閑話:吟遊詩人の日常2
「はいはい、みんな座って」
部屋の中にはふかふかの絨毯が敷いてあり、その上に一メートル四方の大きな座布団が敷き詰められている。その上には一枚に一人、子供がちょこんと座っていた。その数二十。
お仕着せの紺色の短いローブの下からはおむつが見える子もいる。女の子も男の子も区別なく、それぞれが思い思いの座布団を選んでいるらしい。花柄や緑色など、きっちり刺繍が施されたものから白いままのものまで様々だ。
介助員が子供たちの間を周り、寝転んでいる子や立って走っている子たちを座布団に誘導する。
それぞれが手に短い杖を持っている。それを隣の子と打ちあったり寝ている子をつついて突かれた子が泣きわめいたりと騒がしいことこの上ない。
これを、黙らせねばならないのだ。
クラウスは深くため息をついた。
――何で俺、こんなところで初級クラスの臨時顧問やってるんだ?
初級クラスは五歳までの、初級魔術も使えない子供たちが集められている。
一応お決まりの自己紹介はしたものの、聞いていたのは一割以下。つまり一人か二人しかこちらを見ていなかった。
前の教員が辞めたくなった気分も分かるというものだ。
とりあえず、このクラスのカリキュラムは自由に進めて良いと言われている。
まずは鎮めることから始めるか。
クラウスは椅子から立ち上がると子供たちと同じように床に座った。教員用の座布団はないが、この絨毯ならそれほどつらくはない。
片膝を立て、竪琴を取り出すといつもの声で歌い始めた。別段声を張り上げることもない。隣のクラスには聞こえないくらいの声。
広場で一曲やる時もいつも同じだ。それほど声を張り上げるわけじゃない。
興味を持ってもらえるような題材を、と思ってエランドル王国の建国記にした。壮大な物語でもあるし、やはり神と英雄の戦いは興味を引きやすい。
教室に満ちていた子供たちの声が段々消えてきた。序章の一段落まで語り終えて手を止める。閉じていた目を開き、顔を上げると、四十の目、いや、介助員も含めて四十六の目がクラウスに集中していた。
「せんせー、いまのなに?」
教室の前にいる人は「せんせー」と教えられたのだろう、クラスで最年長の五歳児が口を開く。次々に他の子たちも質問を投げかけてくる。その目はキラキラしており、クラウスを見つめている。
クラウスはいつもの微笑みをたたえた。
「いい質問だ。でも、みんなが一度に喋ったら聞き取れないよ。手を上げて順番に喋ってくれるかな?」
「はいっ! せんせー、いまのなに?」
さっきの五歳児が勢い良く手を揚げる。金髪に碧眼、気の強そうな子供だ。
「君の名前は?」
「ぼくはエンリケ」
「エンリケ。いい質問だ。今のはね、この国、エランドル王国の建国記っていうんだ」
「ケンコクキ?」
「そう、この国の成り立ちの物語。ずっとずっと昔にあった、本当の話だよ」
本当にそうだったのかどうかはあまりに昔の話すぎて分からない。神話と言われることもある。だが、この国の子供たちはこの建国記を聞いて育ち、昔の英雄たちを大好きになるのだ。
「はい、せんせーっ」
後ろの方で女の子が立ち上がる。エンリケは満足したのか腰を降ろした。
「はい、君の名前は?」
「アリシア。せんせー、こびいといる?」
「こびいと……ええと、恋人のことかな?」
クラウスは苦笑しながら訂正する。くりくりっとした茶色い瞳の女の子だが、ちゃんと女の顔をしている。
やっぱり女の子は何歳でも女だなあ、としみじみ思う。
「えっと、はい。こびいとです。いるんですかっ」
「いや、いないよ。目下募集中だ」
「じゃあ、アリシア、せんせーのこびいとになるっ!」
教室内が一気に騒がしくなった。泣き出す女の子、掴みかかる女の子、野次る男の子、泣き出す男の子。
あまりの騒ぎにクラウスはくらりとめまいを感じた。
「はいはい、座って座って。そこの君も泣き止もうね。アリシア、あと十年経ったら恋人にしてあげる。だから、早く大きくなってね」
きゃーっと女の子達の黄色い声が上がる。わたしもわたしも、と次々と声が上がる。
「さて、僕についてはその程度でいいかな? 他には?」
「せんせー、しつもんっ」
「はいどうぞ、君の名前は?」
「クラウス」
おや、とクラウスは少年の顔をみた。青みがかった銀の髪の毛が寝癖でピンピン跳ねている。
「おや、僕と同じ名前だね。はい、どうぞ」
「さっきのはうたですか?」
「はい、歌です」
だがクラウス少年は納得していないようだ。
「クラウス少年は何か感じたのかい?」
「あ、はい。なんか……せなかがムズムズして、へんなかんじがしました」
クラウスはにっこり微笑んだ。
「君は魔力感知能力が高いようだね。そう、君の言うとおり、さっき歌った歌には魔力を込めていました。どんな魔力だったか、わかる人いるかな?」
さすがに反応は芳しくない。子供たちはみんな首をかしげてクラウスの方を見ている。介助員の女の子たちも苦笑を浮かべている。
クラウスは床から立ち上がるとクラウス少年の側に膝をついた。
「クラウス少年、君は?」
「えっと……ぼくのうたをきいて、っていわれてるきがしました」
「なるほど。他にはいないかな。……そう、クラウス少年が正解だ」
よくできました、と銀の頭に手をやって撫でると少年は嬉しそうな顔をした。
「僕の職業は吟遊詩人でね、歌に魔力を乗せることで魔法を使うんだ。もちろん普通の魔法も使えるけど。でね、難しい魔法になればなるほど、歌に似てるんだよ」
「そうなの?」
「そう。初級の魔法は短いだろう? たとえば」
クラウスは立ち上がると元の場所に戻り、杖を手に炎を呼び出す呪文を口にした。
ぼっと小さな火がついて、すぐ消える。
「こんな感じに短い。でも、複雑な魔法はこんな風に……」
クラウスは今度は長く詠唱した。抱えるほどの水球を出し、その中に炎を揺らめかせる。
子供たちの口から感嘆の声が漏れる。
「いまのは長かっただろう? 呪文を覚えるのに歌みたいにメロディをつけて覚えると覚えやすいんだ。だから、歌と魔法は仲が良いんだよ」
にっこり笑い、目の前に作り出した炎入り水球を消す。
「君たちもこんな風に魔法を使ってみたいかい?」
「うんっ」
子供たちの顔がキラキラ希望で輝いているのが分かる。この二十人の中でどれぐらいの子がこの学院に残るのかは分からない。だが、それを引き出すのも初級クラスの役目だという。
そこまで本気で教えるつもりはなかった。ただ、魔王サマの言うように、勇者の彼女の監視とサポート、出来れば接触して懐柔する役目を果たすための学院入りだったのだが。
――可愛いじゃないか。
きらっきらな目を向けられたクラウスは、くすぐったいような恥ずかしいような、それでいて何かしてやりたくて堪らない気分になっていた。
「よし、じゃあ僕と一緒に魔法を覚えようか」
「せんせー」
さっきの五歳児、エンリケが手を揚げる。
「どうした? エンリケ」
「あのね、さっきのつづき、ききたい」
くるりと教室内を見渡すと、男の子も女の子もうんうんと頷いている。
吟遊詩人として、歌の続きをねだられるのは最高の賛辞だ。吟遊詩人冥利に尽きる。
だが、今は教師でもある。
にやっと笑いたいのを堪えて、にっこり微笑むとクラウス入った。
「じゃあ、みんなががんばって、今日の授業が早く終わったら、さっきの続きを歌ってあげよう」
きゃあきゃあと喜ぶ子供たちの笑顔に、胸の奥がぽっと暖かくなった。
――魔王サマの仕事にしては珍しく、いい仕事になるかもしれないな。
クラウスは授業を再開するべく手を叩く。
「じゃ、今日の授業、始めるよ」
応じる子供たちの顔は、最初にこの部屋に入ってきた時とはまるで違っていた。




