8.変なところに連れ込まれました
本日二話目です。
7.吟遊詩人に出会いました が未読の方はそちらからお読みください。
予定通り屋台で串焼きにかぶりつく。まかないの方が美味しいなんて文句はいわない。今日はなんとなく、彼女たちから離れていたかった。
一本ぺろりと平らげて、ジュースを飲み干すと屋台を出る。喫茶店みたいなところもあるんだけど、やっぱり一人で入るのは敷居が高い。なによりこの形では多くの店で入店お断りされる。
これが、一ヶ月――バイトを始めてからは一ヶ月半だけど――この街で暮らしてきて分かった事実。買い物に行くのに彼女たちがついてきてくれるのは、実は故なきことじゃない。
他民族で、わたしのように背が低かったり色が白かったりする種族はあるらしい。でも、この国の近くで見かけることは滅多にない。
彼らに比べれば明らかに未成年と思われるサイズのわたしは、ほぼ間違いなく十歳の子供と思われて、門前払いを食らうのだ。喫茶店だろうが雑貨屋だろうが。
だから、わたしが利用できるのはせいぜいがとこ、広場の屋台ぐらい。それ以外に入りたければ保護者同伴でなければ無理なのだ。
どうやっても成人女性に見られない世界で、わたしはどう生き抜けばいいのだろう。
「へ〜え、こんなところで勇者発見とは」
広場の他の屋台を探そうと歩いてた時、不意に声が耳に飛び込んできた。
ぎくっとして足を止めたのがまずかった。そうだよね、わたしに語りかけたわけじゃないのかもしれないのに、反応する理由なんかなかったのに。
声の主を探そうと振り返ったけど、誰もいない。気のせい? 空耳?
うん、そうに違いない、と前を向いた途端、目の前に緑色のポンチョが見えた。
さっき人の輪の中で歌っていた、あの吟遊詩人が立っていた。歌っていた時にはかぶっていなかった、緑色の帽子をちょこんと頭に乗せ、人好きのしそうなとろける笑みを浮かべて。その手はなぜかわたしの顎をとらえている。
「あああああああの」
言葉がまともに出てこない。頭に血が上ってるのがはっきり分かる。驚きと見惚れたのとできっと顔は真っ赤になっているだろう。
彼の手がふいに額に触れた。そっと前髪をかき分けるみたいに、すっと横一文字に指が走る。
「しかも面白いオプション付きだねえ」
オプション? なんのことだろう。
それよりも周りの視線が痛いです。超絶美形なおにーさんが未成年まるだしのわたしに秋波送ってるように見えるはずだもん。
「ななななんの話、で」
「んー、君が勇者っ……」
前かがみになってて近いところにあった吟遊詩人の口に手を当てて塞いだ。ああもう、これで完全に肯定したことになる。でも、人の目のあるところでそんな危険なキーワード、口にされたらそれこそわたしは終わりだ。
彼はそのまましばらく身動きしなかったが、不意に目を細めた。
手のひらがなんだかくすぐったい。なんだか暖かいし、しめっぽいし。
「君、意外と積極的だねえ。思わず襲いたくなるよ」
手のひらの中でモゴモゴとつぶやき、またぬるりとした感触が手のひらを襲う。手のひらを……舐めてる?
「やっ……!」
慌てて手を引っ込めようとすると逆に手首を掴まれた。
「逃げなくてもいいでしょう? せっかく君のほうから誘ってくれたのに」
周りから嬌声が上がってるのが分かる。こんな気障なセリフ、超絶美形でなきゃ似合わないわっ! わたしでさえ腰に来る。
ちなみに手のひらは再び唇を寄せられ、ぺろりと舐められている。くすぐったくて仕方がない上に、恥ずかしい。
「お嬢さん、お茶でもしませんか?」
「わ、わたしはお嬢さんじゃっ……」
「あれ、違いました? おかしいなあ。私の読みは外れないんですが。まあいいや。君、お茶しない?」
「手っ……離してくださいっ」
目を伏せてわたしの手を蹂躙していた吟遊詩人はちらりと目を開けてわたしを見た。鋭い猟犬の目だ。徐々に顔を近づけて、彼は耳元で囁いた。
「離しても逃げないと約束するなら。まあ、逃げたら君のこと、勇者だって触れ回るけど、いい?」
「わか、りましたからっ、逃げ、ませんからっ!」
本能的に彼から逃げる選択をしたかった。のに、なんでこうなるのよっ。
「約束ですよ」
そう言ってもう一度手の甲にキスを落とし、ようやく私の手を解放してくれた。
「じゃあ、行きましょうか。この先にわたしの行きつけがありますから」
手は解放されたが、すかさず肩に手を回される。しかも周りには野次馬の山。なんでみんな見てるんだよっ! ……これじゃ逃げられないじゃないかっ。
「逃げたらわかってますよね?」
耳のそばでまた囁かれる。腰に来る声……この人本気だ。
わたしはこくこくうなずく以外、何もできなかった。
「ここ、いいでしょう。道からすこし外れてて隠れ家的なお店でね。こうやって布で仕切られてるから周りに見られることもないし」
目の前に座る吟遊詩人はにこにこと店について説明してくれる。わたしは居心地悪く、周りを見回すふりをしながらどうやってここから逃げようかと思案を巡らせる。
「よく逢引に使われるんだよね。何を見ても何を聞いても口外しないっていうのが暗黙のルールだから、心配しなくていいよ」
何を心配しろというのだろう。ああ、わたしの話が漏れること、か。とにかくなんとかごまかしてここから逃げなくては。
店員がドリンクを置いていく。何のドリンクだろう。注文した記憶はないけれど、吟遊詩人はわたしの手にそれを押し付けてくる。
「あの、わたし頼んでませんけど」
「これはウェルカムドリンクだから。気にしないで飲んで」
そう言って微笑む彼の表情が微妙に嘘くさいのはなんでだろう。挿してあるあるストローに口をつけ、ほんの少しだけ舐める。なんだかしょっぱい。美味しくない。
これ、目の前の相手にぶっかけて慌ててる間に逃げるとかできないだろうか。
頭の中でシミュレートしてみる。
……ダメだ、多分すぐ捕まる。この人、最初に声かけられた時も気配を消してた。普通の人じゃない。
「うん、逃げようとしても無駄だよ」
なんでかわたしの考えてることを見透かして来る。そんなに顔に出てるだろうか。
「で、なんで隣国の勇者がこんなところにいるのか、聞いてもいいかな?」
「……知らない」
「知らないわけ、ないでしょう? あれだけ噂になってるんだ。それがなんでこんなところをぶらついてるのか」
「知らない」
「あのねえ……」
「知らないったら知らない!」
思わず声を荒げてた。わたしだって知らないんだ。こんなところに呼び出された挙句、何も教えてもらえず、何も与えられず、放置されてきたんだから。
「あの……君、落ち着いて?」
「あなた、何なの? 勇者なんて知らない! わたしは帰りたいだけ!」
そう言い切った途端、色々押し込めてきた感情が一気にこみ上げてきた。涙が溢れて止まらない。
「うあちゃー、ごめん。ごめんなさい。だから、落ち着いてっ」
何かが顔に当てられる。柔らかい感触のそれを掴んで顔を覆い、涙を拭った。
初めてだった。
こっちに来て元の世界について、考えるのをずっと拒んできた。そうしないと立っていられなくなるから。帰るために努力する。そのためにはどうやってでも生き抜くことが最優先。それ以外のことなんて全部頭の隅に押し込めてきたのに。
声が漏れた。それがきっかけだったみたいで、わたしは年甲斐もなく声を上げて泣き続けた。