B-聖域の守護者
「星付き」の“月”との戦いに勝利した僕達。だが、その帰路に立ちはだかったのは学園最強と謳われる、風紀委員長の加藤美沙姫だった。何かを邪魔されたとし、僕らを襲う風紀委員。絶体絶命の窮地を救ったのは、則明の犠牲と、赤月の導きだった。命からがら逃げ込んだのは――御舟中央図書館。秘密が集合する学園の特異点だった。
「闖入者です」
黒く清潔な髪を持つ少女は、一切の無駄を含まない情報を伝えた。
世辞も愛想も無く、どこまでも合理的な彼女の佇まいはどこか無機質でもあった。
夥しい、木の本棚に囲まれたその部屋の中央には――そんな少女の主がいた。
きぃと揺れる安楽椅子に身を任せ、小さな明かりを頼りに分厚い本を捲る彼女は、ぽつりと「そう」と呟く。
「それは、風紀? それとも、まさか部長連合?」
「未だ不明です。サイコアラートに引っかからないことからして、その手の者ではないかと。……その、あまりに杜撰すぎると言いますか」
「寝ぼけた子猫さんでも迷い込んだのですかね。まあ、いつも通り。庵籐に任せます」
塔のシルエットを象った腕章を付けた少女――庵籐美涼は、主を見やった。
流麗に落ちる滝のような、長い髪。
こんな夏でも暗い色のカーディガンを羽織っていて、膨らんだ胸の前に、分厚い本を広げ文字を追っている。
銀縁の眼鏡が小さな電灯を受け燦めく。
見受けた印象のままの文学少女。肌も白く、どこにでもいそうな室内派の女学生だ。
だが実際前にすると、こうも違うのかと、美涼はいつも戦慄せざるを得ない。
灯りの少ない部屋で、安楽椅子に揺られ物語を楽しむ少女が、周りを押し潰さんとする巨大な存在にしか見えない。
ただ読書をしているこの主が、ほんの悪戯心を動かすだけで、私という人間は今すぐにでも命を奪われるのだと思うと――笑ってなどいられない。
これこそが委員長にまで登り詰めた者の重み。
学園を卒業した後、政財界軍事「裏」への椅子を手に入れた人間。
御舟中央図書館という「聖域」を守る主――大鳥居一十三は、闖入者が現れたという報を聞いて尚、動じず頁を捲っていた。
美涼は、見咎めるように眉を顰める。
「……またその本ですか、委員長」
一十三は口端を上げ、歌うようにして肯定する。
「そう。竹本健治の「ウロボロスの偽書」。現実と虚構が交錯し、混濁しあう、名作」
美涼は、そういうことが言いたいんじゃないと、少し苛立つ。
「委員長としてはいかが致しますでしょうか。閉館後の闖入者には、委員長自らが前線に立ち対処すると、古くからの慣習がございますが」
「言ったでしょう。庵籐に任せます、と」
「とりあえず衣千夏を向かわせています。【蛇の目】があればしばらくの足止めはできるかと。しかし、万が一を考慮し委員長自ら「機動司官」を動かしていただけないかと」
美涼は、じっと、目前の図書委員長を見やる。
「その書物はついこの前も読んでいたではありませんか。今はこちらにお力を注ぐべきだと思うのですが」
「いい本というのはね、読む度に新しい発見があるものよ。一度で終わりというのはあまりにも貧しい考え方だわ、庵籐」
――いつからだろう。
気が付けば、この御方は、こんなふうに無気力になってしまった。
私が知っている彼女とは、違う。
機敏で、大胆で、正確な行動を第一としていたはずだった。
それが、気がついたら、問題を先延ばしにするようになっていた。
――なぜだろう、と。
美涼は思う。
「安心して頂戴」
と、そんな少女に対し。
大鳥居一十三は、実にゆったりとした口調で語りかけた。
「手こずるようでしたら、私もいずれ向かうから……。そうね、この本を読み終えたら、行きましょうか」
彼女は、手の本を愛おしげに撫でる。
その時、左手の薬指から、チェーンがさらりと零れた。
……それは、人を惑わすような鈍色だった。
装飾が施された鉄の指輪から細い鎖が垂れていて――先には、鍵が付いていた。
鎖はブレスレットのように手首に巻かれていて、端から鍵がぶら下がっている。
それはキケンだった見てはイケナイ。
鍵には不可思議な言語が犇めいている。
ずっと見つめているだけで、フィルムが焦げるようにして狂気に蝕まれていくような、悪意ある魔術が刻まれた忌々しい鍵。
同時に、大鳥居一十三が委員長たる証でもあった。
古代式のオーパーツ【銀の鍵】
ちらりと、彼女が手にする本を見る。
それは、丁度半分ほど開かれていた。
――大体、30分といったところか。
と、美涼は概算する。
「第二機動司官までの指揮権を与えます。期待しているわ」
最後にそんなそっけない激励を投げかけて、再び彼女は物語の世界に没入した。
これ以上、どんな嫌味を言っても無駄だろうと自分に言い聞かせる。
闖入者がどういった存在なのかわからない今、全力で当たるべきだが、最高戦力が立ち上がらない以上、できうる範囲で最善を尽くすしかない。
想像したくもないが、万が一それが最悪の敵であったとしても。
大鳥居一十三を待てば勝負は決するのだから。
何も慌てなくてもよい。
そして庵籐美涼は、自らに冷徹なカーテンを降ろし。
「失礼します」
主の部屋を出た。




