G-夜明けへと
裏切りによって僕らは絶体絶命の危機に陥る。だが、僕に隠された能力が花開き、かろうじて最悪を免れる僕達。だがもう、この街には包囲網が敷かれていた。秒ヶ崎の陰謀は、緩まることなく僕らの首を締める。この状況で、真一郎がやらねばならないこと。そのたった一つの苦しい決断とは。
――古い過去の記憶だ。
「これは酷い」
隠されるようにして建てられた、暗い街角のビルの一室に、二人はいた。
壁も床も窓も。全てが朱に染まっていた。
血に塗れた部屋を見て、全夜は顔を顰める。
「ああ。俺らのシマで人身売買なんてやってるバカがいると聞いてみれば」
御代木は咥えていた煙草を床に投げ捨てた。
「F級市民犯罪……なんてもんじゃなかった。大量虐殺。皆殺しじゃねえか」
「いや、待って下さい。あそこにまだ生きてる奴が」
全夜が指さした先には、死体の山があった。
粗末な服を着せられた少年や少女、またはサングラスをかけた屈強な男達が重なりあう中で、彼女は泣いていた。
「おいお前、大丈夫か!」
その子に駆け寄ろうとする全夜だったが――思わず立ち止まった。
異常だったのだ。
「ハハ……アハハハハハハハ! 死んじゃった! ねえねえ! みんな死んじゃった! アハハハハHAHAha!」
「こいつ……?」
「気を付けろ全夜! ……もしかして」
「ハハハハハハクスリ……あいつらがクスリ飲ませてシンちゃんが暴れだして……だから痛いくらいに力溢れて溢れて殺したくて殺したくて分からなくて分からなくてウヒヒヒヒヒヒいひひヒヒヒ日出h」
御代木は床に目をやった。
点々といろんな種類のドラッグが散乱しているのが見えた。
「商品」をクスリ漬けにして、従順な家畜とする――最悪な種類の人身売買だったらしい。
それも、相当粗悪なドラッグばかりだ。躁鬱の幅が大きくなり、身体より先に精神が耐えられない。
――その粗悪なクスリの中に。もしも、アレが混じっていたら。
「赤いのをね」
少女は。
ゆらりと立ち上がった。
「赤い、赤いクスリを飲んだら……力が手に入るって。私が気付いて。だからみんなに、必死に説明したんだけど、逃げられるかもしれないって言ったんだけど、全然分かって貰えなくて、むしろ怒られちゃって、そんな時でも慰めてくれるのはシンちゃんだった。だから」
室内の死体が一斉に蠢いた。
枯木を踏みしめたような不快な音が響く。
「私がなんとかするしかないって思って。だからこっそり赤いのを集めて食べて飲んであいつら殺して殺して頃して枯蘆して弧ろしテ。これで帰れるって。……なのにさ」
少女の目から。
涙が流れた。
「私シンちゃんも殺しちゃった」
死体の肉の中から骨が飛び出した。
少女を護るように、鋭い先端を二人に向けて、ふらふらと空中を漂っている。
「最悪……【A-ドラッグ】だ」
――それは、いつからか「裏」に流入した謎のクスリ。その赤く染まった錠剤は、成分だけ取り出せばそこいらの麻薬と大して変わりはない。
だが不思議なことに【A】の中毒性は異様に高く、服用者曰く「脳天が痺れて吹っ飛ぶよう」なのだという。
彼らはクスリを渇望してやまなくなり、脳みそがに穴だらけになり壊れても飲み続ける。
更に問題なのが、純度の高い【A】は超能力を授けてしまうことにあり――
目覚めてしまった廃人は、もう処分するしかない。
舌打ちしながら、腰の刀に手を伸ばす。
「全夜、どけ。俺が――」
だが。
そんな御代木の命令を無視して。
全夜は少女に向かって歩き出した。
「オイ!」
「キャハハハハッハハハッハハ!」
骨は矢のように撃たれた。
全夜の腿に、腕に、腹に、胸に、背中に。全身を針鼠の如く貫かれたが。
彼は一切意に介さず少女に向かって歩いて行く。
バキバキと骨が折られ、次々と矢が生み出され、男に向かって放たれていく。
少女は混乱していた。その身を朱に染めながらも歩みを止めない男は……まるで不死身の化物だった。
この人は……この人は、一体、なんなんだ。
そして、全夜は遂に少女の目の前まで辿り着いた。
「……なに? 私を……私を処分するつもりな――」
「ふんっ!」
全夜は、拳を高く上げ。
父親が娘を叱るみたいに、少女の脳天に振り下ろした。
「痛っ……。え……?」
「馬鹿野郎。仲間を傷付けたら駄目だろうが」
全夜は、いかにも当然といった表情でそう説教し。
少女は、わけもわからず、じんじんと痛む頭頂部をおさえた。
「……御代木さん」
「バカか。全夜、却下だ」
「お願いします。悪夢衝動にこいつ、引き取らせてください」
「だから却下だ。そんなドラッグ中毒入れてなんになる。どんなことやらかすかわかったもんじゃねえぞ」
「そん時は俺が殴ります。また間違えたら、また俺が怒ります。それじゃあ駄目ですか」
「……全夜」
「F級の奴らは、みんなこういう目にあってる。そんな地獄にいたら、誰だって下むいて、目濁らせて、早く安穏と死ねることを願うしかない。……だけど、こいつは違ったんです」
全夜は、少女の頭を撫でた。
「どうやってここを出るか。どうやったら力を付けられるか。こんな闇にいながら、独りだけずっと、上を見ていたんですよ。……そうやって、必死に上に向かって登った先には、また新しい暗闇しかなった、なんて。俺、そんなの認めたら駄目だと思うんですよ」
彼は、振り向いて、血溜まりの地面に膝と、額を付けた。
「御代木さん。すいません。俺に意地、張らせて下さい」
「……ガキが」
少女は、ただただ呆然としているしかなかった。
この街で、人として生きることを認められなかったこの私を。
ここまでしてまで、護ってくれる人がいるなんて。
信じられなかったのだ。
やがて、御代木は観念したように目を閉じた。
「貸しだぞ、テメエ」
背を返し、出口へと向かっていく。
足音が聞こえなくなったところで全夜は立ち上がった。
少女と目を合わせて、ニッと歯を見せる。
「というわけだ。よろしくな」
少女は差し伸べられる手を、掴んでいいのかどうか、わからなかった。
これは、二年ほど前の話である。
………………………………
「F級市民ってのはよ、この街に認められなかった奴らの俗称だ。孤児だったり、悪さでヘマしたり、狂っていたり。カードは、人権、地位、保険、証明。あらゆる全てを保証してくれるが……裏を返せば、カードもねえやつは人間として認められねぇ。存在しないものとして扱われるんだ」
彼女が独白した過去は、酷く重苦しかった。
街が完璧な管理を謳うが故に、決して認められる筈もない闇の落とし子達の言葉。
「F級は何をされても文句は言えねえ。誰も助けねえし助ける義務もねえ。……そんな俺を助けてくれたのは、全夜さんだった。だけどよ、俺はどうしようもねえバカだったから、そっからも迷惑かけた。街を徘徊して、暴れて。喧嘩の相手を殺しちまうまで殴って。クスリが忘れられなくて、こっそり売人呼んだりして。その度に、全夜さんは俺を殴って、怒ってくれた」
巣の中で、僕は彼女の話を聞いていた。
「ただ、強くなれれば、この街で生きていけるんだって思ってた。色んな仕事して慣れていった時、御代木さんが俺にカードを作ってくれた。……そっから、色々変えたよ。男の名前にしてもらって、自分のことも俺って呼び始めた。虚勢張って、髪も切って、従順に仕事して。ああ俺も強くなったなぁ、なんてしみじみ思ってた。でも、そんな俺を、全夜さんはいつも悲しい顔で見てた」
真一郎は泣いていた。
「カードを貰えなかったF級はこの街で生きることを許されてねえ存在だ。……だからいつまでも甘えて、許されるって、勘違いしてたのかもなあ。だけど、だからこそ悪夢衝動への思いは本物だった」
きゅっと歯を食いしばって、悔しさに打ち震えていた。
「だけどよぉ……結局、あの人に……信じてもらえなかった。悪夢衝動を守りたい。その思いは、あの日から、ずっとずっと変わらなかった。なのに、結局は……全夜さんは、俺を、信じてくれなかった……クソッ!」
真一郎は床を殴った。
鈍い音が暗い部屋に虚しく響く。
窓からはひっきりなしにバイクのエンジンが轟く。
きっと僕らを探しているのだろう。見つかった瞬間狩られて、いいように利用されるだけだ。
そして、真一郎は立ち上がった。
「巻き込んじまったな。ここまで逃してくれてありがとうよ。……俺は行く。引きつけておくから、テメエはその内に逃げな」
「どこに、行くの?」
「決まってんだろ。秒ヶ崎をぶちのめす。悪夢衝動を無茶苦茶にしやがって……絶対許せねえ」
「……真一郎は、さ」
言わなければいけない。
彼女の話を聞いていて、思ったこと、感じたこと。
こんなの、胸の内にしまっておいて。隙を見て、ここから逃げればいい。きっと、その方が安全だし、無難だ。
だけど、そうじゃない。
きっとこの会話は、とても大事なことだから。
僕は、言う。
「決めなきゃいけないんじゃ、ないかな」
「……あ?」
「強くなる為に、悪夢衝動で闘って、悪夢衝動の中で生き方を覚えて、悪夢衝動の為に死んで……。それってさ」
僕は、真一郎の目を見た。
「真一郎が強くなる為に使った【A-ドラッグ】とさ、どいういう違いがあるの?」
「……テメエ」
彼女の逆鱗に触れてしまった。
胸ぐらを捕まれ、頬を殴られた。
「もっかい言ってみろや。悪夢衝動と【A-ドラッグ】が一緒、だと? 殺されてえのかテメエ」
「言うよ。ボロボロになってもまだそうやって固執して、それって全夜さんが望んでいたことなの?」
「――――黙れ」
「真一郎! 君の強さって、そうやってバカみたいに死んでしまうことなのか? それで何が守れるっていうんだよ! 悪夢衝動にずっと依存して、それで心中できて満足か?」
「黙れっつってんだろ!」
また殴られる。
「黙らない!」
「やめろ!」
「真一郎、君はそんなに弱かったのか!」
「黙れ! 黙れ黙れ!」
殴られる。殴られる。
「そうやって拳を振り上げて、何人倒したとか、違うだろ!」
「うるせえぞ成瀬!」
「真一郎!」
「黙ってくれェ!」
「君の強さは、そうじゃないだろ!」
掴んでいた手が緩んだ。
「君は、どんなことでも自分で決めれる。それがどんなに間違っていたって、真っ直ぐ前をみて、決断することができる。……それが君の強さじゃないのかよ」
「……うるせえよ」
真一郎は、床にへたり込んだ。
「もうわかってるんだろう。君が為すべきだったこと。これから為すべきことを」
「……もう」
彼女は、顔をぐちゃぐちゃに濡らして、呟いた。
「わかってる……。わかってるよ……。でもよぉ……。もう、遅いよ……」
叫びそうになる喉を必死に閉めるように、歯を食いしばり、僕を見上げる。
「もう遅すぎたんだよ……。俺は」
僕は、ぐるぐると腕を回した。
「俺は弱かった。なんの力も無かった。」
原理は分からないが、折れた腕はすっかり治ってるみたいだった。
「どうしようもねえバカだった。だからこうやって、殺されるしかねえんだよ。……なぁ成瀬」
胃がまだムカつくが、さっきほど気分が悪いわけではない。
「俺は……どうしたらいいんだよぉ」
「それは、真一郎にしか分からない。……だけど」
僕は、にっこりと微笑んで。
「力を貸すことはできる」
彼女に手を差し伸べた。
真一郎は、目を丸くしたあとに。しっかりと。
僕の手を掴んだ。
「こっちだ! きっとあいつらはこの先に行きやがる!」
走る真一郎の後ろをついて行く。「裏」に隠されるようにして張り巡らされた通りをとにかく駆ける。
僕達の動きが相手にも伝わったみたいで、エンジンの音がだんだん近付いてくるようだ。
作戦は、さっき確認した通り。
敵は超能力を使う危険な集団。
状況は絶望。だけどやるしかない。この街で、夜を過ごすためには。
「よし、あいつらはまだ俺らの位置がわかってねえみてえだ。今のうちにここをショートカットする――」
「よォ」
だがそこには。
月を背にして、最強が立ちふさがっていた。
男は、隻腕だった。
スーツの左腕が、ひらひらと揺れている。
煙草を捨て、男は銀より強い眼光で僕らを射抜く。
真一郎が、立ち止まった。
「……御代木さん」
「殺しに来た。わかってるな」
分かる。
こうやって対峙しているだけで、男が発するオーラの異質さを、理解する。
「違うんです……って言っても聞いちゃくれないですよね」
「残念だ。可愛がってたつもりだったんだが」
男は、腰の刀に手をかけた。
鞘から抜かれたそれには、刃が付いていなかった。
はばきがスリットのように伸びていて、まるで小さな十手のようだった。
「御代木さん」
真一郎が言うより早く。
男は飛んだ。
一瞬で視界から消え去り、気付かぬ内に。
真一郎の背後にまで飛んでいた。
刀から伸びた不可視の刃は、首を狩らんとしていて――。
だがそれには至らなかった。
御代木が事を終える前に、僕が間に入り、変質させていた触手の腕で彼もろとも薙いだ。
刀で攻撃を逸らす御代木。僕はそのまま一步踏み込み再度腕を振るう。
が。
澄んだ音が鳴ると。
触手はバラバラに切り刻まれた。
宙に舞う肉片の向こうで、御代木がこちらに突進してくる――。
「うらぁぁああ!」
僕は触手から手に戻し、力を放った。
突風のような波動を受け、吹き飛ぶ御代木。
だが壁に叩きつけられる直前に、体勢を変え、壁を蹴りすぐに距離を取って着地した。
彼の手に持つ刃は空気を揺らがし、殺意をありありと伝えている。
「……邪魔をするのか、糞餓鬼」
「いいや、違うよ御代木さん」
僕は、ニッと笑った。
「真一郎の戦いは誰にも邪魔させない。それだけだよ」
獣の如く、御代木の目が見開かれた。
僕は笑って、殺意に応えた。
真夜中の街。
人と人がぶつかって、ないて、さけんで。
そうしている間でも、時は過ぎて。
夜が明けるまで、もうあと少し。