19.ばいばい。
店に戻ると、アンヌは飛び出してきてわたしに抱きついてきた。
店じまいの直前に隊長に連れて行かれたまま、今日まで何の連絡もなかったのだという。隊長を問い詰めると、あまりの衝撃で連絡をすっかり忘れていたらしい。
「申し訳ない」
「本当に……王国騎士団だと思うからうちの子を預けたんじゃないか。二度目はないよ」
「ああ、分かった」
しおらしく隊長は頭を下げた。
「ところでシロ、あんたこの格好は?」
「あ、借り物なんです。あの時寝間着で連れて行かれちゃって……ガルフさん、ちょっと待っててもらえますか?」
「ああ」
「俺たちは店にいる。準備が終わったらおりてこい」
隊長の言葉にうなずいて、わたしは部屋に戻る。クロはまだつらそうだったから籠のまま連れてきたんだけど、部屋にあがる必要もないからガルフに渡してある。
部屋をぐるりと見回して、やっぱり必要なものって大してないんだなあ、と実感する。家を出る準備をしていた時とほぼ同じ作業だ。寝室の部屋に入ると、店の女の子たちがいつも通りたむろしていた。
「シロ! あんた一体どこに行ってたの。アンヌさんがすっごい心配して」
「うん、下で会った」
戸棚から必要最小限のものを取り出す。色々買ってあった小物をポーチに詰め込んでいく。可愛いと思って買ったリボンも、もういらないや。
「ねえ、レダ。これあげる」
「あら、ありがと。いいの?」
「うん。使ってね」
レダはさっそく髪の毛に編みこみ始めた。それを横目で見ながら、部屋を出る。とにかく着替えてこのローブは返さないと。
お風呂に入ってる時間、ないな……。領主様の館にいた時はガルフが浄化の魔法を使ってくれたから別に入る必要はないんだけど、なんとなく最後に入り納めをしたかったな、と思ってしまう。
外にまだ女の子達の着替えがはためいているのに気がついて、取り込む。畳みながら、これからは彼女たち、どうするんだろう、とぼんやり考えている。わたしが考えたところでどうしようもないのに。
ローブを脱いで、着替える。脱いだものもくるっとまとめて持っていくように袋に突っ込んでいく。袋……かばんがないとぽろっとこぼしたら、アンヌさんがくれたものだ。多分エティーが使ってたものなんだろう。手作りの肩掛けかばんだ。
お風呂場からシャンプーやら一式取り出して、タオルにくるんでかばんに入れたらおしまいだ。
ローブを手に、六畳間を出る。
寝室の扉に手をかけようとして、やっぱりやめた。挨拶したら根掘り葉掘り聞かれるだろう。そうでなくとも人を待たせてるんだもの、そんな時間はないよね。
「ばいばい」
ちっさく口に出して言うと、わたしは階段を降りた。
店に戻ると隊長たちとアンヌが同じテーブルに座っていた。
「アンヌさん、これ」
部屋の鍵を渡そうと差し出したら、アンヌはわたしの手を鍵ごと押し返した。
「あの部屋はあんたのもんだよ。……この街に戻ってきたら、いつでも使いな。いつでも使えるように整えておくからね。ああ、あの子たちには使わせないようにしとくよ。……あんたの優しさにつけこんでたのは勘弁してやっておくれね」
「アンヌさん、それはもういいって」
苦笑すると、アンヌはさらに革袋をわたしの手に押し付けてきた。
「これは……いただけないよ」
手触りと音でお金だと分かる。この間お給金をもらってから大して働いてない。
「馬鹿だね、あんたへの餞別もあるんだ。受け取っとくれよ」
そう言われると断れない。礼を言って押しいただくとアンヌは目の周りを赤く染め、頭をなでてやんわりと抱きしめてくれた。
「アンヌ……ありがとう。エティーによろしくね」
「ああ。……きっと泣くだろうけどね。遊びに来るぐらいは来てくれるんだろう?」
「うん、絶対来る。それとね、本当はわたし……」
アンヌにだけ聞こえるように耳元で本当の年齢を教える。アンヌは目をまん丸くしていたが、わたしは唇に人差し指を当てて微笑んだ。
「……そうかい。道理でね。色々悪かったね」
「ううん、本当に色々ありがとう……アンヌママ」
照れ隠しにアンヌに抱きつくと、彼女は向こうを向いて目を抑えた。
「さ、行きな」
わたしを隊長の方へ押して、アンヌは厨房に戻っていった。
その背を見送ってから、二人に向き直る。
「ガルフさん、これありがとうございました」
黒いローブを差し出すと、ガルフはうなずいてローブを受け取ってくれた。
「アンヌに話はしておいた」
「そうですか、分かりました。ありがとうございます」
頭を下げる。
隊長たちが王都へ帰還するのは一ヶ月後らしい。
わたしは隊長たちと一緒に王都へ行くことになった。リドリスの領主も一緒に来るらしい。
それまでは領主の館で基礎教育を受けさせられる。この街にいることには変わりないものの、自由は一切ない。
「勇者のことは誰にも言ってないだろうな?」
「はい、誰にも」
アンヌにも話してない。知られないままタダのシロとして覚えていて欲しいし、まだわたしの身分は確定したものではない。
相変わらず『王立魔術学院に入学許可されたシオン』がわたしの身分だ。
あのあと、再び領主の前に連行されたわたしは、結局自分で勇者であることを自白した。隊長の狼狽えようはやはりすごかったが、すでに話したあとだったガルフは動じずに静かに聞いていた。
領主は『証拠がない』ことを理由に、わたしの身分は他者には知らせず、この場にいる四人だけの秘密だと言い、わざわざ宣誓までさせた。だから、アンヌに秘密を教えようとしたところで、口にすることは出来ないのだ。
わたしは勇者であることを隠したまま、魔術学院に行く。
領主の――ウィレムの思惑がどこにあるのか、正直なところ掴みかねている。ユーティルムから勇者が流れてきていたこと、勇者を保護したことを隠しておくメリットがわからない。
問答無用で王都に連れていけばいいのではないか、とも思うのだけれど、絶対思惑があるに違いない。
籠の中で眠るクロをそっとなでて、わたしはため息をつく。
クロはわたしのペットとして同行を許されたそうだ。寮に入るならクロと同じ部屋にいられること。それが学院に入ることを了承したわたしの条件。これがクリアされなければ、学院へは入らないとごねた。
クロはわたしの最初の従者だもの。
わたしの側を離れちゃだめなの。
「では、そろそろ行こう。遅くなるとまた夜になってしまう」
耳をぴっと動かして、クロが頭をもたげる。
わたしはクロのあたまを一撫ですると、席を立った。




