F-追撃
固く閉ざされた部屋にて、束の間の安息を得る鈴寧と僕。だが、その前に現れたのは謎の少女だった。御舟学園の「研究所」から来たと言う本田。彼女は、鈴寧に協力しないかと持ちかけるのだが――すぐそこには、魔の手が迫っていた。
扉の向こうから現れたのは――金髪の、前髪が異様に突き出た、奇怪極まる髪型の男だった。
「……テメエらァ。どうやって「機密室」に入りやがったんだァ? クソ鼠が」
苛立ちを隠そうともせず、威圧するような不遜な物言いで鈴寧達を侮蔑する男。
ぼりぼりと顎の下を掻きながら、実に悠然と室内に踏み入ってくる。
防弾チョッキのような分厚いジャケットに身を包み、歩く度に腰や腿のホルダーに吊られた装備類がかちかちと音を立てる。
更に不気味なのが――彼は背中に鉄塊を背負っていた。
部屋の淡い灯りを鈍く照り返す鉄の箱は、棺の如く冷たい温度を放っていた。
男は、至極面倒そうな目で床に座る鈴寧を見やった。
そして、驚いたように呟く。
「おいおい……。マジで赤月の一族かよ……それにもう一匹余分にいるじゃねえか……。カァーッ! 獅子戸さんは何やってたんだ?」
大仰に、額に手を当てて、首を振る金髪の男。
鈴寧は、ただ静かに様子を伺っていた。
――機動司官。
あの装備と紋章には見覚えがあった。
図書館に忍び入る不逞の輩を、武力で以って排除する「情報局」専用の暴力装置だ。
彼らは大きく分けて三つの階級に分けられる。
第一機動司官、第二機動司官、予備科司官。
第一とはつまり精鋭であり、図書館最後の切り札だ。
その強さは委員長達にも引けをとらないとされている程であり――先程の獅子戸との戦闘を経て、まだ無事でいることは僥倖でしかない。
機動司官が独自で動くことは禁じられていて、第一の指揮は図書委員長が、第二以下の指揮は、委員長が指定した、文官である司書に委ねられる。
鈴寧は、この男の雰囲気と、あまりも憚らない言動から、第二機動司官であると察したのだ。
――もう来てしまったか。
第二機動司官は、第一ほどの戦闘力は無い。
だから、その足りない部分を連携で補う。
今目の前に第二がいるということは、既に周囲は包囲済みか、すぐにでも整う体勢と考えていいのだろう。
瞳を動かし、傍らに眠る少年を見る。
今の悪夢的な状況を知ってか知らずか……なんとも安らかな表情で眠っていた。
本田は目を白黒とさせている。彼女を頼りにはできない。
――私は、どうするべきなのか。
一難去ってまた一難。悪夢は悪夢を呼んでしまうのであり。
「源ちゃん! 悪いやつはいましたか!?」
なんとも脳天気な幼い声が聞こえたかと思うと、男の後ろから小さな女の子が現れた。
ぴょこん、なんて擬音が浮かんできそうな仕草で、男の脚を壁にして、こちらに顔だけを出してきた。
ツインテールを揺らし、いかにも無邪気な瞳が鈴寧を映す。
「え! あ、赤月さんのお家じゃないですか!? ちょ、ちょっと! 聞いてないですよ!? どういうことですかどういうことですか!」
「うるせえ! なんで聞いてねえんだよバカ波奈!」
まるで親子の如き睦まじさを見せつけてくる二人。
突如現れたのは可愛らしい幼女であった……だが、その全身を無骨な装備で包んでいる。
男とは意匠が違う、独特な装備であった。
きらきらと零れるような笑顔で、金髪の男と話し合う少女には不似合いな銭闘装束であった。
つまりこの無垢な女の子も、鈴寧を狙う機動司官。
最悪は重なり、今眼前には二人の敵が聳える。
鈴寧の傍には、「研究所」とは言え戦いには期待できそうもない本田と、負傷している成瀬。
勝機は酷く薄い。
ならばやることはひとつ。不意を打つこと。
男と幼女は、楽しげに会話を続けている。
――今なら、やれるか?
鈴寧は一瞬、動こうとした。
だが。
ほんの少しの闘気は、見事に気取られてしまったようで。
それまではしゃいでいたのが嘘のように、途端に静まり返り鈴寧へと向き合った。
「……やる気、みたいですね」
「あァ」
「本当に、目が赤いんですね。なめたら駄目ですよ、源ちゃん」
「あァ……。言われなくても、そのつもりだ」
そして、男は構えた。
拳を真っ直ぐこちらに突きつける、一つの完成された型。
ゴングはあまりにあっけなく。
「【超能拳法】」
戦いは始まった。
「一之型“穂芒”」
鋭い打撃が空に放たれた。
男の目は真剣そのものであり、揺れることなく鈴寧に向かっている。
だからこそ、鈴寧はその意味のわからなさに反応ができなかった。
彼女は部屋中央の床に、膝を付いている。
対する機動司官は扉の傍。
彼我の距離は一五メートルとあまりにも遠く……だからこそ男がその場で撃った拳の意味を判じかねた。
やっと理解したのは。
喰らうはずのない衝撃を、顔面に受けてからであった。
男は扉前。鈴寧は部屋中央。
その距離は変わらず。格闘戦に於いては絶対的な安全圏と言わざるを得ない。
だが――その打撃は命中した。
鈴寧は衝撃に、ごろごろと後方を転がった。
じんじんと痛む。唇が紅く染まり鉄の味が広がった。
――今のは……!
転がりながらも、素早く手を付き立ち上がろうとする。
その彼女の目の前に見えたのは。
男が腰を捻じり、強烈なバネを拵えた終えた姿であった。
「【ポーツ】」
その呟きと同時に、左から右へ。抉るような大振りの一撃を放った。
鈴寧は、真紅の目を更に燃やす。
「【キネシス】!」
迅速に、自身を念力で包み上げる。
半端な衝撃は通さない、超常の鎧であった。
だが――そんな浅はかな防御を嘲笑うかのように。
再び衝撃が彼女の横腹を貫いた。
【キネシス】の膜は一欠片すらも傷付いていない。
男の攻撃だけが鈴寧の肉体を直撃したという、不可思議な現象が残っただけだった。
横殴りの攻撃を受け、彼女はまた床を転がった。
ひどい音を立て、立ち並ぶ本棚に衝突する。
彼女は――顔中を血で汚し、口元からは涎が垂れていて、見るに耐えない様相となっていた。
靴の音が響いた。
思い軍事用の靴が向かうはこちら。
棚の森に隠れた鈴寧を探さんとする猟犬であった。
ぼやける思考の中で、彼女は、やっと理解した。
男の力、その正体を。
「【ポーター】……貴方の力は……」
ただ空振るしかない一撃を、空間を捻じ曲げたかのように、尽く命中させていく奇術。
否、捻じ曲げていたのは空間というよりも。
「衝撃を転移させる……【ポーツ】」
とてつもなく単純で簡単な話であった。
捻じ曲げるのは空間ではく、彼が撃った力そのもの。
渾身の力で振るった拳は、見える範囲ならば何処へでも届く。
原理は単純。然るに強く、対応する術など無い。
「ご名答。さすがだねェ」
ぱちぱちと、乾いた拍手で正解を祝う第二機動司官。
「その通りだよ。俺様、如月源路の力さ。悪いが……お嬢様は、俺に勝てねえよ。目に映るモノ全部が獲物だ」
それにな、と男――如月源路は続ける。
立ち上がれずにいる鈴寧の前に現れたのは、部屋のライトを背に受け、真っ黒な影として立っている、【ポーター】の彼と。
波奈と呼ばれていた、幼気な女の子であった。
その子は、ぽつりと。
それまでの元気な様子とは真逆の無感情で、呟いた。
「【バイオス】」
波奈の全身が、裂け。
その下から無数の角が、がきんと突き出した。
いや……それは角と言うより、平べったく、薄い、獰猛な鮫が持つような「ヒレ」であった。
腕や腿、額からも無数に飛び出す突起物。
可憐な少女は、醜き悪魔へと変貌してしまった。
波奈の変身を見届けた如月は。
「俺はあくまで後方支援だ。前線に立つのはこいつの仕事だよ。何しに来たのか、どうしてここにいるのか、聞かなきゃいけねえことが山ほどある。波奈ァ。殺すなよ」
「だいじょぶです。刃引きはしてあるので」
腕のヒレの先端をこちらに向け、波奈は深呼吸した。
「――【超能剣術】」
少女の眼には一切の迷いも慈悲もない。
ただただ痛めつけて捕らえるという使命があるだけ。
低くおろした腰に、地面に着いた足は今にも躍動せんと高まっていて。
「一ノ太刀“颪”」
その一言で。
彼女は飛んだ。
小柄な身体は空中に踊る。
腕と脚の鋭いヒレが、一直線になるように揃えられ。
力強く振り、遠心力で回転した。
さながら、古く忍びの者が投じた、十文字の刃のようであった。
全体重を掛けた回転攻撃。
それは恐るべき圧力で以って、鈴寧を襲う。
「【キネシス】……!」
直撃は敗北と悟り、鈴寧はやっとの思いで手を伸ばし不可視の壁を作る。
波奈の腕から生えた刃が、その壁と激突した。
火花が散るほどの衝撃。
鈴寧が目の前で観たのは、己が【キネシス】の。
散る様であった。
一直線に罅が入り、壁は脆くなる。
獅子戸の【ウェイズ】とは違う、真っ当にぶつかり合い、真っ当に自分の力が負けた姿であった。
【キネシス】とぶつかった勢いそのままに、後方に回りながら着地する波奈。
その目は異様にぎらついて鈴寧を睨めつけていて。
腰をひねり両腕の刃を伸ばす。
それは少女の剣であった。
「一ノ太刀“地嵐”」
嵐が鈴寧を襲った。
波奈は右足を軸とし、苛烈に円転した。
叩きつける雨のような怒涛の連撃。
念力の城壁は剣を受けるごとに粒子と砕ける。
猛獣の如き波奈の眼光に射竦められる鈴寧。
なんとか壁を厚くしようと手を伸ばす。
「【ポーツ】」
だが男がそれをさせない。
鈴寧の首は突如締め付けられ、強引に後ろに突き押された。
棚に背をぶち当てられた鈴寧。
異様な息苦しさに藻掻くが、外れない。
そして悟る。
如月を見ると――彼は、真っ直ぐ手を伸ばし、ぐっとなにかを締めるように力を込めていた。
――締めるという小さな「衝撃」すら、転移できるの……?
五分も経たない短い時間の中で。
鈴寧は機動司官という恐怖をまざまざと味わっていた。
「終いだ、波奈」
「うん、源ちゃん」
肘の突起物をこちらに突きつける少女。
体勢は低く、さながら突撃をかける槍兵。
その背後で、如月は拳を引いている。
大砲を撃つ準備だ。あれは撃鉄を降ろしているにすぎない。
不可避の一撃で、仕留めんとしているのだ。
吹き荒れる暴風と成り、前線で戦う波奈と。
その後方で拳を穿ち、決定的な隙を作る如月。
この二人の組み合わせは――最悪で最強。
鈴寧に為す術は。
「二ノ太刀――」「【超能拳法】」
ありもしなかった。
そう。
彼女には。
最後の攻撃。その刹那。
光る何かが飛来し、棘だらけの少女へとぶつけられた。
敏感に反応し、器用に腕のヒレで斬り裂き防衛する波奈。
そこに一人の女生徒が現れた。
茶髪をなびかせ、左足一本で身体を支える姿は実に美しく――。
腰の捻りと共に、右足が波奈に打ち下ろされた。
両腕で防がれた時――がきんという、金属音が鳴った。
人と人の戦いでは、決して起こるはずもない、鈍い音だ。
「一之型“雷蕾”!」
そして如月の拳が撃たれた。
手心など一切存在しない、重き一撃。
いかにも幕を降ろすに相応しい、雷撃と違うほどの業。
それを受けたのは鈴寧ではなく――今、颯爽と彼女の前に現れた女生徒であった。
赤月の一族ですら、簡単に立ち上がれないほどのダメージを与えたその拳法。
女生徒――本田は。
真っ向から一撃を喰らって、尚。
けろりとした表情で、笑っていた。
「如月源路さん……。確かに貴方の力は厄介です。ですけど! そんな貴方にも、ちゃんと天敵はいるんですよぉ?」
「……あァ?」
訝しむような如月の声色は、だが、本田の顔を見た瞬間、平常を保っていられなくなった。
「……テメエは」
「貴方の【ポーツ】は己と地続きのものが発した衝撃に限定される。つまり、一定以上の防御力さえあれば、貴方はどうしようもできなくなる」
「――これは、どういうことだ……オイ!」
如月は叫んだ。
そう。
あんなにも余裕を見せていた機動司官が、顔色を失い狼狽せざるを得ないほどの何かがあった。
鈴寧は、彼女の背中を見て、知った。
――どういう、こと。
奇遇なことに、敵である如月と全く同じ感想を抱いていた。
金髪の男が放った衝撃が、風となり、本田の髪を舞わせる。
その首筋に刻まれたものを見て。
鈴寧は硬直した。
「一定の防御力、つまりですね」
本田は腕を天に掲げた。
その麗しき肌から、奇妙な駆動音が聞こえたと思うと。
がしゃりと蠢き。
腕が割れ、中から金色のパーツが飛び出してきた。
「私のようなサイボーグならば、貴方に勝てます」
鈴寧は、そのマークを見て、首を振った。
「それは……」
選ばれし者だけが、その身に刻むことを許される、唯一の証。
これはなんの冗談だろう。
鈴寧は、今なにが動いているのか、考えたくもなかった。
だが、どうしようもなく、現実は伝えてくる。
鈴寧を守った鉄の女は、誇らしげに。
「「星付き」が一人“天王星は“天に坐す星の御子”! 御舟の最高傑作、人型自律高機動機巧――本田ジェネシスとは私のことですよ!」
そう、己を呼んだ。




