12.なんだかクロが大変です 2
本日は二話同時更新です。
12.なんだかクロが大変です 1を未読のかたはそちらからお読みください。
下に降りると、店の中はいやに静まり返っていた。店の女の子達は厨房の中にいて、降りてきたわたしを労るように背中をさすってくれる。言葉はない。というか、音を立てるのがはばかられるほどの静寂だ。
厨房から店に出ると、アンヌが振り返った。
「シロ、大丈夫?」
ようやく音が聞こえてちょっとだけ緊張が解ける。
「はい」
「隊長さん、おまたせして悪かったね。その子の飼い主だよ」
ぽん、と背中を押されて、静まり返った店の中を歩く。周りに立つ兵士たちは傭兵なのだろう。動物たちも羽ばたき一つさせずにじっと凍りついている。
テーブルの先に騎士らしき鎧をつけた人物が一人、立ち上がっている。おそらくこれが隊長なのだろう。
「病気で伏せていたと聞いた。ご足労かけて申し訳ない」
「あ、いえ」
色の白い子供だとかそういうことを全部すっ飛ばして、隊長はわたしを大人と同じように扱ってくれた。隊長の前の席に座るように示されて、わたしはしぶしぶ腰を下ろす。
「あの……クロは」
「そのことなのですが……連れてこい」
後ろに控えている兵士たちに合図すると、がちゃがちゃと音を立てて兵士がやってきた。その手には、ぐったりとしたクロが載っている。
「クロ!」
わたしの声に片耳だけぴくっと揺れる。手を伸ばそうとしたが、隊長の手がそれを制した。
「クロに何をしたの?!」
「その前に……名前を教えてはいただけないだろうか。わたしは王国騎士団 第三隊隊長のリーフラムと申す」
その前にも何も、クロが苦しんでるのに名前なんて、と思ったのに、隊長の威圧的な物言いに負けて仕方なく口を開いた。
「シロ」
「シロ殿。この猫――いや、魔物とはどういう関係だ? あなたの使い魔ではないだろうな」
わたしは隊長の言葉に耳を疑った。
使い魔? 魔物? 何言ってるの。クロはただの黒猫じゃないの。わたしが召喚されてから今まで、ずっと一緒にいてくれただけの、野良猫。
「クロは猫です。わたしはクロと一緒に生活してるだけで」
「馬鹿を言うな。これだけ禍々しい物を、見過ごすはずがなかろう」
後ろから声が飛ぶ。振り返ると、ローブをまとった魔術師が立ち上がって怒りの形相を浮かべている。
禍々しい? そんなはずない。
「いつから一緒に?」
隊長は背後の声を無視して話を続けた。
「えっと……二ヶ月ぐらい前」
「どこで」
「森の中で」
「どこの森です?」
「……わからないです。街の近くの森でした」
「では、どうしてそんなところにあなたは行ったんですか?」
ぴくりと体がこわばるのが分かる。……返答には気をつけなきゃ。
「迷い込んだんです。……わたし、方向音痴で」
「そうか。時に、親御さんはどちらに? この街に一人で来たのですか?」
親。その言葉にわたしは心を乱された。思い出したくなかったのに。……戻れない恐怖と共に心が塗りつぶされていく。父さん、母さん……。
「う……ふぅ……」
口にしようとした言葉が全て嗚咽に変わった。涙が止めどもなく落ちていく。背中を丸め、わたしは泣いた。
「悪かった」
頭を下げるリーフラム隊長に、わたしは気まずい思いで首を横に振った。
「ユーティルムの戦災孤児であったか。……本当に申し訳なかった」
周りの兵士や魔術師たちも罰が悪そうに頭を下げる。
ユーティルムの戦災孤児、という部分はわたしが言ったわけじゃない。ただ、この街に隣接している森からやってきて、親を亡くして泣く子供とくれば、この街にいるほとんどがユーティルムで焼け出された戦災孤児なのだ。
勘違いなのだが、ありがたく勘違いされておこう。
「では、このクロは」
「森で迷ってる時に出会ったんです。それからずっと一緒にいてくれて……」
「ふむ。……使い魔などではないということか」
「その子はどうもあの『ユーティルムの大災厄』以前の記憶がないんだよ。魔法も覚えてなかったし、自分のことも覚えてないし」
いつの間にか遠巻きに見ていただけのアンヌがそばに立っていた。どうもわたしが泣き出したあたりで兵士たちがアンヌに頼ったらしい。
「ああ、よほど怖い思いをしたんだね。魔力量は申し分ないのにもったいない……」
そこまで言って、リーフラム隊長は言葉を切った。気になって顔を上げると、隊長は眉根を寄せてなにか考え込んでいる。
「おい、ガルフ」
「なんでしょう、隊長」
後ろからのそっと黒いローブの魔術師がやってきて隊長の前に進み出る。
「この子の魔力量、測定してくれないか。もしかしたらお前より潜在能力は高いかもしれん」
「えっ」
思わず声が出た。いや、それはまずい。もしかしなくてもわたしの魔力量は高いはずだ。勇者のチートのせいで。それ以外に何も特徴がなく、必殺技的なものも持ってないけど、バレたら色々とまずい。
「ですが、隊長、あれは十歳以上でないと」
ガルフと呼ばれた魔術師の言葉に、わたしは安堵すると共に怒りが湧いてきた。一体わたしは何歳に見えるのだろう。
「いや、十歳は過ぎているだろう。でなければ店のバイトなどできるはずもないだろう?」
隊長はアンヌを見上げる。釣られて見上げると、アンヌは意味有りげに微笑んだ。
「うちは真っ当な商売が売りだから違法な児童労働なんかさせちゃいないよ」
「いやしかし、どこからどう見てもまだ……」
「いいからやってくれ。というかあなたは何歳なんだ、シロ殿」
「ああ、それも忘れてるみたいなんだよね。うちの十歳になる子と同じサイズだから十歳だと思うけど」
ね? とアンヌがウインクしてくれる。
「はい……」
「じゃあ問題ないだろう? ガルフ」
「……分かりました。でも道具がありませんから、明日でいいですか?」
「いや、すぐ取りに戻ってくれ」
「分かりました」
チッと舌打ちしたのが聞こえた。ガルフはそのまま呪文を詠唱して消えた。
「あの、クロをどうするつもりなんですか?」
すっかり忘れ去られて、兵士の腕の中でしおれたままのクロに目をやる。隊長も思い出したようにクロの方を見た。
「これが魔性の生物であることは間違いない。これを知らずにあなたが飼っていたというのが信じられないのです。確かに強い魔獣を手に入れるべく、我々は魔獣と契約し、力を行使する。この猫――クロといったか――は、契約する程の魔獣ではないが、従わせようとすれば契約するのが一般的だ。なのに、あなたに契約もなしに従っている」
クロが魔獣……そうなのか。ああ、だからどこに行っても夜になったらわたしのところに来てくれていたのか。
「クロは……契約獣でもないですしペットでもないです。わたしの唯一の仲間……家族、だから」
「そうか……悪かったな。こういう魔獣が契約も隷属紋もなしに街を歩いていると、我々としては駆逐せざるを得んのだ。できれば契約か、隷属紋を刻んで欲しかったのだが、家族にそういう無体はできまいな」
リーフラム隊長はそう言うとわたしの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「はい……したくありません」
「隊長、こういうのはどうでしょう。最近王都で流行っているやり方ですが、飾り紐に飼い主の魔力を通しておくんです。そうすれば、誰の持ち物かを判別出来ます。また、何かがあった場合の防御魔法を練りこんでおけば、不意の事故や攻撃にも耐えられるようになります」
後ろから声が飛んだ。さっきの魔術師とは別の魔術師のようだ。
「ふむ、それがいいだろう。飾り紐は手持ちがあるか?」
「あ、はい。髪を縛るようなものであれば、あります」
以前雑貨屋に行った時に幾つか買ったのだ。こっちの世界には髪ゴムはないし、飾り紐やリボン、バレッタなどで留めるのが一般的だ。バレッタは銀細工で宝飾品だからわたしの手には届かない。リボンよりは飾り紐の方が使いやすいかな、と思ったのだ。
「ああ、あなたが普段身に着けている飾り紐なら十分魔力が写っているかも知れませんね。今使っているのを見せてもらっても?」
「はい、どうぞ」
髪を縛っていた飾り紐を解いて渡す。今日のはオレンジ色と白の二色取りで鮮やかだ。解いたせいで顔にかかってくる黒髪を背中に流す。
後ろで何やらざわざわ喋っているようだが、意味のある音は聞き取れなかった。
「ああ、これなら十分でしょう。防御魔法は練り込めますか?」
「はい」
返された飾り紐を握って、クロをじっと見ながらイメージを組み立てる。何かに攻撃されても全てを跳ね返す透明なシールドが全方位に出現するように。
「ん? 呪文は思い出せますか?」
リーフラム隊長に言われて、はっと顔を上げる。そういえば無詠唱のチートを無意識のうちに使っていた。というか、無詠唱と構築不要のチートがなきゃ、魔法なんか使えない。
「えっと……多分」
「隊長さん、この子はまだ魔法入門書をやり始めたばかりなんだ。無理に決まってるだろう?」
「ああ、そうか。そうでしたね。じゃあ、ガルフが戻ってきたら防御魔法を入れてもらうようにしましょう」
「他の魔術師じゃだめなんでしょうか?」
恐る恐る声をかける。なんとなくガルフという人は警戒したほうがいい、と直感が告げているのだ。
「ああ、彼ぐらいでないと、あなたの流し込んだ魔力を上書きしてしまうんですよ。ガルフは魔具の優れた作り手なので、他人の魔力を上書きせずに魔法をねりこめるんです」
「そうですか」
「とりあえずはあなたの魔力を込めた飾り紐を括っておきましょう。これで誰のものでもない魔獣だという誤解は解けますから」
「ありがとうございます」
隊長はわたしの手から飾り紐を取り上げ、ぐったりするクロの首に飾り紐を括りつけた。
「ガルフに防御魔法を入れてもらったら、飾り紐が外れないように術をかけてもらっておきますから」
「はい、分かりました」
首の飾り紐が外れてしまったらまた野良の魔獣に逆戻り、ということだ。
「では、ガルフが戻ってくるまで少し休憩にしましょう。女将さん、シロ殿に何か温かい物をお願いしてもいいでしょうか?」
「はいよ。他の人たちも注文あったらどうぞ」
周りが途端にわっと賑やかに戻る。わたしはようやく体の緊張を解いて背もたれに寄りかかった。緊張してたのがよく分かる。肩がものすごく凝っている。
「シロ殿、病み上がりに申し訳ありません。辛いようでしたら準備が済むまで休んで頂いてかまいませんよ?」
リーフラム隊長の言葉にわたしは首を振った。
「大丈夫です。いつも店が終わる時間まで給仕で走り回ってますから」
なんとか微笑みを作ると、隊長もホッとしたように表情をゆるめた。厳しい顔の人かと思っていたけれど、こういう顔もするのだ、となんとなく納得する。
アンヌの持ってきてくれた野菜スープは、やっぱり心が安らぐ味だった。




