閑話:吟遊詩人の日常 1
――やれやれ、やっぱりそうか。
リドリス辺境伯の調査結果を見て、クラウスはため息をついた。
いや、これぐらいは常識の範囲内の情報だったのだ。それが、幾つかの事実を抹消した結果、『何者か分からない』リドリス辺境伯という存在が出来上がった。
ウィレム・リーフ・リドリス。
◇◇◇◇
ディートルム王の治世、リドリス辺境伯はディートルムの腹違いの弟グラエルが務めていた。
二人の仲は悪くなかったと伝えられている。
その後、ディートルム崩御後はディートルムの長子ディランが王位を継いだ。
一方、ディートルムを追うようにグラエルが亡くなると、リドリス辺境伯の爵位は一時ディランが兼務することになった。
グラエルの息子たちは相次ぐ戦乱で全員死去しており、唯一残っていたのはまだ五歳にもならない孫のマジェスだけだったのだ。
ディランはマジェスが成人するまで後見人を努め、マジェスが成人すると、辺境伯の爵位を継承させた。
その後ディランが病で死去すると、王国は後継者で揉めた。
ディランには子がいなかった。相次いで隠し子が連れてこられたが、どれも偽物であった。なぜなら……ディランは病のせいで子種を保たなかったのだ。
その事実が御殿医から公表されると、直系として唯一残っていたのはマジェスだけだった。
マジェスは王位を継承した。
いずれ生まれるマジェスの子が成人した暁には辺境伯を継承させることを条件として、辺境伯も兼務しての即位だった。
王系譜によれば、現国王マジェスには王妃と五人の側室がおり、それぞれに一人ずつ子供を設けている。
だがその中にウィレムの名はない。
当時の資料には、リドリス辺境伯マジェス・レイス・リドリスの配偶者としてマチルダの名があったはずだ。だが、マジェスが王家を継ぎ、マジェス・ヴェリウス・エランドルになった時、その婚姻は抹消された。
マジェスとマチルダ――ユーティルム王国第一王女の婚姻は秘せられ、間に生まれた子もまた、秘せられた。
今回の勇者召喚を行った女王の名が出てきて、クラウスは眉をひそめる。
マチルダはユーティルム王国の女王となり、ウィレムは長子として成人するまで王族としての教育を受けたのだ。
ウィレムが召喚や王族しか知らないことを知っているもうなずける。
今ではもうユーティルム王国の王系譜は確認できないが、おそらくウィレムは長子として登録されていただろう。
今回の勇者召喚についても、母たるマチルダに協力していた可能性は十分ある。その上で、マチルダはウィレムを約束通り、エランドルに行かせたのだ。リドリス辺境伯として授爵させるために。
こうすることで、マチルダはユーティルムの長子を安全に国外に出したのだ。ユーティルムが滅亡することがあっても、ウィレムが生き残っていれば王家は復興できるから。――おそらく、そこまで計算ずくだっただろう。
マジェスは約束通り、ウィレムをリドリス辺境伯とした。この約束を知っているものはもう少なくなっていた。
故に、マジェスとマチルダをつなぐ情報が消え、ウィレムはエランドル王国では誰でもない存在になった。
辺境伯と言いながら、ほとんどの役職と権利を放棄しているのも、そのせいだろう。正体を明かせない以上、『よそ者』扱いされ、国の中枢には食い込めないのだ。
ウィレムは母の勇者召喚が成就するのを待ったのだ。――同時に母の死を呼ぶであろうその瞬間を。
「それにしてもまあ……これ、全部吟遊詩になってるじゃねえか。俺、全部歌ったことあるわ。まさか、こんなところでこんな風に繋がるとはなあ」
でも、じゃあ、館全体から感じる威圧感とかいう話はどこに繋がるのだ?
魔王が威圧されるほどの大物魔族が関わっているということか? 高級魔族ならありえなくはない。なにせ猫サイズだったわけで、当時のあいつの魔力量はほんの少しだ。対抗できる魔力量はなかったはずだ。
「リドリス辺境伯、なんか飼ってるな」
――学院潜入の準備もほぼ終わって、あとは赴任のタイミングで地上に降りるのみだ。先に辺境伯の領地をもう少し調べてみることにするか。
魔王宛の書き置きをして、クラウスは部屋から出ていった。




