃除の前にクロを迎えに行くの、すっかり忘れてる。
奥の二十畳の掃除は明日に回して、窓を全部閉めて慌てて下に降りる。あ、着替えがソファのカバーの下だ。すっかり埃っぽく茶色に煤けた格好のままだと気がついたが、迎えのほうが先だ。
女将さんにクロを迎えに行くと伝えて、わたしは走った。森まではいつもなら一時間だけど、走れば往復一時間でいけるはず。
町外れまで来たところで雨が降り始めた。あー、間に合わなかった。雨具もないからあきらめてそのまま走る。靴の中がぐちゃぐちゃだ。
いつもの野営地に着いたらクロは水があたらないところにいて、顔を見た途端にニャアと鳴いた。
「ごめんね、雨が降る前に迎えに来るつもりだったのに……」
そっと抱き上げる。わたしもクロもずぶ濡れだけど、クロはがしっとわたしの胸に爪をたてて抱きついてきた。雷も鳴ってるし、怖かったのかもしれない。
「ごめんね。今日から食堂に住まわせてもらうことになったから、そっちに行こ?」
ニャア、と返事をする。濡れた手でなでても気持ち悪いだけだろうけど、わたしはクロをそっとなでると街に引き返した。
びしょ濡れのまま店に入るわけにはいかないから、店の子に女将さんへ伝言してもらい、わたしはそのまま裏に回った。鍵を開けるとまだ埃っぽい。そういえば階段の掃除はまだだった。ここで下ろすとクロの体がホコリまみれになる。仕方がないのでそのまま上に上がった。
部屋に入る前に靴を脱ぎ、ぺたぺたと裸足で風呂まで行く。後ろを振り向いたけど、足の裏は汚れてなかったみたいで、床についたあしあとはただ濡れてるだけだ。風呂上がったら綺麗にしなきゃ。
ためておいたお湯は少しぬるくなっていたのでもう一度沸かし直して、洗い場で服を脱ぎ捨てると湯船につかった。体を洗う余裕もないくらい、冷え切っていた。クロはニャアニャアと鳴き続けてた。湯船に連れ込んで溺れても困るので、桶に入れて持ち上げる。
ここのお風呂ってまるで日本のシステムバスだ。蓋があって、シャワーもある。シャワーは風呂の湯船につながってて、湯船の湯が上から出るらしい。どういう仕掛けなのかはわからないけど、湯船にお湯を張りさえすればいつでもシャワーが使えるのは嬉しい。
体を温めてから全身を洗う。シャンプーとかはやっぱりなかった。石鹸もなかったから明日買いにいかなきゃ。
いつもの水浴びと同じ要領で体を洗い、クロもついでに洗うとクロを先に風呂から出した。脱ぎ散らかした服に飛び乗ろうとするクロを制して服を全部湯船につける。茶色く汚れたズボンもTシャツも洗って絞ってから、着替えがこっちにないことに気がついた。
「どうしよう……」
この格好でベランダに出るわけにはいかないし、ベランダに出ても今日は雨だ。干すロープすらなかったのも失念してた。
それにタオルもない。いつもの野宿だとそれほど寒くないから気にしてなかったけれど、濡れたままじゃ部屋の中が水浸しになってしまう。
覚えたての風で水を散らし、ちょっと怖かったけど温風で体を吹き上げる。あっという間に体も髪の毛も乾いてしまった。
「すごい……」
ニャア、とクロが寄ってくる。クロも温風で乾かした方がいいのかな。そういえば、この温風で服も乾かせばいいのよね?
手に持った状態で温風をかけると思ったよりもうまく乾かせた。ズボンもシャツも下着もこの要領で乾かして、ほかほかの湯上がりで部屋に戻る。床に残ったあしあととクロのあしあとを綺麗に消して、クロをざっと雑巾で拭いて――だって温風をいやがったんだもの――部屋の壁に背中をつけた。
キッチン横の六畳間はもしかしたら子供部屋だったのかもしれない。二十畳の部屋においてあったベッドはキングサイズで、二人でも三人でも余裕で寝られそうだった。
こっちの人たちはみんな大きいからあれでちょうどいいのかもしれないけど、わたしだと広すぎて落ち着かない。
こっちの部屋だけで十分だ。
クロがお腹に乗ってきた。そろそろおねむの時間だろう。わたしはいつものように体を横たえた。クロが体の上で身づくろいしてるのを見ながら、眠りに堕ちていった。