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C-蛇の目

大鳥居一十三は動かない。部下である庵籐美涼の報告を聞いても、微笑んで本を読んでいるだけだ。図書館最強の長は悠然と構えている。だが、着実に魔の手は伸びている。庵籐は機動司官を率いて、ならず者を追い立てに征く。

「最悪……ああもう本当に最悪!」

 がしがしと頭を掻きむしりながら、鈴寧は悪態をついた。

 地の底へ沈もうとする夕陽の光は、僕らがもたれる大木の葉に遮られている。

「よりにもよって「情報局」に入っちゃうなんて……! でもここじゃないと捕まるし……ああ……最悪」

 壁を飛び越えた先は、緑が吹き荒れる中庭だった。

 小さな迷路みたいな植え込みの影に隠れるようにして、見上げるほど大きな木の根本で、僕と赤月はしゃがみこんでいる。

「大体なんで私がここまでメンドくっさいことに巻き込まれなきゃいけないの……ああ本当に意味がわからない……」

 彼女は苦々しい表情で、ずれたソックスを腿までするすると上げた。

 見れば、布はところどころ破けていて、白い肌に滲んだ痣や切り傷が剥きだしになっている。

「なにみてんのよ」

 げし、と顔面を蹴られた。

「バカなの……? あんた、状況わかってる?」

 ぐりぐりと靴の裏で鼻を捻られる。

「うぐ……ええと、その、あんまり……ここがどこだかも……」

 そう言った瞬間、空気が凍ったような気がした。

 赤月は、震えるように首を振りながら「信じられない」と呟いた。

「成瀬くんは栄光ある御舟生よね……? 「情報局」のことを知らないなんて冗談でも苛立つだけだからやめて」

「……その、どう説明したらいいのかわからないんだけど」

 日に暮れる空の下は、不気味なほど静かで、この世界には中庭にいる僕ら二人しかいないようだった。

 だけど、鈴寧の口ぶりからしてきっとそんなことは無く、此処は不穏な場所であるはずだった。

 一から説明している暇はなく、大事なところだけを信じて貰うしか無い。

 だから僕は鈴寧の手を握った。

 細くて折れそうで、湿った手だった。

「鈴寧」

「えっ! ちょ、ちょっと、成瀬くん、えっ、えっ!?」

「今はきっと、ちゃんと説明している時間はない。でも、いずれちゃんと説明するから。とりあえず、僕の言葉を信じてくれ」

「い、いいから、手! 手を離して!」

「僕は記憶を無くしている」

「いきなり女の子の柔肌に触れるなんて……! き、記憶を……? え、ええと、いやいや、は、は、はぁ!?」

「そういうことなんだ」

「いやどういうこと! いやだから手を離してって、いやなんにもわからない……えっとえっとえっと!」

 急に赤面して目をぐるぐると回し始めた。

 長い戦いで疲弊したのかもしれないので、状態を確認してようと、顔を近付けた。

 彼女は目を見開いて。

「バカ!」

 小気味のいい破裂音が響き、右の頬がじんと痺れた。

「記憶無いとか手握ってきたりとかよく考えたら下の名前で呼んでたりとかもう全部意味分かんないわ馬鹿! とりあえずあなたは女子への接し方からちゃんとしなさい!」

 茹だった赤月は、涙目になりながら、徐々に怒りのボルテージを上げていく。

「普通の図書物を扱う右区とか下区とかの図書館とはわけが違う! いわゆる機密が集積される聖域よここは! あの風紀委員ですら簡単には入れない、人呼んで「情報局」、それが御舟中央図書館の正体よ!」

 ぎゃあぎゃあとそんな情報を捲し立てる鈴寧。

 その目はじわりと朱に染まっていて、流れ溢れるような【キネシス】が彼女の髪を浮かせた。

「鈴寧、もう少し、その、静かに……」

「……本当、失礼な人。私達がどんだけ面倒なとこにいるかわかってるのかしら。しかもあなたのせいで……! ここに忍び込む奴なんてどんな目にあうのか――」

「教えてあげましょう、か」

 ぬらりと。

 それは、僕らの前に姿を現した。

 真正面の、茂みの通路から一歩ずつ彼女は近づいてきた。

 いつから僕らを見ていたのか。それなりに周囲に気を配っていたつもりだったが――まるで気付けなかった。

 その茶髪の女の子は、焼けた雲を背景にして、佇んだ。

 くい、と眼鏡の縁を触る。

 そして、少女はおもむろに右手を掲げた。その手はぎゅっと固く握りしめられている。

 左の袖には、さっきの風紀委員達のような腕章が付けられていた。

 違うのは、堅牢な塔のシンボルが描かれているということ。

 隣の赤月が、舌打ちをしながら俊敏に立ち上がった。

「動かないでください。余計な労力はかけたくありません、です」

 目前の少女が制止をかける。

「それはこっちも同じよ。……見逃して頂戴。いらない血は流したくないわ」

 負けじと鈴寧が言い返した。僕も遅れて彼女の横に立つ。

 先ほどのやりとりが功を奏したのか、彼女の瞳は紅く輝き始めていた。

 意思を持ったかのように鈴寧の髪が宙に浮かぶ。

 

 ――この警戒の具合、この状況から察するに。きっとこの少女こそが、図書館の委員なのだろう。

 不躾にこんなところへと迷い込んだ愚か者を制裁する機能として、彼女はやってきた。


 はぁ、と委員の女の子は溜息を吐いた。

「命乞いや悔恨に嘆く者はごまんといましたが……まさか躊躇いもなく「見逃せ」なんて命令してくるアホがいるとは思ってもいなかった、です」

「あら、妥当な取引だけれど? わけありなのよ。妙なことは考えていない。ほんの数時間ほってくれれば、大人しく帰ってあげるわ。貴女も怪我しなくて住むでしょう?」

「……赤目の一族、ですか。いやはや、こんな無教養な人だったとは」

 少女は、じっと僕らを睨む。

「ここに無断で侵入してきた時点であなた達は罪人、没交渉、です。お話が得意なら、どうぞ遠慮なく――」

「【キネシ――」

 鈴寧が彼女に飛びかかるようにして駆け、僕も加勢しようと手をかざした。

 が、その一手前に。

 少女は、握っていた手を開いた。


 黒い目が、見ていた。

 

 恐ろしく単純で冷徹な、大きな目が手の中にあった。

 否、よく見ればそれは、ただ墨で描かれた絵に過ぎず。

 掌に刻まれた刻印でしかなかった。

 が、なんにせよその強烈なモチーフは。

 二人の視線を集めるには、最適過ぎた。

「【テレパス】」

 手の瞳と目が合った瞬間。

 僕の身体は痺れたように動かなくなった。

 勢いよく飛びかかろうとした鈴寧も同様で、手を広げた、無様な格好で固定されてしまっている。彼女は、悔しげに歯軋りをした。

 少女は依然、僕達を睨んでいた。

「――地下牢で、お喋りください、です」

「意識の固定……あんたは、図書館の……【蛇の目】の衣千夏!」

「ご存知のようで光栄、です。もうすぐにでも機動司官が到着するので、暫く我慢してください」

 衣千夏と呼ばれた少女は、左手で再び眼鏡の縁を触った。

 早くここから逃げなければいけない。

 だが、視線は相変わらず手の絵に吸い付けられている。

 まるで空気に縫い付けられたようで、びくともしない。

 キドウシカンが来る、と言った。

 きっとそれは厄介な相手に違いない。早く逃げなくてはならない。だが腕すら動かせないこの状態では、どうにもできない。

「諦めなさい、です」

 魔の目を掲げ、彼女は素っ気なくそう言い捨てた。

 ――聖域。

 僕は不甲斐なさと共に、その言葉を噛み締めた……。


「……赤月を」

「はい? 何かおっしゃいました――」

「赤月の家をなめてんじゃないわよ!」

 そう咆哮する鈴寧の双眸は。

 残酷で美しい、鮮血の色で染まっていた。

「【キネシス】!」

 大きく両手を広げたままの格好だったが、鈴寧の膨大な【キネシス】は嵐のように吹き荒れた。

 周囲の大地は不可視の牙が突き立てられ、蹂躙された。

 砂煙や青い落ち葉が舞い踊り。


 衣千夏の掌に向かう僕らの視線を、遮った。


 途端に、縛りが解け、体が軽くなる。

 鈴寧は大きく手を振るった。

 景色が濁る程凝り固められた【キネシス】の刃が直線上の全てを切り裂いて疾走る。

 衣千夏が慌てて横に飛び退いた。

「はっ、反則です! 指向補正すら要らない、膨大な【キネシス】なんて……!」

 喚く赤眼の魔女はそれまでの狼藉を許さない。

 もう一度、手を振るい障害を呑み込む貪欲な波を放たんとする。


 いや、今は。

 そんなことをしている場合じゃない……!


「鈴寧!」

 僕は彼女の腕を掴んだ。

 そして、この中庭の向こうに鎮座する。

 そそり立つ巨塔を見やった。

 見下ろすように、深い影を下ろす――御舟中央図書館を。

 目標は、この先にある図書館の窓。

 これはまだ、上手く使えない技だけど、やるしかない。

「――【ポーツ】」

 そして周りの風景が剥落し。

 剥がれたところから、暗い廊下が現れた。

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