18.夢を見ていました
眩しい光が消えて、ようやく目を開けた時、見えたものは床一面に浮かぶ黒い線と紋様だった。
玄関に立ってたはずなのに、気がつけばわたしは紋様の描かれた床に膝と手をついて四つん這いになっていた。何が起こったんだろう。確か、スポーツジムに行こうとして、玄関で靴を履いて、玄関の戸に手をかけたはずだったんだけど。
肩にかけていたはずのスポーツジム用バッグがない。どこかで落としたのかな。左手に巻いていた腕時計は、手の届かないあたりに落ちていた。
「成功か」
「はい」
遠くの方でコソコソと囁いているのが聞こえる。それほど――静かだった。いつもずっと聞こえていた耳鳴りみたいな電磁波ノイズ音が聞こえない。
そういえば、田舎に行くとこのキーンと聞こえる音が聞こえなくなるって聞いた。沖縄とか離島に行くと妙に静かなのはそのせいだって叔父さんが言ってた。じゃあ、ここはそういう田舎なのか。
体を起こしてぐるりと見回すと、ずっと離れたところにぐるりと囲むように黒い服の人が立っている。十人以上はいたと思う。
「そこの娘。こちらの言葉が分かるか?」
声が飛んできたのは右の方からだった。顔をそちらに向けると、頭までフードですっぽり覆った人が一歩進んできてもう一度同じ言葉を繰り返す。
小さくうなずくと、ざわっと声が上がってびっくりする。
「では、何か喋ってみてくれ」
同じ人の声だ。喋れと言われてもいきなり何を言えばいいんだろう。とにかく、この状況の説明がほしい。
「あの、あなた達は誰ですか? わたしはなんでここにいるんでしょう。ここ、どこですか?」
再びざわざわと声が上がった。もう一度繰り返したほうがいいのかな。同じ言葉を繰り返すと、声をかけてきたフードの人がうなずいてるのがわかった。
「うむ、きちんと言葉が聞き取れるようじゃ。意思疎通はこれで問題あるまい。さて、そこな娘よ。あまり時間がない故、手短に説明するぞい」
しゃべり方がおじいさんっぽい。
「一つ目は我らの正体、二つ目はそなたがいる理由、三つ目はこの場所について、じゃな」
確認するように片手の指を一本ずつ伸ばしながら言う。わたしは確認したのがわかるように大きくうなずいた。
「まず三つ目からじゃ。ここはユーティルム王国の秘められし神殿の召喚の間。一つ目、我々はユーティルム王アルサード王の命を受けて秘伝中の秘伝である勇者召喚術を行った魔術隊じゃ。そして二つ目。そなたは術により呼び出された勇者じゃ。……そなたの三つの問いの答えはこれで理解できたかの?」
ユー……ティルム? どこの国だっけ。ヨーロッパのちっさな国? そもそもまだ王政の国ってどれぐらいあったっけ。それに……勇者召喚術? 魔術隊? なにそれ。勇者? はぁ。
「えっと、全然わかりません……。勇者ってなんですか?」
「魔王を倒す定めの者じゃ。そなたにはこれから魔王討伐に旅立ってもらう。そのためにそなたを異界より呼び、力を与えた」
……どこのゲーム世界? わたし、こういうロールプレイングゲーム、好きじゃないのよね。一応やったことはあるし最低限の知識はあるけど、なんで勇者って言うだけで一般人の家の家探ししていいわけ? それ泥棒じゃん、と弟に突っ込んだら二度と貸してくれなくなったっけ。
それに、異界とか力とかって……子供の頃の『実はわたしは』な妄想じゃない。特別な力を持っていて、いつかどこかから呼ばれるんだって中二病全開の妄想。
「ともかく一度王城へ……」
おじいさん――って呼んでいいよね――が口を開きかけた途端、床が揺れた。すっごい揺れだった。いよいよ直下型地震が来たの? ってぐらいに。立っていられなくなって床に膝をついたぐらい。
どれぐらい揺れてただろう。
状況を把握しようとしたのだろう、黒いローブの人たちが扉から出入りしてるのが見えた。甲高い声で情報が交換されてる。
不意に、何かが飛び込んできた。――うん、何かが。
ここ――神殿って言ってたけど、外が見える窓とか明り取りの窓とかないんだ。でも、青い鳥のような形をしたそれは間違いなくどこかから飛んできて、何事かを謳った。わたしにも少しだけ聞き取れた。
『ユーティルム王国は滅亡した! 魔王が王都を破壊し尽くした!』
途端に蜂の巣をつついたような騒動になった。誰かに突き飛ばされた。ローブ姿の人たちはあっという間に扉から出ていってしまった。
「何なの……」
部屋中に浮かんでいた火の玉はすっかり消えて、窓もない真っ暗な部屋にわたし一人だけが取り残されてた。
……何なの、ほんと。異界から召喚? ここは……わたしの知っている世界じゃない?
そういえば魔法がとか言ってたような気がする。魔法なんて、わたしの世界にはない。この世界には電気もないし、非常灯もない。ノイズがないのはそのせいかもしれない。
とにかく見えてたはずの扉の方に歩こうと立ち上がった。
「大丈夫?」
不意に声が聞こえた。明かりはないけど、声と気配のようなものは感じられる。若い……ううん、少年みたいな声。声変わり前の。
「誰かいるの?」
「ごめんね、魔王がここに来て皆殺しにするって言うから皆逃げちゃって。君も早く逃げたほうがいいよ」
左手を取られた。冷たい手。
「これ、君にあげる。君を守ってくれる聖具だから、肌身離さず持っていて」
何か冷たいものが手の甲に触れた。カチリ、と音がして全身がなんだか暖かくなる。
「じゃあ、君を外に飛ばすよ。……ごめんね、時間がなくて全然説明できないけど」
「待ってっ。あの、わたし……元の世界に帰れるの?」
「それも……今は見つかってない。僕が何とかするから――」
さっきと同じような地震の揺れが襲い、わたしは床にぺったり座り込んでしまった。
床が白く光る。何か喋ってるのがとぎれとぎれに聞こえ、そのあと視界がブラックアウトした。
目を開けると、あのきらびやかな天井が目に入った。
「夢……」
「目が覚めたか」
声の方に顔を向けると、ガルフが枕元に座っていた。珍しくローブのフードを目深に被ってて、一瞬誰だかわからなかった。
「今……何時ですか?」
「お前はあの後一昼夜眠っていた。……今日はここに来て三日目の朝だ」
あの後……。
気を失う直前の緊張感と喪失感が戻ってきて、吐き気がこみ上げてきた。
驚いたガルフがたらいを持ってきてくれたけど、出てきたのは胃液だけ。喉も口も胃酸で焼け、涙がぼろぼろ溢れた。
気がつけば、ガルフは背を丸めて吐くわたしの背を落ち着くまで撫でてくれていたらしい。背中を往復する手のぬくもりを感じて、ようやく吐き気が収まった。どれだけわたしは緊張しっぱなしだったんだろう。
「もう大丈夫か?」
「うん……」
コップの水を渡してくれる。口をすすぎ、冷たい水を流し込むと、胃まで降りていくのがはっきり分かる。
桶とコップをわたしの手から取り上げると、ガルフはわたしをベッドに押し戻した。
「もう少し休んでいろ」
「あの……ずっとついててくれたの?」
ガルフの手が離れると急に寒くなった気がしてわたしは体を抱きしめた。布団の中はあたたかいはずなのに、なんでこんなに寒いんだろう。
「ああ。……仕事だからな」
そうだよね、仕事だからだよね。……きっとわたしの監視を命じられているのだろう。もう、わたしの正体を知っているんだ。
そう思うと、途端に胸がずんと重くなった。目頭が熱くなる。
「……一人にしてもらえませんか」
「すまないがそれは出来ない」
そうだよね、監視だもんね。一人にしていなくなったらガルフ、怒られるもんね。
どんどん胸が重くなる。
わたしはガルフに背を向けると体を丸め、布団に頭まで潜った。
なんでなのかわからない。でも、涙がどんどんこぼれてくる。声が聞こえないように必死で押さえていたのに、嗚咽が漏れてしまった。
何でわたしが勇者なんだろう。勇者なのに嘘をついて、目の前にいるのに知らないふりをして、皆が右往左往してるのを知っていて何も告げずにいたのはわたし。
どの面下げてガルフや隊長に会えるというのだろう。なのに、ガルフはそこにいる。
ベッドが沈んだのが分かる。ガルフが乗ってきたのだろう。
わたしをあやすように、ガルフは布団の上からわたしを撫で擦る。頭だけ布団から出すと、黒い髪を手で梳くように撫でてくれた。それだけなのに、心が凪いでいく。
「……君が勇者だなんてこと、あるはずがない」
でも、それはもう見破られた嘘なの。わたしは布団の中で首を横に振った。何か言おうとしたけど、新たな涙が湧いてくる。嗚咽にしかならなくて唇を噛みしめた。
「違うと言ってくれ。リドリス様が、リーフラム様が勘違いしているのだと」
わたしはもう一度首を横に振った。ガルフの思いやりは嬉しいし温かい。でも、もう、ダメなんだ。見つからなかったら、あのまま逃げ切るつもりだった。でも。
もそもそと体を起こすと至近距離にガルフが座っていた。髪を梳いている手を両手でそっと握ると、わたしは手に視線を落とした。
「わたしが、勇者なの」
※今回は「18.夢を見ていました」に対応する猫サイドはありません。
その代わり、吟遊詩人の日常をR18サイドでお送りします。




