16.連行されました
「着いたぞ」
乗り物酔いでぐったりしているところをぐいっと起こされる。みぞおちのむかむかが上がってきそうになって思わず口を押さえた。
「すまん、急いだせいだな。歩けるか?」
地面に降ろされたみたいだけど、左の膝がかくっと曲がって倒れ込んだ。ぐるぐる巻かれている黒いマントがクッションになったおかげで顔をこすらずに済んだけど、痛い。クロが腕の中でニャッと爪を立てた。そっちのほうが痛い。
「大丈夫か?」
どっちだろう、ガルフかな。顔にかぶさっていたマントをかき分けて、新鮮な空気が入ってくる。
ぺちぺちと何回か頬を叩かれた。ああ、目を閉じてる間に一瞬気が遠くなってたみたいだ。意識がふわっと浮いてきて、目を開けると至近距離に誰かの顔があった。
「気がついたみたいだな。ガルフ、そのまま抱き上げて連れて来てくれ」
向こうの方で声が聞こえる。じゃあ、目の前の顔はガルフの顔なんだ。暗いせいかよく見えない。
「もう少し我慢してろよ」
店を出る時は小脇に抱えられてだったけど、今度は少しは人扱いしてくれるみたいだ。お姫様抱っこ状態。ただしマントでミノムシになってるけどね。
空気が吸えたことで胸と胃のむかむかは落ち着いてきた。ゆさゆさ揺られながら目を閉じていたらやっぱりまた意識が飛んだ。
次にぺちぺちと起こされた時には天井が見えた。なんかピンク色に金細工が施された派手な天井板。どこかのお城かと思うほどだ。
「起きたか、シオン」
声の方を向くと、ガルフの顔が見えた。椅子に座ってるみたい。体を起こそうとしたけど、まだ乗り物酔いの余波が残ってる。手足が震えてるせいで体が支えきれない。それに気がついたみたいで、ガルフが慌てて立ち上がると体を起こすのを手伝ってくれて、クッションで体を支えられるようにしてくれた。
意外とこまめかもしれない、ガルフって。
「水飲むか?」
声を出そうとして、咳き込む。出されたコップを受け取ると、ゆっくり飲み干す。ああ、そういえばクロはどこに行ったんだろう。ガルフに抱っこされた時にはマントの中にいたけど。
キョロキョロと部屋の中を見回す。深いピンク色でシックにまとめられた室内にあの黒い毛並みは見えなかった。
「あの、クロは……?」
「ああ、あれならそっちの籠の中だ」
ベッドの反対側の足元に籠が置かれていた。覗き込むと、ぐったりしたクロが浅く息をしながら丸まっている。
「何があったの? クロ?」
籠を持ち上げてクロを撫でると、片目だけうっすら開けて、また閉じた。怪我はしてないみたいだけど、すごくつらそう。
「すまん、俺のせいだ」
ガルフが立ち上がって頭を下げている。
「えっ?」
「首輪に防御魔法を入れた際、主であるお前に逆らえないように縛りを入れておいたんだ。さっきここまでお前を連れてくる時に暴れて爪で引っ掻いたんだろう。倍のダメージが入っているはずだ。……申し訳ない」
猫は爪でひっかくものだし、甘噛みもするし、遊んでても本気になったら爪が出ちゃうものだもの。
「……その魔法、解除してください。クロはいままでもわたしが間違ってる時以外は爪を出したりしませんから要りません」
「わかった。あとで修正しておく」
籠から抱き上げようかと思ったけど、体に触ろうとすると噛もうとするのであきらめて撫でるだけにする。
「……気分が良くなったようなら隊長を呼ぶが、構わないか?」
「はい」
少し寒いので毛布を引っ張り上げて纏いながらうなずくと、ガルフはすぐ扉から出ていった。扉も金の装飾がすごい。一体どこだろう、ここ。普通の館じゃないよね。ベッドもすごく大きいし、毛布もいい匂いがする。こっちの世界で初めて見た、お金持ちの家。
すぐ隊長が入ってきた。椅子を引っ張って枕元に揃えると二人は腰を降ろしてこっちを見た。
「手荒な真似をしてすまない。もう大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「では、話を聞かせてくれ。ガルフ、お前が彼女から聞いた話を順に話してくれるか」
魔法使いはうなずくと、わたしと会話していた内容をほぼそのまま再現した。魔王の話、倒し方、それと勇者の噂。
「勇者が歓迎されない存在、と言ったのだな? 確かに」
リーフラムの鋭い目がわたしを射抜くように見ている。
「はい。……ユーティルムが滅亡したのは勇者を召喚したせいだって……。この前魔王が姿を表したのも勇者を探してのことじゃないかって」
「それ、誰から聞いた?」
「えっと……」
誰からだっただろう。ユーティルムの滅亡の話はアンヌから聞いた。魔王が勇者を探しているって話は、店の子たちの誰かが噂していたんじゃなかったかな。それか、店で誰かが喋ってるのを聞いたか。記憶がはっきりしない。わたしは首を振った。
「はっきり覚えていません。……お店で誰かが喋っているのを聞いたのかも」
「そうか……。噂の出処が知りたかったんだが、残念だ。それにしても、なぜそんな噂が? ユーティルムで召喚された勇者をどの国も探し回っているのは事実だが、それは魔王の機嫌取りに勇者を殺すためなんかじゃない。魔王討伐を依頼するためだ」
そうなの……? わたしの考え違いだろうか。でも、アンヌは魔王を刺激したからユーティルムが潰されたのだと言っていた。魔術師たちも魔王に殺される、とあっという間に逃げていった。あの後あの人たちがどうなったのかは知らない。でも……。
思い出して左手の篭手を擦る。これをくれた人の声はこの間、王都で聞いた気がした。きっとあの人は生きている。わたしを助けてくれたんだから、間違いない。
「それに、ユーティルム王国が勇者召喚に踏み切ったのは、他国の強力なバックアップを得てからだ。市井ではユーティルム王は無謀にも魔王に楯突くべく勇者を召喚した愚王だと言われているが、本当は違う。ユーティルム王は国ごと潰される危険を承知の上で、勇者の召喚を行ったのだ。我が国も含めて召喚に協力した国が、勇者を蔑ろにするはずがない」
「隊長、それ以上は機密事項に触れますので」
怒りを交えながら熱く語るリーフラムをガルフが押し留める。
彼の言葉を信じていいのだろうか。
でも、そうだとしたら、ユーティルム王は、前世の父と同じ轍を踏んだことになる。なぜ? 勇者を呼ぶことに何の意味があるの?
「今のところどこからも勇者が死んだという噂は出ていない。……一縷の望みにかけるか。ともかく、話してくれて助かった。お詫びと言ってはなんだが、今日はこのまま泊まっていってくれ。明日の朝、店まで送ろう」
リーフラムはそう言うと手を差し出してきた。握手、ということだろうか。おずおずと手を出すと、隊長は軽く握り返して部屋を出ていった。
「そういえば、晩ごはんはまだだったよな? 何か持ってこよう。大したものはないけどな」
ガルフもそう言って出ていった。くぅ、とお腹が小さく鳴る。そんなことより店まで送ってくれれば問題解決なのに、と思っても口には出さなかった。
こんなベッドで寝られるだけでもありがたい。柔らかいマットに体をぽふんと横たえると、あっという間に眠りに落ちてしまった。
次に目が覚めた時は、明かりは落とされていたが部屋の中は真っ暗じゃなかった。ベッドサイドの燭台に火をつけると、ワゴンが側に置いてあった。きっとガルフが食事を置いていったのだろう。
ベッドから降りるとワゴンの覆いを外してみる。冷めても食べられるように考えてくれたらしい。クラッカーとジャム、ミートパイとそれからポット入りのレモン水。
空きっ腹にはどれも美味だった。夕食というよりは夜食のボリュームだけど、ぺろりと平らげてもまだ入る。お昼からずっと食べてなかったんだから当然かな。
ワゴンを入り口の方に戻そうと思って動かそうとしたら、メッセージカードがひらっと落ちた。やっぱりガルフだったみたい。
『寝てたので置いておく。学院入りの件、真剣に考えてみてくれ』
真面目な人だなあ。ついつい顔が笑ってしまう。
しかし、もし勇者の噂が違うのなら――。魔王に見つかる前に保護してもらったほうがいいんだろうか。でも、勇者が保護されたなんて情報、絶対すぐ人の口に昇る。結果、魔王にはすぐ伝わる。
その時、魔王はやっぱり保護してくれた国を、街を破壊するんだろうか。勇者を殺すために。
……やっぱり名乗り出ない方がいい。
うん、知らないことにしよう。これがわたしの結論。
誰もいないところに行こう。それなら、魔王が来たとしても周りに被害は少ないよね。
王国騎士団が王都に戻ったら、そっと出ていくことにしよう。それまでは、今まで通りにしよう。
ユーティルムの王がどれだけの思いを込めて勇者を呼び出したのか知らない。でも……ユーティルムの国民の多くを道連れにしていい話じゃないはずだ。
ブランシュも、自分の身一つで片がつくならそれでよかったのに。勇者なんて呼ばなければ、国は滅ばなかったのに。
なんで――なんで父様と同じことをしたの……?
ぽろりと涙が溢れる。
あの時呼び出された勇者は、今のわたしと同じだ。どれだけの命を背負わされたのだろう。異世界から呼び出されて、今のわたしのようにひとりぼっちで。逃げるとか死ぬとかいう選択肢を与えられず、魔王と戦うことを強制されて。
どれだけひどいことをしたんだろう。その報いが今なのかもしれない。
でも。
わたしには――できない。魂を喰らわれる恐怖に心を削られながら魔王に立ち向かうなんて。それくらいなら……死んだほうがマシだ。
ざり、と指先を舐められて目をやると、クロが指先に落ちた涙をなめていた。ヨロヨロの体で、ベッドから降りてここまで来たんだ。
「クロ……ごめんね」
何に謝ってるんだろう、わたし。でも、謝る言葉しか出てこない。わたしは多くの命の上に召喚されたのに、彼らの命を踏みにじってしまう。無駄死にさせてしまう。
わたしはそんなに強くないの。
床にぺたりと座り込んだまま、クロを抱きしめてしばらく泣いていた。
――扉のすぐ向こうにガルフが座ってたなんて知らずに。




