A-大鳥居一十三
学園伝奇(?)でありがちな、風紀委員長をやっと出すことができました。わーい。追われる成瀬たちが逃げた先とは? この章から記憶探しが本格的に始まったらいいなぁ、と思ってます。よろしくお願いします。
感想などいただけたら……本当に……嬉しいです……。
彼女は男を、全夜と呼んだ。
それは「裏」の闇に沈む少女が、縋るようにして何度も何度も呼んでいた名前。
それは目の前のこの男なのだと、僕は理由もなく感じ取った。
冷たく、だけど生き生きと輝く鋭い双眸。
ざんばらに伸びた漆黒の髪。
体躯から放たれる、尋常ではない殺気。
そして鬼の鎧の如く腕に纏われる、白く濁った超常の爪。
――間違いなく彼こそがあの全夜であり
「全夜さ……」
僕が声をかけようとすると、同時に。
三人の風紀委員に襲いかかる毒虫の群れに向かって。
全夜は裂帛の気合と共に、鬼の腕を振った。
真っ白な残像は一筋の尾を描き。
か弱き虫の軍団は、その一撃でばらばらに砕け散った。
そして、衝撃に押し出された空気が突風となり僕らを襲う。
反射的に目を閉じ、腕で顔を覆ってしまう。
それは、明らかな「失策」だった。
酷く重たい、何かをえぐる音が響いて、横を見やると。
たったの一歩で則明の真正面まで飛んだ全夜が、白濁した腕をぎりぎりと引き絞っていて。
言葉を発するよりも早く。全夜は一切の容赦無く爪を振るった。
為す術も無く、食らい吹き飛ぶ。則明は、ボロ小屋を破壊しながら突っ込んだ。
人影を曖昧にしていく黄昏の中で。
一人の人間を叩きのめした鬼が、ぐるりと首を回して。
冷たい眼光が僕を貫いた。
――最悪なことに、彼は僕の敵に回っているようで。
全夜は高く腕を掲げた。
それはただの、人間の腕だったが。
彼が力を込めるとたちどころに膨らみ、何かが纏われ。
瞬く間に、先ほどよりも鋭く長い爪と成った。
マズイ。マズイマズイマズイ。
理由はわからない。だが僕らは、どうしようもない怒りを買ってしまったみたいだった。
話し合いなんてラインはとうに越えてしまっていて。
ただ狩られる獲物でしかない。
逃げなきゃ。だけどどうやって。傍らには倒れ伏す久世春佳。荒い息を吐いていて早くどこかで休ませないといけない。いやその前に則明を助けないと、だがそのためにはあの鬼が立ち塞がる、どうすればどうすればどうすれば。
そうした逡巡に固まっている時。
「イヤァ!」
そんなやたらと元気な掛け声が聞こえ、何かに襟を掴まれたと思った瞬間。
目の前の風景が急にぐるりと逆さまにひっくり返った。
否。逆さまになったのは世界ではなく。
僕自身であって。
流れるような順路で空に投げ出され。
思い切り背中を地面にぶつけた。
鈍い衝撃が体中に広がり、一瞬呼吸が止まる。
一体なにが起こったんだ、なんていう疑問は置いといて、とにかく起き上がらなければと地に手をつこうとする、が。
「ハァッ!」
再び何かの力が僕の右腕の肘を押さえ、外側に向かってぎゅるりと回した。
「痛ッ……ぁ!」
肘関節がこれ以上動かせない、限界まで曲げられ、追従するようにして肩の関節も開くようにして曲がり、僕は身動きが取れなくなった。
肘枕をしているような無様な格好で地面に転がり、そこから動くことが叶わない。
「くっ……なんだ、これ……!」
こんなことをしている場合じゃないのに、がっちりと関節を固められている。
まるで標本にされた生物の気分で、見えない力は最小限のパワーで以って僕の右腕に鎮座し、一切の抵抗を無情に封じている。
「超能柔術一式」
声のする方を見上げると。
半身の構えを取っている男が、いた。
静かに呼吸を整える、細目の男子は……それまで沈黙を守っていた風紀委員の一人で。
「“無間背負投げ”及び“無手四方固め”」
彼の細い目は、しっかりと僕を見据えていて。
「いい仕事だ落合くん」
と、ぞっとするような冷たい声がしたと思うと。
加藤美沙姫が疾く駆け。
じたばたともがく僕の、左肩を踏みつけた。
真上から、爛と輝く二つの瞳。
はためくスカートの向こう側で、彼女は【虚光祓う天の弓】の白い弦を引いている。
「聞き分けのないバカは嫌いでね」
身体の自由を奪われた僕は。
「痛いかもしれないが、我慢してくれよ。死なせたりはしないからさ」
きりきりと引き絞られる矢に穿たれるだけで。
加藤美沙姫は。歪に口の端を吊り上げた。
「御免だ……!」
右腕を触手に変化させた。
素早くうねらせ、要所を押さえていただけの力から逃れる。
頭上の加藤が矢を放つ前に、自由になった触手を振るって。
「うらぁあああああああああああ!」
自身の力を放った。
「【キネシス】」
だが加藤は冷静に、自身の手の先に【キネシス】の結界を張り凌ぐ。
追撃するように、何本もの触手を彼女に振るう。
彼女は再度【キネシス】を放ちながら後方に飛び退る。
その隙を見逃さず、僕も後ろに転がりながら手を付き立ち上がった。
「【虚光祓う天の弓】」
空気を裂くような鋭い声と共に、純白の矢が数本放たれる。
両手を触手に変え、それら全てに振るった。
幾つもの肉の手は不可思議な矢を余すこと無く阻んだ――
ように見えたが。
勢いはまるで衰えず矢は肉を貫き穴を穿った。
その痛みが電流のように脳を焦がす。
「しぶとい男だねぇ、呆れるよ」
やれやれと首を振りながら、風紀委員長がため息を吐いた。
痛みを必死に隠しながら、僕は彼女に対峙する。
目の前には、二人。
全てを貫く弓矢を操る、風紀委員長加藤美沙姫。
奇妙な武術で動きを封じる、落合と呼ばれた男子生徒。
……そして背後には。
少しだけ目を動かし、見やると。
一歩、一歩。
慎重に追い詰めるようにして、近付いてくる鬼の男がいた。
……全夜さんが、いる。
「そうして抵抗されるほど、私は君を許すわけにはいかなくなるのだがね。悪戯っ子に罰が与えられるものだからね、そうだろう?」
表情は笑っているが、溢れ出る殺気までは抑えられていない。
そんな彼女に向かって、僕は。
「……さっき」
「ん? さっき? はて、何を言って」
「下着、見えてましたよ」
……とりあえず、こんな時こそ、笑い返さないと。
歯を見せ、にやりと微笑んだ。
加藤美沙姫は、ぱちくりと目を瞬かせ。落合はあんぐりと口を開いている。
「そうか」
と呟いた後。
「冥土の駄賃くらいにはなっただろうさ」
弓を真っ直ぐに構えた。
白い弦が交差し、中央に細い指をかける。
さてどうしよう虚勢を張ったはいいもののやばいぞやばいぞ。
状況は以前として変わらず。強者に囲まれ、仲間もやられた。
今は静かに牽制しているが、いずれすぐ攻撃に移るだろう。
両手の蠢く触手は、どちらを指すのが正解なのだ。
則明を見捨てて前に飛び込むか?
窮地を覚悟して則明を救うか?
僕は、僕は、僕は、僕は……。
「加藤先輩! あ、あの不埒の輩は……俺が!」
どの道も選べない僕に痺れを切らした落合が。
「イヤァァァー!」
気合を叫びながらこちらに駆けてくる。
それに合わせ、加藤が弓を引き。
背後の足音も早くなり。
――僕は……!
その瞬間。
「【キネシス】!」
目を見張るほど膨大な量の【キネシス】があたりを蹂躙した。
地が裂け風が逆巻き、力の本流に飲まれんと三人が防御で手一杯になる。
あたりを舞う砂煙、その向こう側で、手をかざし叫んでいたのは。
「成瀬!」
「……鈴寧!」
赤い目を輝かせる、赤月鈴寧が、そこにいた。
彼女は、かざしていた手をこちらに伸ばして。
「こっちに!」
そう僕を呼んだ。
加藤美沙姫と落合の更に背後に来いと、彼女は言っている。
「……“赤目”の一族か! ハハハ、こんなところで!」
加藤はぎろりと彼女を睨んだ。鈴寧は怯まず、まだ手を差し伸べている。
――僕に、則明を、見捨てろと言う。
そんな決断、簡単にできるはず、無くて。
「行かせるか」
いつの間にか――全夜が僕の真横にまで来て。
異様に膨らんだ白い腕が、僕を狩らんと欲している。
それが振るわれる刹那。
「【バイオス】」
真っ黒な軍団が僕と全夜の間に入り込んできた。
露骨に顔を顰め、距離を取る全夜。
「成瀬!」
背後から声が聞こえた。
見やると、そこには、肩を押さえながら……弱々しく、それでも立ち上がる則明の姿があった。
「行け!」
彼はそう言った。
「則明! そんな……僕は!」
「お前はやることがあるんだろう! グズグズするな! 久世さんも任せろ、悪いようにはされないさ……成瀬!」
彼は、手をかざし、死を運ぶ虫を生み出しながら。
「行くんだ!」
もう一度、そう叫んだ。
黒い影が空を飛び一斉に全夜に襲いかかる。
全夜はそれらを、たった一度腕を振るい壊滅させる。
「お前は邪魔だな……!」
僕は、少し則明と目を合わせ。
「……ありがとう」
赤月のいる方へと走った。
立ちはだかるは弓と武。
「私たちなら通れるとでも? アハハハ! なめられたものだね」
「【超能柔術】二式……!」
僕は両方の触手を振り上げ。
出せる限りの力を、身体の底から限界まで。
「そこをどけぇええええええええ!」
振り絞った。
まるで大蛇が身を滑らせたよう。
大地を削り全てを破砕し、規格外の力で無理矢理道を作った。
「この――逃すか」
「ハァァァア」
番えられる矢、蓄えられる闘気。それらを遮るのは。
「【キネシス】」
もう一つの規格外で。
二人の足元から、間欠泉のように【キネシス】が吹き出し、壁のように立ちはだかった。
僕は彼らの横を、全速力で走り過ぎる。
その先に待っていたのは、か細い手だった。
彼女は、僕の手をしっかりと掴んでくれて。
「こっち!」
走りだした。
引っ張られるようにして、全速で駆ける。
「【虚光祓う天の弓】」
白い矢が僕の腰を貫いた。
一気に全身が燃えたような錯覚に陥るが、踏みとどまって、背後に力を放つ。
彼女たちは事も無げに避け、追跡する。
茂みや部活棟が背後に流れていき、舗装された通路をただただ走る。
ずきずきと、腰の穴が痛む。
気が付くと、建物がたくさん並ぶエリアまで来ていた。
どこまで逃げればいいのだろうか。このままだと、彼女らに、捕まってしまう。
ここまでなのか……?
「成瀬!」
と、突然。
鈴寧がある建物の門の前で止まった。
分厚い門は閉じられている。
「急いで! ここを飛びこえるんだ!」
鈴寧はそう言う。飛びこえる?
見上げるほど巨大な門。これを飛べって……どうやって・
「ああもう! そんな情けない顔しないでよ! クソ! 【キネシス】!」
と、全身がなにかに包まれると。
僕は持ち上げられるようにして、宙に浮いた。
見ると、鈴寧も浮かんでいて、細かい操作で壁内に入ろうとしていた。
どこまでも追ってくるかの悪魔を、退けるほどのなにかが……この建物に……?
そう思い、下を見やると。
【虚光祓う天の弓】をこちらに構える、加藤美沙姫が。
「死ね」
…………………………
少女の弓が放たれんとした時。
虫の羽音が聞こえた。
弓を引く彼女に向かい一匹の蜻蛉が飛来してきたのだ。
ぴくりと、加藤が反応した瞬間。傍らで控えていた落合がすばやく手を伸ばし、その虫を握りつぶした。
そして、加藤がもう一度門の方を見ると……獲物の姿は消えていた。
「……しくじった、か」
苦々しく、舌打ちをし、弓を静かに下ろした。
「申し訳ございません……俺がちゃんと押さえてなかったから……」
「いいや、落合くんはよくやってくれたさ」
そして、加藤は眼前の建物を見上げた。
そんな彼女の元へ、荒々しい足音を鳴らしながら何者かが近付いた。
そいつは、息を弾ませ、無骨な質問を放つ。
「あいつらは?」
「馬鹿者! 全夜! お前がちゃんとあの【バイザー】を仕留めておかないから! 逃げられただろう!」
「まぁまぁ。落合くん、そう後輩をいびるなよ」
歯を剥きだして怒りを露わにする落合を宥める。
「状況は?」
「降伏の意を示したので、女生徒ともども、他の風紀委員に連れて行かせました。「星付き」の件は取調室で詳しく聞くことになるかと」
「そうか」
労をねぎらうように、加藤は全夜の肩に手を置いた。
それを見る落合の表情は、妬みと羨ましさとが融け合った複雑なものとなっていた。
「君が本気でやってたらそれこそ死んでいたさ。風紀委員は殺人倶楽部ではないのだからね、間違った判断では無いよ。しかし手加減というのは今後の課題だね、全夜」
「……はい」
全夜は慇懃にうなずき、加藤と同じ目線の先を追う。
「二人は、中に」
「ああ、そうだね」
一歩踏み出そうとする全夜。
「やめておけ」
そんな彼を、加藤は厳しい口調で制止した。
「あそこには立ち入るな」
形容しがたい、様々な感情が入り混じった瞳で、彼女は大きな建物を見る。
無骨な壁に囲まれた、長方形や立方体を組み合わせた建築物。大時計の針が、ゆっくりと時を刻み、円の中を回っている。
「御舟学園中央図書館……。学園全ての「情報」が集う場所。風紀委員がここに無断で立ち入るなんて、戦争でも起こしたいのかい?」
「『情報局』……ですか」
落合がしみじみと、忌々しい渾名を口にした。加藤はそれに頷く。
小さな風が、彼女の短い髪を揺らした。
――いいや、それだけではなく。
――ここにあの女がいることが問題なのであって。
もしも『情報局』の奴らにあの二人を捕まえられたのならば。罪人の引き渡しという「材料」を様々な手段で利用されることとなる。
……その駆け引きは、あの女が得意とするところだ。
「図書委員長、大鳥居一十三。本当に、厄介なところへ逃げ込んだものだ」
「……諦め、ですか」
全夜の問いに加藤は首を振る。
「いいや……逃がすわけがないさ。シナリオの代償、というのもあるが。――成瀬と言ったか、特にあの男はどうにも」
彼女は、じっと、睨んだ。
「匂い過ぎる」
秘密が集まる学園の特異点――御舟中央図書館は、門を閉ざす。
ただただ、静かに。




