24.王都へ行きます
残りの日数はあっという間に過ぎ去って、明日は出発の日。
あれ以来、館から一歩も出してもらえなかった。
クロはよく夜になると出かけてたから、多分友達でも作ったのだろう。気楽に出ていくのはちょっと羨ましかった。
それに勉強だなんだかんだとずっと忙しくて、朝起きてから寝るまでみっちりスケジュールが決められてた。あの日のことなんか思い出す暇もないほど。
それはそれでよかったのかもしれない。
思い出してしまったら、なんだかもやもやしたものが湧き上がってきて、立ち止まってしまう。
そんな時間はわたしには与えられてない。
すべてを向こうに追いやって、毎日分刻みの予定をこなしていく。
今日は館全体も大忙しだ。
交代する王国騎士団が到着したらしい。朝、廊下からちらっと見たら、館の前庭にはずらりと騎馬と兵が並んでいた。
王国騎士団 第三隊のみんなも、引き継ぎや出発の準備で忙しい。
わたしも今日は勉強もなく、出発の準備に時間が割り当てられた。
勉強の方はどの先生からもお墨付きをいただいた。
平民の常識もあらかた頭に入った。
領主の教え方は一度言ったことを二度言わないスタイルで、必死にメモを取ってあとで読み返して頭に叩き込んだ。次の時に前に教わった内容の口頭試験があるのだ。ミスったら心臓をえぐられそうな冷たい目で睨まれる。スパルタもスパルタ、その時間を迎えると胃が重くなった。
部屋の片付けも全部終わらせて、荷物をまとめる準備をする。
荷物、と言ってもアンヌにもらった鞄一つで結局足りる。
魔術騎士団のローブは借り物だったし、授業の時間はローブを着るように言われてた。私服になるのは食事かお風呂のあとぐらいで、結局着替えを買いに街に降りることもなかった。
そういえば一度だけ、採寸のために街の仕立屋さんが来た。何を作らせるのかわからなかったけど、耳の穴とか指の太さとか隅から隅まで採寸されたのは覚えてる。
寝間着と明日着る服以外を鞄に詰め込んだところでクロの気配がした。最近、クロの気配が分かるようになってきた。何でだろう、別に気配を感知するような訓練はしてないんだけど。実際、他の魔獣や人が寄ってきても気が付かない。クロ限定なんだよね。
ニャア、と窓から戻ってきたクロが声を上げる。
「おかえり、クロ」
頭を撫でるとクロはしっぽをピンと立てて体を手にこすりつけてくる。今日は黄色い花粉を体につけてる。前庭で遊んできたのだろう。
喉をゴロゴロ震わせるクロを撫でまくり、首元に手をやると、何かが挟まってるのに気がついた。白い花びらのようだ。バラの花かな。いい匂いがする。
「いよいよ明日出発だね」
ニャア、とやはり返事を返してくるクロ。アンヌの店とも、野宿して過ごしたあの森ともお別れだ。……あの人とも。
魔族。
高位魔族のことについては魔族と魔王の授業で教わった。人の姿に変化して人そっくりの姿で市井に降りてくる魔物。その目的はバラバラだけど、多くが気まぐれで快楽的。人と違う常識と時の流れの上に生きる存在。
そんな高位魔族のトップに立つのが魔王。
もし、あれが魔王なのだとしたら。
……わたしなんか魔王の手のひらの中で泳がされてるだけなんじゃないだろうか。いつでも殺せる、玩具的存在として。
「まさかね」
そう、言ってしまう。そうでないことを願ってしまう。
あの時――吟遊詩人に連れ回されたあの時、ものすごい殺気を振りまいて追ってきた。あれがあの人だなんて思えない。
ああだめだめ。考えないことにしたんだった。
鞄に荷物を詰め込むことに集中しよう。
鞄の奥の緑色の布に気がついて、つい引っ張り出してしまった。
これは、吟遊詩人にもらったポンチョだ。あの時もらった飾り玉は今も胸にかけて服の中にしまいこんでいる。
一度ガルフに見てもらったことがあった。というか、ガルフに見つかって調べられた、というのが正しいかな。
革紐の先の飾り玉を引っ張り出す。
琥珀色の石に空色の模様が描かれたそれは吟遊詩人が言ったように魔具だった。
これを身に着けている者を好ましからざる思いによって害しようとする者から持ち主を守る、という呪がかけられているのだとか。
こんな大事なもの、もらってもよかったんだろうか。
一応ガルフにはもらった時の経緯をさらっと話しはしたんだけど(といっても魔王に追いかけられたとかって話はしなかった)、もらったものは大事にしろ、としか言われなかった。
こういった物には所有権があって、前の所有者から正式に譲渡されたものでなければその効果を存分には発揮できないそうだ。
これと――あと、篭手も正式に譲渡されていて、所有権はわたしに移っているらしい。だからこそ、肌身離さずつけておくことが重要なのだと言う。
身分証の石もそうだけど、どれもわたしの魔力に馴染んでいる。もし万が一これらを無くしたとしても、わたしの魔力が残存している限りは所有権を主張できる。
魔力が抜け切ったり上書きされてしまえば、もうわたしのものではなくなる。
わたしはまた、どこのだれでもない存在に逆戻りするのだ。
それだけは困る。
それにしても、こういう魔具はどうやったら作れるんだろう。
そう思って、ガルフに一度その現場を見せてもらえないかと聞いたことがあった。
返事は否。作成するのに時間がかかることと、必要な治具を持ってないことが理由だった。その代わり、王都に着いて学院への入学手続きが済んだら、ガルフの工房を見せてもらう約束を取り付けた。
ユーティルムの魔鉱石鉱山から魔石を手に入れるのは、ユーティルムが持っていたはずの技術がない限り無理って聞いたから諦めた。
じゃあ、魔石を使って魔具が作れるようになったらそれで生活していけそうだ、と思ったんだよね。
いずれ学院を出て、勇者としてでなく独り立ちして生活するには、それぐらいの技術と技能がほしい。
どう考えたってわたしの魔法程度では、あの魔王を倒せそうにないんだもの。魔王から身を隠しつつ、生活していくには稼げなきゃ。
それに、いずれあの助けてくれた魔術師も探し出してお礼を言いたい。少なくとも、あの場所で死なずに済んだのはあの人のおかげだから。
――召喚されたこと自体への恨み言もきっとたっぷり言うと思うけど。
飾り玉を元のように服の下に隠して、ベッドの上に転がる。クロが着いて登ってきて、久々に胸の上でとぐろを巻いた。
最近は枕元の籠の中で寝てたもんね。籠は持っていかないからもう返したんだった。だからかな。
身づくろいを始めたクロの耳を触るとざりっと舐められた。久しぶりの感触、久しぶりの重さ。久しぶりのぬくもり。
胸の上で眠り始めたクロを撫でながら、わたしも釣られて眠り込んでしまった。




