7.吟遊詩人に出会いました
住み込みになってからもう一月が経っていた。
十日に一度、アンヌは休みをくれる。ほかの子と被らないように順繰りに取るんだけれど、わたしの部屋は仕事の日でも休みの日でもみんなのたまり場になっている。
最近は下の鍵を閉めていても入ってるみたい。やっぱり、合鍵作られちゃったか、ピッキングでもされたのかなぁ。
そう思ってちらっとそんなことをほのめかしたところ、
「ああ、それ。魔法で解錠してますの」
としれっとアミリに言われてしまった。アミリ、犯罪スキルだよそれ。
「でも、この部屋を借りるとき、必ず下の鍵をかけるようにって言われてるんです」
「変ですわね。普通の家なら魔法で鍵の開け閉めをしますから、わざわざこういった金属の鍵は作りませんのよ?」
わたしの差し出した鍵を見ながらアミリは首を傾げている。プラチナブロンドのふわふわ髪なアミリはどうもどこかの貴族のお嬢様か、豪商の娘なんじゃないかなと思うほどに物腰が優雅だ。
「一応聞いてもいい? みんなの家の鍵って、解錠スキルがあれば誰でも入れる?」
「いいえ? 私の家の鍵を開けられるのは、許可された家の者だけです。でないと誰でも入り放題じゃありませんか」
「だよねえ……。じゃあ、なんでこの部屋の鍵は誰でも開けられるわけ?」
「そういやそうよね。普通はその鍵でしか開かないように魔法がかけてあってもおかしくないよ」
レダが手元の本から顔を上げずに答える。レダ、意外と本好きなんだ。
「もともとこの部屋を使ってたのってアンヌさんですわよね? 比較的初歩の解錠魔法が使えないとは思えませんし、もしかすると魔法が使えない方が住んでいたのかもしれませんわね」
「魔法が使えない……」
それって一月前のわたしだ。アンヌから魔法の入門書をもらったおかげで、いろいろな魔法を習得中。ただ、実践しないと身につかなさそうで、一度も使ったことがない魔法がほとんどだ。虹をかける魔法とか迷惑掛かりそうでない魔法はいいけれど、穴を掘る魔法とか、裏庭を荒らすことになるし。
「まあ、憶測ですわよ。人に貸す前提でこういう鍵になってるのかもしれませんしね」
それはありえそう。でも、鍵の複製とかされたらアウトだよね。って、解錠魔法が使えれば誰でも開けられるんじゃ、鍵の複製自体が要らないのか。
「気になるならご自身で魔法をかければよいのですわ。その鍵以外で開けられなくなるように」
「えっと、そういうこともできるの?」
「……少し高位魔法ですから、シロには無理ですわね」
アミリの言葉にがっくりと肩を落とす。まだ初級にも行ってないわたしが覚えられるのは先の話だ。魔法使いを雇ってやってもらうほどの金もない。
そういえば、一ヶ月の間に女の子達からは『シロ』と呼ばれることになってました。どこまでいっても子供扱いです。まあ、そのほうがありがたいけど、普通に考えたら唯一の男の子の下宿先に八人も九人も女の子が押しかけてるのは世間的にどうなんだろう。
「洗濯してくる」
広い部屋を占拠している六人に言って、六畳間に移動する。最近はみんな、階段上がってまっすぐ二十畳の部屋に入る。六畳間にいるわたしには声もかけない。トイレとキッチンを使う時ぐらいか、こっちに顔出すのって。
わたしの場合、洗濯イコール風呂なんだけど、この状態で一人で風呂浴びてたりしたらまず間違いなく覗かれる。性別偽ってるのがバレる。だから、最近は素直に洗濯だけしている。
一ヶ月の間に若干服が増えた。といってもアンヌがエティーちゃんのお下がりを――新品同様の――くれたおかげだ。下着とブラの替えはまだ手に入れてない。
一度、衣料品店に行ったけど、ついてる値段に目を回して店を出たのは言うまでもない。うん、あんな金額、一生かかっても手に入れられないんじゃないかな……。
昼間の休みが終わったのだろう、ドタドタと階段を降りていく足音にわたしは目を覚ました。
洗濯して、キッチンの掃除して、少し横になってる間に寝てしまっていたらしい。
扉を開けて顔を出すと、下の扉が閉まる瞬間だった。最近は声もかけてくれない。うん、やっぱりここを借りたのは間違いだったかも。
隣の部屋に行って、その惨状に頭を抱えながら掃除をする。
あの子たち、悪い子じゃないと思うんだけど、散らかすだけ散らかして帰るんだよね。部屋の掃除をしたりベッドのシーツを洗ったりしてるの、わたしだってわかってるのかなあ。
どこまで行ってもパシリなんだなぁ、わたし。
元の世界での記憶が浮上しかけて、あわててわたしは首を振った。思い出したって仕方がない。今はそんなセンチメンタルに浸ってる場合じゃないんだ。
ちゃんと働いて、お金を貯めて、いつか魔法使いに会いに行く。――それが今のところのわたしの目標。
ちょっと……いやかなりお金を無駄に使ってる気はするけど、もしここから離れるとしても、きっと無駄にはならない品物ばかり選んでいる。
広い部屋の方を片付け終えて、ベランダにシーツを干す。今日は雨が降らないってアンヌが言ってたから、それを信じることにする。
ついでに久しぶりにベランダで風に吹かれることにした。休みに部屋の中でゴロゴロしてるのも悪くはないけど、外でぼんやりするのも嫌いじゃない。近くに池のある公園でもあったらベンチでずっとぼーっとしてたいんだけどな。
店の料理のいい匂いが上ってくる。そういえば今日はまだ食事してない。休みの食事はまかないじゃないから、店で食べるなら社員割引な値段だけどちゃんとお代は取られる。それくらいなら他所の店を食べ歩いてみようと思ってるんだけど、なかなか機会がなかった。
今日は出かけてみよう。ちょうど女の子達もいなくなったし、一人でぶらつきたいときもある。彼女たち、悪気はないんだろうけど、いつでも誰かがひっついてくるのって、実は余り好きじゃない。
クロぐらいのがちょうどいいんだ。
そうだ、クロは今日はどこに行ってるのだろう。わたしが休みの時は看板猫も休みだから、好きに遊んでるに違いない。
財布を握って下の鍵をかけて、わたしはお出かけすることにした。
街をぶらぶら練り歩いた。女の子達に教えてもらった店を覗きながらぶらぶらと。ランチタイムはとうに終わってて、一時閉店するお店も少なくない。仕方がないから広場近くの屋台にしようとそっちに足を向けた時だった。
透明な歌声と評すればよいだろうか。
心に染み入る声がわたしの心を揺らした。なんだろう、すごくドキドキする。
声のする方に足を向ける。
何の歌かはきちんと聞き取れなかった。でも、震える声や切ないリュートの音色に、心を全部持っていかれる。
大勢の人が立ち止まっている輪の中心に、人が腰を降ろしていた。背中まで流れる金の滝のような髪を銀の輪で留め、異国風の上掛けで上半身を隠したその人は男なのか女なのか、分からなかった。
これはいわゆる吟遊詩人だ。……本物の。
小説でしか見たことのない存在が目の前にいる。
歌っているのは悲恋の歌なのだろう。周りでもハンカチを取り出して涙ぐむ人がちらほらいる。
吟遊詩人が不意に顔を上げた。何かを見つけたのかと思って手元を見ていた視線を上げると、なぜかバッチリ視線があった。
明るい海のような緑色。ううん、若草色。目の前に青々と茂る草原が見えた気がした。
吟遊詩人はわたしを見て、それからほんの少し笑った。そのほんの一瞬だけで、わたしは心を鷲掴みにされた気分で立ち尽くしていた。
なんだろう、この思い。懐かしいような、切ないような……。
歌に引きずられているだけかな。
一曲終わったところで拍手を受けながら吟遊詩人は立ち上がり、優雅に礼をした。何か口上を述べてるみたいだけど、周りの人たちの嬌声でよく聞き取れなかった。声はやっぱり男の人みたいだ。
女性たちが駆け寄ってもみくちゃになってるのを見ながら、わたしは胸を押さえて踵を返した。
なんだかわからないものがわたしを不安にさせる。きっとこれは歌のせいなのだ、と思いながら、理由の分からない不安をなかったことにした。